変わっていく日常と物思い
しばらく領邸で暮らすことにしたわたくしたちは、ゆっくりと時間をかけながら、お互いの生活を整えていきました。
まずアディ。ちゃんとした食事を取り、人と関わり、行動範囲が広がった彼女は、心身ともにすくすくと成長しております。
わたくしの礼儀作法の授業も真剣に受けてくださるおかげで、所作や言葉遣いもだいぶん高位貴族の令嬢の片鱗が見えるようになってきておりますし、勉強もかなりの速度で進んでおりますのよ。アディは可愛いだけでなく賢いなんて、すごいですわ!
もちろん勉強内容はわたくしが教わってきたものと同じである必要はないので、将来を見据えた際必要とされる範囲のものをお教えしておりますわ。不必要な厳しさはいらないんですのよ。興味がないものは覚えづらいですから、できるだけアディの興味を惹くような形をとっていますの。
そしてギデオン様。今まで放置していらした領地のことで奔走されるのは変わりがないですが、お茶の時間にはアディのお茶会のゲストとして来てくださるようになりましたし、食事も共にされるようになりました。
なによりお仕事よりアディを優先してほしいと願った通り、必ずアディに目を止め、話しかけるようになったことは及第点ですわね。わたくしも交え、家族として動こうとなされております。口数の多い方ではないですけれど、それでも言葉を尽くそうとされるその態度が大事なんですわ。
血がつながった家族とはいえ、今までのギデオン様とアディはほぼ他人でした。二人は今つながりを作っているところですから、交流をおざなりにしてはいけません。今までが異常だったとはいえ、ついお仕事にのめりこんでしまいがちなギデオン様は、定期的に釘を刺して状況を整えなければだめですわね。世話が焼ける旦那様でいらっしゃいますが、可愛いアディのためにわたくしも目を光らせますわ。
一方でわたくしは、任された女主人としての仕事をしております。家政を動かし、領地との繋がりを持ち、アディの養育に携わる。とてもやりがいのあるお仕事ですわ。
屋敷のことをする皆の顔と名前はすぐに覚えましたけれど、彼らと接するときにはできる限り声をかけるようにいたしております。彼らが気持ちよく働ける環境を作るのは、大事なわたくしのお仕事ですので。
「レイラ、今日の予定は?」
「奥様、本日は予定しておりましたメイジー商会の方がいらっしゃいます。時間がかかりますので、朝からお越しいただけるよう手配済みです」
「ああ、今日なのね。商品は四等分にして、四交代で購入時間を設けて頂戴。上級から順にね。包装もお願いできるよう伝えてある?」
「もちろん。お嬢様と奥様がおでかけできるよう手配もしてあります」
「ありがとう。付き添う人たちの分は別日にお願いするわ」
エミリーに髪の毛を結ってもらいながら、鏡台の横に立つレイラから本日の予定を聞いたわたくしは、脳内で行動を組み立てます。
わたくしとアディは、屋敷の皆がアディへのプレゼントと自分用の褒美を選ぶ間は領邸から離れなければ。これはギデオン様とも相談してあって、商会には領地の見回りをする日に来ていただくことになってますの。領地の現状を見つつ、まだ先ですが冬の支度に不備はないかの確認をしているギデオン様の様子をわたくしとアディが見学するのですが、お父様のお仕事を見ることができる貴重な機会と知って、アディはとても喜んでいましたわ。
そんなわたくしたちに付き添うのはレイラとエミリー、ハンナやアリス、ヘレン、ホリーといった王都邸からついてきてくれた侍女たち。エインズワース領をきちんと見たことのない彼女たちを巡回に連れて行くことに不自然さはありませんから、アディには気づかれないはず。
一方でミシェルを筆頭とした元から領邸に勤めていた侍女たちは、屋敷の統括をしながらプレゼントの準備に専念してもらうようにしてあります。プレゼントだけでなく、誕生会に必要な品々の相談や手配もありますからね。
憧れの誕生会。アディには内緒の計画ですから、細部まで気を遣わなくてはいけませんわ……!
「それにしても奥様、少々お疲れでいらっしゃいますね」
「そうかしら……ここのところ、アディの寝た後にぬいぐるみを縫っているからかしらね。でも、どうしてもわたくしの手で作り上げたいの。わがままを言って申し訳ないけれど、もうしばらく協力してもらえるかしら」
髪を結い上げ、化粧を始めていたエミリーが困ったように言いました。たしかに睡眠不足かも……と、鏡の中のわたくしもつられて困ったような表情になりましたわ。あら、白粉筆を持つエミリーと眉の角度がお揃いだわ。思わず笑ってしまうと、化粧が崩れるから動かないようにと怒られました。うっかり悪いことをしましたわ。
エインズワース家に来てから、たっぷりと休息や栄養を取ったわたくしの肌や髪は、王宮にいた頃よりつやつやとしているけれど、ここのところ寝不足が続いているので、少し目の下に隈が見えますわ。蒸した手ぬぐいで温めてもらったけれど、消えきれない隈は色を足してごまかすみたい。
「今日は屋外にいる時間が長いので、薄手のドレスに日よけのショールを重ねましょう」
「そうね、エインズワースは王都より涼しいけれど、馬車の中はきっと暑いわよね」
「たしかに、こちらは風がよく吹いて心地よいですね」
エミリーもレイラも王都の住人だったから、風通しの悪い城下町の夏を覚えていますのね。記憶の中の夏とエインズワースの夏を比べて、こちらの方が涼しいと納得したようにうなずくわ。
「ヴァーノン山から湖に抜ける風が涼を運んでくるのね」
「そうなんですね。たしかにエインズワースは避暑地で有名ですけれど」
ヴァーノン湖は避暑地として名高いのは、美しさだけでなく涼しさもあったのね。最近はピクニックの頃より気温が上がっていますから、涼しさを含んだ風が吹くととても心地がいいわ。
レイラとそんな話をしているうちに、手際のいいエミリーは化粧を終えてしまいましたわ。いつもながら魔法を使ったよう。
わたくしの顔立ちは少し幼いというか、気の弱そうな面差しなのですけれど、エミリーの化粧によって、公爵夫人に恥ずかしくないような、どこか凛とした雰囲気が漂うわたくしが鏡に映っておりますわ。王宮にいた時もきっちりとして見えるようにしていてもらっていたのですけれど、エミリーの手にかかると、ほどよい感じに仕上がるのでわたくしは嬉しく思っております。
化粧や髪を崩さないよう外出着に着替えた頃、控えめに部屋のドアが叩かれました。
「リディ!」
レイラが扉を開けると、同じく身支度のために別室へ行っておりましたアディが、輝く笑顔と共に顔を出します。まぁ、今日のアディはレモンのような黄色のドレスなのね! わたくしと同様、装飾やスカートのふくらみはできるだけ少なく、コルセットで締めずに腰に細帯を巻くタイプの外出着ですわ。
「リディのドレスは淡い緑なのね。きれいだわ」
「ええ。アディの隣にいたら、花畑のように見えるかしら」
「ふふふ、リディはお花みたいだから、どちらも花ね!」
わたくしやまわりの者たちが褒めて褒めて褒めまくるせいか、王都邸にいた頃と違って、アディの自己肯定感はとても高くなったみたいで嬉しいですわ。もう、スカートの後ろに隠れることもございません。言葉だってだいぶん上級貴族の発音に近づいてきておりますし、もう立派なレディの一員ですわね。
「今日はお父様のお仕事を見れるのよね?」
「そう、見ることができますわ」
「あっ、見ることができるのよね? そうだわ、気をつけなくちゃ」
そっと直された言い回しに、アディがいたずらっぽい表情を作って笑いました。
それでもだいぶ砕けた言い方ですから王宮では気を付けなければいけないけれど、まだ王宮にあがる資格のないアディには関係ありませんわ。高位令嬢の面目が立てばよろしいのよ。
「大丈夫ですよ、アディ。とても美しく発音できてますわ」
「わたし、リディのようになりたいの」
「あら、光栄でしてよ。アディにそう言ってもらえてとても嬉しいわ」
わたくしが今まで身に着けてきた技術は、きっとアディのためにあったのね。こんな喜びが待っているなら、あの頃のわたくしに教えてさしあげたい。あなたの努力は無駄になどならないどころか、愛らしい淑女を生み出すお手伝いができるのだと。
「リディの髪の毛、とても素敵だわ。でもヘレンが同じにしてはいけないって言うの」
アディはちらちらとわたくしの装いを確かめながら、自分との差異を確認していますわ。そして、大きな違いである髪型について口にいたします。
「髪の毛を全部上げて、うなじを見せられるのは既婚者のみなのですわ。わたくしも、エインズワース家に来るまでは一部分しか結えませんでした。その頃のわたくしとお揃いでしてよ」
未婚の子女が髪を上げることは許されておりませんが、横やうしろでひとまとめにすることは許されております。今日のアディは暑さも鑑みて、髪を完全に下ろすのではなく、編んで横にひとまとめにされていますわ。少しでも涼を感じられるよう、ヘレンの心遣いにあふれた髪型ですわね。
「お揃いがよかったなぁ……」
「では、髪に飾るリボンをお互いのドレスの色にするのはどうかしら。アディが淡い緑、わたくしが黄色よ」
お揃いが好きなアディがしょげるのを見て、化粧品を片付けていたエミリーがなにか使えないかと目を配っているのが目の端に映りましたので、せっかくならばとわたくしはそんな提案をいたしました。アディはお揃いが好きですけど、わたくしだって好きなんですわ。
……気づいたのは最近なのですけれど。
わたくしが好きなもの。アディ。うさぎのぬいぐるみ。朝のまどろみ、薄紅色。あたたかな陽の光をなにも考えずに浴びる時間。学ぶことも好きですけれど、勉強とは関係ない物語も好きですわ。そうそう、よくしてくれる侍女たちも好きよ。トマトのサンドウィッチや、鱒のムニエル。そうだわ、みずみずしい果物も好きだと気づけたの。そして、お揃い。心が湧きたつものが、このエインズワース家にはありますわ。
──あなたはなにが好きなのかわからないと言う。だから、ひとつずつ見つけていこう。
ふと、耳によみがえった、あの夜のギデオン様の声。
そうですわね、あの日の鱒の前菜も……好きなもの、ですわ。
◇
「今年も安泰だな」
夏の頭に収穫した麦を干し、脱穀したものを樽に詰めたものが山になっているのなんて、わたくし初めて見ました。すごい量! 隣でアディがぽかんとしているのがわかりますわ。事前に麦の樽だと聞いていなければ、中身が何なのかなんてわかりませんもの。
「これからパンが作られますのよ、アディ」
「これから?」
「ムニエルに使う小麦粉も麦からできますわね。そうそう、アディの好きなクッキーも小麦粉を使ってますわ」
わたくしは料理をいたしませんから、小麦粉を使った物の知識は豊富ではございませんの。ですけれど、できるだけアディの記憶に残るよう、身近なものと紐づけますわ。
「たしか、使う前に石臼などで細かくするのですわ。それが小麦粉です。粉状の麦ですわね。たいていパンにすると伺いますけれど、焼き菓子にも使うのですって。あとは……パイもそうだったと記憶しておりますわ」
「南の方でよく食べられている麺も小麦からできているぞ」
アディに説明をしておりますと、戻ってきたギデオン様も情報を追加してくださいました。麺……わたくしは口にしたことがございませんが、たしか南方のメストラーテ王国でよく食されているものですわね。
「お父様は食べたことがありますか?」
「ああ。ソースが絡んで美味だった。なかなか食べる機会はないが、アデラインが食べたいのならば手配をする」
「わたし、お父様がおいしいと思ったのなら、食べてみたいです」
わたくしと出会った頃のアディは食が細く、食べられるものも偏っておりましたが、今はたくさんの好きなものを持っています。酸味が強いものは得意ではないけれど、好き嫌いせずなんでも食べる良い子なのですわ。
「では、レシピを取り寄せよう」
「嬉しい! お父様、ありがとう!」
笑顔になるアディに、ギデオン様も微笑んでそっとその頭を撫ぜます。
こんな風に、親子の語らいも、もう最近ではぎこちなさもなく自然に行われておりますわ。最初は本当に大変でしたけれど、アディの素直さに、ギデオン様の努力が加わってどうにかここまで来れたのですわ。
やっぱり血のつながりって……大事なのかしら。半年もかからずここまで仲良くお話できるとは、わたくしも想像しませんでしたの。
わたくしも……生家の両親やお兄様たちとお話しすることがございましたら、こんな風に会話をすることができるでしょうか。夜会の際にお顔を拝見したことはございますけれど、公爵家と伯爵家、そして第一王子の婚約者という立ち位置では、挨拶以外にお話しできる機会がございませんでしたの。
ほぼ王宮にいることが多かったわたくしは、公爵家のお義母様やお義兄様たちとも気軽にお話しできる時間はございませんでした。もしかしたら、お義兄様たちとも、今ならば交流できるかしら。でも、今更どの立ち位置でお話ししていいのか、わたくしにはわかりません。
政略結婚のために公爵家に引き取られたわたくし。本来辿るべきであった王家への繋がりという大役を果たせなかったわたくしは、アークベリー家にとってどういうものなのかしら。不要なものなのかしら。それともエインズワース家との繋がりとして必要なものなのかしら。
アディも、ギデオン様も良き方向に変わっております。
でも、わたくしは? 良き方向に変われているかしら? わたくしがわたくしのためだけに生きていては、家としては間違っているのではないのかしら。もっと頑張るべきことがあるのではないかしら。
急にぽっかりと足元がなくなったような気がして、夏だというのにわたくしの肌は粟立ったのでした。




