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舟遊びってわたくし初めてですわ

 ヴァーノン湖ではボート遊びもできるそうなので、わたくしはアディをギデオン様に任せて乗ってきてもらうことにいたしました。


「リディも行こ?」

「ええ、でもボートに三人は危ないですわ。わたくしとアディではボートは動かせませんので、ここはお父様と乗るのが一番でしてよ」

「リディは?」

「わたくしは少し休憩させていただきますわ」


 アディに共に行こうと誘われましたが、さすがに無理ですわ。三人乗れればよろしいですが、転覆の危険があるので難しいですしね。

 なにより、途切れかけた親子の絆が結ばれる糸の一本になるかもしれないので、邪魔などできませんの。ギデオン様、地を這うほどに下がっているアディの好感度を上げるいい機会です、ぜひ頑張ってくださいましね!

 そう思ってギデオン様を見ると、なんとも言えない表情をしております。……ギデオン様は言うなれば文官。もしやボートを漕ぐほどの筋力がない? そうですわ、ずっと部屋にこもりきりでお仕事をなさっていたのですもの。ボートを漕ぐのはご負担なのかも!


「なんとなくあなたが何を考えているかわかるが……ボートを漕ぐくらいの力はある」

「まぁ!」


 わたくし、あまり感情を読まれることはなかったんですけれど……ギデオン様、すごいですわね。さすが宰相室で辣腕を揮っていただけありますわ。


「でしたら、ぜひアディにボート遊びの楽しさを教えてあげてくださいまし。湖が初めてなのですから、ボート遊びだって初めてですのよ、アディは」

「……そうだな」

「アディ、お水は怖くはありませんが、ボートの上で立ち上がると危のうございますから、きちんとお父様のお話を聞いて楽しんできてくださいましね」

「はい!」

「まぁ、とてもいいお返事ですわ」


 にこにこ顔のアディを無表情のギデオン様に任せて、わたくしは船着場の横で二人が漕ぎ出るのを眺めることにいたしました。ちょうどベンチもございますしね。

 侍従が差す日傘の下で侍女にハンカチを敷いてもらい、わたくしがベンチに腰を下ろした頃には、アディが乗るボートは湖の上を滑り出しました。まぁ、楽しそうな笑顔ですわ。ギデオン様との距離も縮まると良いのですけれど。

 今日は天気がよろしいけれど、湖畔は風もあって涼しいですわね。屋敷にいるよりよかったかもしれませんわ。


「あら、本当に楽しそう」


 ボート上のアディが大きく手を振るのが見えました。あんなに楽しそうにして……淑女としては少しおてんばが過ぎるかもしれませんが、アディが笑顔なのはいいことですわね。ギデオン様、よくやりましたわ。きちんと会話もなさっているかしら。

 忙しさにかまけて七年も放置されていたのですもの。一朝一夕で仲良くなるのは難しいと思いますが、失ってしまった時間を悔いていてもどうにもなりませんから、アディの気持ちを取り戻すためにもギデオン様には全力で頑張っていただきましょう。

 さて、それよりもわたくしにはやることがございましてよ!


「レイラ、屋敷に帰ったら、おままごとの食器の追加発注と、ぬいぐるみ用の布の手配をお願い。アリス、アディの服のサイズは変わっていないかしら。そうしたらデイドレスを一枚発注して、それと同じ布やレース、デザイン画を一緒にわたくしの元へ届けさせてちょうだい。ダグ、アディがいないところで、ギデオン様とアディに渡すプレゼントの算段をしてくださいな。わたくしからはぬいぐるみとお揃いの服と食器を贈りますから、被らないものでね。ミシェル、お祝いの料理はあなたと料理人頭のジンにおまかせします。アディの好きなものをメインによろしくね。食器は秋に相応しいものはございまして? 後日領邸(カントリーハウス)の状況を教えてくださるときに、パーティに使えそうなものも一緒に見せてくださいませ。あぁ、当日はお客様はお呼びしません。アディにはまだ領邸の皆と顔を合わせるので精一杯ですから、貴族の触れ合いはもう少し後にいたしますわ」


 ギデオン様とアディの警護として別船で着いて行った二人の護衛以外の皆に、わたくしは指示を飛ばします。なにって……再来月のアディのお誕生日の準備ですわ。秋の初めに産まれたアディは、今までお誕生日を祝われてなかったそうなので、今年こそは盛大にしなくては。

 本当なら公爵令嬢の誕生会。盛大に行うものでしょうが……社交をまだ始めていないアディにお客様は不要ですわ。ご生母であるシャーロット様のご家族をお呼びすることも考えましたが、七年も放ってあることを考えたら、時期尚早ですしね。もちろん、アークベリー家だけを呼ぶわけにもいかないので、今回は家族と屋敷の皆だけで行いますわ。


「ミシェル、屋敷に戻ったら、侍女長のエイダと一緒にエインズワース領で使っていた商会を呼んでちょうだい。先代公爵夫妻が使っていらした商会ね。これからまたお世話になるのだもの、挨拶がてら色々購入いたします。あのね、今回商会に持ってきてもらいたいのは、ちょっとしたプレゼントに使えるもの。費用はわたくしが持ちますから、皆は自分とアディへのプレゼントをひとつずつ選んでちょうだい。仲がいい者同士お揃いで選んでも、お互い交換する品を選んでもよろしいわ。商会以外から購入した者は、費用の申請をするよう伝えてね。予算はアディの分が大型銀貨二枚、皆の分が大型銀貨一枚程度でお願い」

「奥様!?」


 思わない指示に、さすがのミシェルが声をあげましたわ。普段おだやかに微笑んでいるのに、珍しいこと。ちょっとしたいたずら心か芽生えてしまうわね。大型銀貨十枚で使用人用の制服が仕立てられるから、全員分となるとちょっとかかってしまいますけれど、わたくしのここ数ヶ月分の予算が余っている分から出せば特に問題はないわ。


「今までの分までお祝いするのよ? わたくしとギデオン様からのプレゼントだけでは足りませんわ。でも、今まで領邸を支えてくれていた皆へのお礼もしたいから、皆はアディと自分と、それぞれの分を選んでちょうだい。ああ、王都邸でも同様にするよう、ケリーにも連絡してね。あちらは専用で使っていた商会があるでしょうから、そこでお願いするわ。そうそう、きちんと帳簿とリストは作成してちょうだい。確認はわたくしがします」


 持参金もあるから、支払いはわたくし持ちでどうにかなりますわ。社交用のドレスなどは改めて作るつもりはございませんし、お茶会も開くつもりもありません。これらは皆、もう少しアディが落ち着いてからでも遅くはありません。第一、婚約破棄されたのちに後妻に入ったわたくしが社交界に顔を出すには、時期尚早ですもの。出るとして、王宮で行われる新年の挨拶くらいで十分ですわ。


「当日は、わたくしとギデオン様とアディでシャーロット様のお墓参りに伺います。ギデオン様のご両親も領地の墓所に眠られているのよね? それではそちらも一緒に。レイラ、お花の手配をよろしくね。ミシェル、わたくしがアディを連れ出している間に、パーティの準備の采配を任せます。ハンナ、帰宅後アディの身支度がすぐにできるようにしておいて。ダグ、ギデオン様の予定の調整は、ギデオン様と相談の上でね。皆、いいこと? アディには内緒ですわよ?」


 アディの誕生日。それは同時に母親であるシャーロット様の命日でもございます。シャーロット様はエインズワース領で眠っていらっしゃるから、七年間ずっとご家族の訪問をうけていらっしゃらないのよ。きちんと大きくなったアディをお見せしなくては。

 わたくしも、ご挨拶がしたいですから。きちんとアディをお任せいただけるよう、当日はしっかりとした姿をお見せいたしますわよ。


 そんな風に今後の指示を与えていると、湖の上を旋回していたアディたちのボートがゆっくりとこちらに向かってくるのが見えました。あら、もうおしまいかしら。まだ(ひる)には早いけれど、ピクニックの準備に移ろうかしら。湖と花畑は近くにあるとのことですけれど、まぁ早めに行って花を愛でるのも楽しそうですわ。


「ただいま!」

「おかえりなさいませ、アディ」

「うふふふ、お父様みたいね! おかえりなさいって!」


 いつもギデオン様を迎える側だったアディは、自分が迎えられる側を体験できたのが嬉しそうです。きらきら輝く笑顔で抱き着いてきてくれるのが、たまらなく可愛いですわ!

 ぎゅっとアディを抱きしめながらギデオン様をお迎えすると、そっとエスコートの手が差し伸べられました。


「リディア、あなたも行かないか」

「わたくし?」

「リディ、おふね楽しかったよ! リディも乗るべき!」

「まぁ……ですが、アディを一人にしたくありませんわ」


 そう言いつつも、わたくしは内心焦っておりました。だって、わたくし、ボートに乗ったことなんてないんですもの! しかも殿方と二人きりなんて!


「お父様とね、お話ししたの。楽しかったの。だから、リディもね、おふねに乗ろ?」

「楽しかったのならようございましたわ。わたくしも、アディが楽しんでいるのがわかりましてよ。手を振ってくださいましたでしょう?」

「そうなの! 楽しいの! ね、リディも手を振って! わたしもどんな風だったのか見たいの!」


 客観的に自分がどのように見えるのか確認するのも成長には大事なことですわよね……そうですわよね、ええ、アディのため、ですわ。

 でも、えぇ……わたくし、ええと、興味は……ありますわ。ちょっと怖い気持ちもありますけれど、アディとボートの話をできると思えば、悪くない提案なのかも。


「奥様、お嬢様はわたくしたちがお世話いたしますので。大丈夫ですわ」


 ためらうわたくしに、ミシェルが後押ししてきます。それに続くようにハンナがアディの手を引きながら、先ほどのわたくしのようにハンカチを敷いたベンチに座らせていきます。


「お嬢様、お飲み物はいかがですか。この後お昼ご飯を取りますけれど、先に冷たい果実水なんてどうでしょう」

「わぁ! 嬉しいわ。わたし、たくさんお父様とお話したから、のどがかわいてたの」


 わたくしがためらっているうちに、アディは休憩の体制に入ってしまいました。侍従のダグに日傘を差しかけられ、アリスが準備した飲み物をうきうきと受け取るアディに花畑への移動を告げられるはずもなく、ギデオン様のエスコートの手を引かれるように、わたくしは湖の方へと寄せられました。


「いってらっしゃーい!」

「え、えぇ……少し、待っていてくださいましね。わたくしも、行ってまいります」


 にこにこと手を振るアディに見送られ、わたくしはヴァーノン湖を背にするギデオン様の方を向きます。ええ、アディの前で不和を見せるわけにはいきませんわ。


「ギデオン様は休憩はよろしいですの? わたくし、護衛や侍従とでも構いませんわよ?」

「私は問題ない。さあ、行こう」


 わたくしのかすかな抵抗は受け流され、ギデオン様のエスコートによって、流れるように白いボートに乗せられました。……わたくし、舟遊びははじめてですわ。公務で港へ伺った際も、船に乗ることはございませんでしたし。座っただけでもゆらゆら揺れて、えぇ……本当に転覆いたしませんの?


「!」


 身体の大きなギデオン様が乗り込まれると、ボートは一段と大きく揺れました。思わず船べりを押さえてしまいましたが、押さえたからどうにかなるわけもないですわよね。え、ええと……こういったボートに乗る際の様子などは一度地理の先生の私的な話題でうかがっただけですから、この後どうなるのか、実はよく知りませんの。大丈夫ですの? このままぐるんっとひっくり返ったりいたしません?


「大丈夫、あなたはゆったり座っていてほしい」

「え、ええ……わかっておりましてよ。ギデオン様、よろしくお願いいたします」


 ギデオン様が腰掛けられると、重心が安定したのか揺れが落ち着いてきました。両脇のオールを手にしたギデオン様は、乗り慣れないわたくしの様子がおかしかったのかじっとこちらを見て微笑まれておりますので、揺れは落ち着いても、わたくしの緊張は落ち着きませんわ!


「舟は初めてか?」

「お話はうかがったことがありますわ。ヴァーノン湖ではなくイリヤ湖のお話でしたけれど。あそこは釣りができるのですってね。ヴァーノン湖ほどの透明度はないそうですが、代わりに餌となるものが多くて魚がたくさんいるのですって」

「モワリー領か。それではこういった手漕ぎのボートではなく、小型の帆船の話かな」

「そうなのですか?」


 地理のマディソン先生はイリヤ湖ができた経緯は教えてくださいましたけれど、船の詳しいお話はされませんでしたから、大きな船でないのならこういったボートなのかと思っておりました。


「あそこの釣りは好む紳士が多く、釣果を乗せられるようにこのような観光用のボートではなく、専用の漕ぎ手が乗っているような大きさの船を使う」

「ギデオン様は釣りをされたことが?」

「いや、ないな。私は文官なせいか、王宮からあまり外に出ることはないし、宰相室の公務は外交が多いので、宮殿ばかりで観光地を回ることはない」

「じゃあ、ギデオン様もボートははじめてですの?」

「ヴァーノン湖は子どもの頃はよく来ていたので慣れている」


 そうですわね、領主の一族は領地であるエインズワース領で育つのが主ですもの。領邸からほど近いヴァーノン湖にはよく来ていてもおかしくはありませんわね。

 わたくしはアークベリー領には一度しか行ったことはございませんが、普通の領地持ちの貴族なら領地のことを知っていておかしくありませんでしたわ。


「だからボートも漕ぎ慣れておりますのね」

「十年ぶりくらいだ」

「……まぁ、ずっと王宮に詰めていらしてましたものね」


 会話が! 会話が続きませんわ!

 おかしいですわ、外交は得意分野でしたのに、なぜこんなにもうまい話題が出せないのでしょうわたくし! もうずっと仕事ばっかりでしたものね、みたいな当てこすりをするつもりはございませんでしたのよ!


「あ、アディとは話せまして?」

「ああ、ありがたいことに楽しんでもらえた」

「よろしゅうございましたわ」


 ああ、アディに手を振らなくては。湖畔のアディに目をやると、大きく手を振ってくれましたわ。今度、手の振り方の練習もしなくては。

 わたくしが胸元でゆるやかに手を振ると、アディが首を傾げてハンナに話しかけるのが見えました。え、なにかあったのかしら。


「多分大きく振らなければ見えない」


 大きく……手を?

 困惑するわたくしに、ギデオン様が見本を見せてくださいます。腕を高く上げて振って見せるギデオン様に倣い、同じように手を伸ばします。ダンスの時くらいしかこんなに脇をあけることはございませんから、なんだかちょっと恥ずかしいですわね。

 ですが、大きく手を振った甲斐はあったようで、アディが笑顔で手を振ってくれましたわ。ああ、あの笑顔を引き出せたのなら、腕を伸ばしてみてよかったですわ。


 それにしても、どうしましょう。一度会話が途切れてしまった後、どういった話題を出せばいいのか思いつきません。嘘でしょう? わたくし、初めての水上で緊張しているのかしら。ああ、こんな風に殿方と二人きりになったのは初めてだから、それもあるのかしら。いえ、結婚初夜も二人きりでしたわ。あのときは……そう、契約結婚の内容を詰めていたので特に気にならなかったのよ。


「……急に連れ出してしまって申し訳ありませんわ」


 困ったわたくしは、今日の予定について口にいたしました。


「アディを喜ばせたかったのと、ギデオン様にのんびりしていただきたかったのですが……こんな風に二度もボートを漕がせてしまうとは思いもしませんでした。申し訳ありませんわ」

「いや、私はあなたとの時間も取れてありがたいと思った」


 ……ギデオン様は、真面目な方なのでしょう。契約結婚の相手であるわたくしのことも気にかけてくださるとは、思いませんでしたのよ。こんな風に気遣っていただける相手に嫁げたのは、幸せですわね。


「あの、ダグに頼んでありますけれど、再来月、アディの誕生会をお屋敷でしますの。お客様はお呼びせず、屋敷の皆と、ギデオン様とで行います。まだ、アディはたくさんの人との交流に慣れておりませんから、まず毎日顔を合わせる領邸の者たちで慣れた方がよいと思いまして」


 ああ、せっかく二人ですし、今後の予定の詳細を告げておかなければ。ギデオン様にも準備していただかなくてはいけませんし。


「……そうか、そうだな。私は……」


 アディの誕生日は、ギデオン様の真実の愛の方であるシャーロット様の命日。思い出させてはおつらかったかしら。でも、アディを大切にしていただくためには避けて通れないところです。

 瞼を伏せるギデオン様に、わたくしは重ねてプレゼントの準備をお願いいたします。


「プレゼントをですね、ギデオン様からアディに用意していただけますか? わたくしは、デイドレスと、同じ服を着せたぬいぐるみを贈ります。アディに知らせないよう、ギデオン様も準備してくださいませね」

「ああ。準備しよう」

「……当日はですね、シャーロット様とお義父様たちのお墓にお参りをしたいと思いますの。ご挨拶は大事ですから。アディの成長した姿もお見せしたいですし。ギデオン様はおつらいかもしれませんが、よろしければご同行いただければと存じます。……無理にとは申しません」

「いや、私も行こう。ずいぶんと長い間不義理をしてしまった。父や母やチャーリーは私の不甲斐なさに怒っているだろう」


 真実の愛の方は、そんな風にお呼びになっていらっしゃったのね。チャーリー。かわいらしく、愛を感じる呼称ですわ。


「きっとそんなことはございませんわ。ギデオン様がアディを大切にしていけば、きっとお三方も安心なされます」


 風が凪いでいるせいか、湖面はほとんど波打たず、きらきらと太陽の光を反射して輝いております。そんな風景を眺めつつ、わたくしは微笑みました。


「亡くなられた方々の大切な人たちが幸せそうにしている姿を見せること。それは生きているわたくしたちが彼らにできる最良のことかと存じます」


 この豊かなエインズワース領の様子を見せることもまた、きっと亡くなられた皆様のお心を慰めるひとつとなりますわ。

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