ピクニックも花畑も初めてでしてよ
その後、わたくしたちの間には沈黙が流れました。困りましたわ。どうしましょう。余計なことを申し出てしまったかしら。
わたくしの困惑が伝わってしまったのか、ギデオン様は静かにそろそろ戻ろうと申し出てくださいました。本当にお気遣いいただき、申し訳ありませんわ。
岸で待つ護衛のウェゼリー卿──エインズワース家門の子爵家嫡男の方で、エインズワースの騎士団長を務めていらっしゃる方ですわ──の手を借りてボートから降りました。
ウェゼリー卿もギデオン様と同じく二回ボートを漕ぐことになりましたから、申し訳なく思います。まぁ、わたくしの義父であるアークベリー侯爵より少し若いくらいのウェゼリー卿は、筋骨隆々としてらっしゃいますし、二度のボート遊びくらいはなんの問題もなさそうですけれど。
「お付き合いいただき、ありがとう存じます、ウェゼリー卿」
「奥方様が楽しまれたようでなによりです」
ギデオン様がボートを係の者に帰すのを待ちながら、ウェゼリー卿に礼を伝えると、にっこりと人好きのする笑顔で返されました。エインズワースの家門の方ですが、色素の薄いエインズワース本家とは違って、ウェゼリー卿は金髪碧眼と、よくある貴族の色をしております。ギデオン様も背が高いほうですが、ウェゼリー卿はさらに頭半分高いので、わたくしが並ぶとちょっと親子みたいになってしまうのよ。
「ギデオン様、ありがとうございました。わたくし、楽しゅうございました」
戻ってきたギデオン様にも感謝を伝えますわ。ええ、初めて乗りましたけれど、とても楽しかったのです。風も気持ちよくて、避暑地でボート遊びがもてはやされるのもわかるかも。
「それはよかった」
ウェゼリー卿からギデオン様にエスコートの手が代わり、わたくしたちはアディの元へ戻ります。はじけるような笑顔で迎えてもらえるなんて、そんな幸せな経験も初めてですわ。わたくし、この家に来てからたくさんの初めてをいただいて、とても幸せですわね。
「リディ! お父様! おかえりなさい!」
「ただいま、アデライン」
「ただいま帰りましてよ。お留守番ありがとうございます、アディ。アディが薦めてくださったのもわかりますわ。とても楽しゅうございました」
飛び込んできたアディを抱き留めると、にこにこと機嫌のよい笑顔がこぼれます。ああ、でも少しほっぺたが赤いですわね。日向で暑くなってしまったかしら。
「さぁ、あちらへ参りましょう? 木陰はきっと涼しゅうございましてよ」
「待ってる間に飲んだかんきつ水がね、おいしかったの。さっぱりするのよ」
「まぁ、わたくしも後でいただきますわね。アディのおすすめですもの」
花畑の脇の草原に向かって歩きながら話します。侍従たち男性陣が、木陰に日よけの帆布を張ってピクニックの準備をしてくれていますわ。風もほどよく吹いていますし、ピクニック日和ですわね。
実はわたくし、ピクニックも初めてですの。憧れていたピクニックにアディと来ることができて、本当に嬉しゅうございましてよ。
「ピクニック、はじめて!」
「楽しいそうですよ」
貴族の子女が地面に座ることはまずございません。なのでピクニックも以前は狩猟に向かう男性のものでしたが、先々代のアーチデイル王家の側妃マデリーン様が好まれたことから、だんだん婦人たちにも許されるようになってきたものです。
フィリップ殿下のお母君である王妃陛下はなされませんが、第二王子であるスティーヴン殿下のご生母の側妃様は好まれていると耳にしておりまして、わたくしも以前より気になっていたのです。アディに受け入れられてよかったですわ。
拡げられた敷布の上にクッションを置いてもらい、そちらに腰を下ろします。あら、わたくしよりアディの方が地面に座るのがうまいですわね。エルマと過ごしている間に身に着けたのかしら。ためらいもなく座るアディの真似を、今度はわたくしが行います。
「アディ、座るのがうまいですわ。わたくしが今回は真似をさせていただきました」
「今回はわたしが先生だね」
「頼もしいですわ。そうそう、こちらの敷布は、アディのおばあ様であるエリザベス様がお輿入れの際に準備なさったピクニックマットだそうですわよ。ほら、織り込まれたこの文様は、王女殿下であったエリザベス様の個人紋ですの。リボンで頭文字を閉じ込めた上に半冠がございますでしょう? これは、王女殿下にだけ許された御印です」
「水色がきれいだね」
「ええ、王家の瞳によく見られる薄藍ですわ。エリザベス殿下の肖像画の瞳も薄藍でしたから、殿下のお色で織られたのでしょう」
エリザベス殿下はギデオン様のお母君です。王家から降嫁された際に持ち込まれたこの敷布は、経年劣化が見られないほど美しく残されていました。
「ああ、懐かしいな。そうだ、この敷布には見覚えがある」
「ギデオン様もお使いになられていたのですね」
「そうだな、小さい頃に母に連れられてここに来た際に使った記憶がある。残していてくれたのだな」
虫食いもなく美しく保管されていた敷布に指を這わせ、ギデオン様は顔をほころばせます。最近、とみに表情が柔らかくなられてきたようで、なによりです。やはり疲労が蓄積されていたのね。結婚式の日の無表情を思い出してわたくしもまた笑ってしまいました。だって、まるで別人のようなのですもの。
「今回のピクニックは、ミシェルたち領邸の皆の案ですの。昔よくなされていたから、ぜひにと」
どうやっても働きすぎてしまうギデオン様の羽をどう伸ばすかという相談に、このような素晴らしい提案をくれたミシェルたちの功績を伝えます。王都邸の皆も真面目だったけれど、領邸の皆も真面目に領主一族であるギデオン様やアディのことを考えてくれるので、ありがたい限りですわね。領民に慕われているということは、今までしっかりと守ってきたお義父様たちの功績もあるのでしょう。
「ありがたいな」
「そうですわね。皆、よく仕えてくれておりますのね」
王命で嫁ぐことになったわたくしにもよくしてくれる皆。望まぬ後妻としてつらく当たられることもなく、心づくしのもてなしを受けている自覚がございます。彼らに誇れる領主夫人で在ることが、わたくしにできる唯一のことでしてよ。
「サーモンのサンドウィッチ!」
バスケットに詰めた軽食に大好きなメニューを見つけたアディが歓声を上げます。ヴァーノン湖でよく捕れる鱒のサンドウィッチですわね。サーモンとは似ておりますが違う種類ですので、アディの勉強のひとつになりそうですわ。
「これはヴァーノン鱒のサンドウィッチですわ。このヴァーノン湖でよく捕れる品種ですね。アディ、サーモンと鱒は似ているけれど、違う品種なの。あとで図鑑を見てみませんこと?」
「えっ、違うの?」
「そうですの。一番の違いは、アディの好きなエフェルツキンサーモンは降海型で、こちらのヴァーノン鱒は陸封型なのです。淡水である川に残るか、海水である海へ進むかという差ですわね。そうそう、大きさも違うのですよ。海に向かう方が大きく、川から出ないものは小型になりがちです。ですが、降海型の鱒もございますから一概に鱒だから川とも申せませんし、また降海型の種も、産卵のため海から川に戻ってきます」
「難しい……」
「海が遠い王都では、海の魚を手に入れられるということ自体がステイタスなので、高位貴族家ではサンドウィッチの具にもなりやすいですが、王都における新鮮さで言いましたら近隣で捕れる鱒の方が断然よろしくてよ。でも、どちらもおいしいことには変わりがないのです」
「うん、どっちもおいしい」
「口頭の説明だけでは理解がつかないことも多々ありますもの。ほら、牛肉の差について以前調べましたでしょう? あちらと同じですわ。図解を見て、実物を見比べたり食べ比べたりしながら学ぶとわかりやすいのです。特にヴァーノン鱒はアディの故郷であるエインズワース領の特産品ですので、これからたくさん触れる機会もございます。ですが、いきなり全部覚えなくてもよろしいのです。でも、いい機会ですのでわたくしが調べるのに付き合ってくださいませ」
サンドウィッチを頬張りながらそんな話をしておりますと、ギデオン様が会話に入ってきました。
「アデラインはサーモンが好きなのか。リディア、あなたも?」
「サーモン好きです。でも、このマスもおいしくて好き」
「わたくしは好き嫌いは特にございません。サーモンも鱒もおいしゅうございますわ。ギデオン様はなにがお好きなのでしょう?」
わたくしは未だ自分の好きなものを見つけられておりませんので、首肯するにはためらいます。どれもおいしくいただけておりますから、不満などはございませんし。
「私もヴァーノン鱒は好きなほうだ。サンドウィッチよりムニエルにした方が好みだ」
「むにえる」
「王都邸でも出ておりましたバターで焼きあげたお魚ですわ。アディも好んでおりましたわね」
「あのおいしいお魚!」
「あれはヴァーノン鱒でしたわね」
「サーモンじゃなかった……」
魚の種類でこれだけ話せるのに、なぜギデオン様と二人だといつものように話せないのかしら。
ちょっとだけ胸に引っかかった疑問を、わたくしは黙殺することにいたしました。深く考えても、きっと無駄なことですし。
「さぁ、わたくしはアディのおすすめの果実水をいただこうかしら。柑橘がおいしいとうかがったのよ」
「わたしもほしい!」
冷たく冷やされた果実水をいただきながら、わたくしはアディとたわいのないおしゃべりに興じました。食べ物の話、ボートの話、木々の話。ボートで触れ合ったのがよかったのか、アディはギデオン様ともたくさんおしゃべりをしていますの。ちょっと怖いなんて言っていたあの時のアディが今の様子を見たらなんて言うかしら。ほら、今なんてギデオン様の隣にくっついて、その腕の筋肉の硬さを確かめていますわ。
「アディ、そろそろお花畑へ向かいませんか? ヴァーノン湖はウェゼリー卿たち騎士の方のおすすめでしたけれど、あちらはマーサ達侍女のおすすめの場所なのですって」
「お花! マーサからお花のかんむりがあるって聞いたの!」
「花冠? 摘んでよろしいの?」
王宮の庭の花は勝手に摘んではいけない花でしたので、わたくしは花を摘んで冠を作るという作業を見たことがございません。困ったのがわかったのでしょう、アディの食事の片づけをしていたマーサが、微笑んで教えてくれましたの。
「様々な花が生えている場所ですが、わざわざ育てている花ではないので、訪れた者は摘んで花冠などを作れるのですよ。お嬢様に以前お話したことがあります」
「えへへ、マーサはそこで結婚を申し込まれたんだって」
「まぁ、それは素敵ですわ」
まるで物語のような──エインズワース家に来て、わたくし初めて読んだのですけれど、物語というものはとてもワクワクして温かい気持ちになる、素敵なものですの──お話に、わたくしの胸は弾みました。もっと聞きたい気持ちもありますが、催促するのははしたなくてよ、リディア。
「ではマーサの思い出の花畑へ参りましょう、わたくしのお姫様」
物語に出てくる王子様を真似てアディに手を差し伸べると、パッと顔を輝かせたのち、ことさらしずしずとエスコートを受ける手が差し伸べられましたわ。そうね、最近一緒に読んだ物語の再現ですから、アディはわかりますわよね。
でもね、アディ、現実の王子様はあんなに素敵ではなくてよ。王子様と婚約していたわたくしが保証いたしますわ。結婚相手は王子様よりもっと普通の方の方が幸せになれると存じます。王宮に近づいてはなりませんわ。
◇
初めて見た花畑は、色とりどりの花が群生していてとても美しいものでした。手入れされた庭の花々とは違った力強さを感じますわ。花の色も、統一されていなくてとても彩が豊かなのに、ごちゃついて見えないの。素晴らしいわ!
「この花畑は、ヴァーノン伯爵となった公子が種を植えたと伝えられている」
感動しているわたくしの横で、ギデオン様がそっと教えてくださいました。え、この花畑もマリーリア姫に繋がっていますの?
「確かに管理はしていないが、どれも強い繁殖力を持つ多年草だ。何年経っても変わらずに花開くよう選ばれたのだろう」
マリーリア姫へ捧げる花だったのでしょうか。手入れをされずとも変わらず咲き誇る花を自ら手植えられた公子の愛情に、胸がギュッと締め付けられます。
真実の愛。彼らの間にあった気持ちは、きっとそういうものだったのでしょうね。
「マリーリア姫とヴァーノン伯のお墓などは残っていますの?」
「ああ、一族の墓は一か所にあるから、探せば多分そこにあると思う」
ギデオン様は特にお二人の物語に興味がなさそうですわ。わたくしがエインズワースの子どもだったら、きっとマリーリア姫のお話を聞いてお二人の痕跡を探してしまうだろうに。
「観光の彩りとして、ヴァーノン湖と花畑に纏わるお二人の物語を表に出してはどうかしら。きっと人が集まりますわ」
「あなたがそう思うならやってみよう」
「まぁ、わたくしの独り言は単なる思い付きですのよ。経営に含めるのならばきちんと精査なされないと」
「いや、女性の目線というのは馬鹿にはできない。領地の新たな風となるやもしれない。あなたのように」
「!」
なんですの! 本当に、なんですの!
ギデオン様、最近笑いすぎでしてよ!
リディアはちょっと頭でっかちなタイプです。実物に触れずに本で勉強してきた人なので、まず図鑑に走りがち。そしてまだ自分の好みを発見できておりません。
わたしはサーモンもマスもおいしいからどっちも好きです。詳しいことなんて知らなくても、おいしく食べれればいいんだ!




