母と娘による父親改造計画ですのよ
アディは、乾いた大地が水を吸い込んでいくように、どんどん成長していきました。
たどたどしかった言葉遣いはなめらかに、背筋は伸び、歩き方も静かになっていきます。荒れていた手肌や髪はハンナ達侍女がことさら手入れをしたので、今はもうみずみずしい美しさを保っておりますわ。
勉強だって、手紙のために習い始めた文字は読み書き共にもう完全に習得しそうな勢いです。まだ知らない単語や言い回しはあるけれど、それもこの調子ならすぐに覚えてしまいそう。
けれど、愛らしい笑顔やしぐさはまだ残っております。自分がうまくできたと思った時にふと見せる、照れたような嬉し気な笑顔の可愛さたるや、言葉には言い尽くせませんわ。
「リディ、お父様は?」
「ええ、こちらには来ておりませんわ。今日は朝から代官たちのところを巡るとおっしゃってましたから」
「よかった」
エインズワース領に来て一月。わたくしにはだいぶ懐いてくれたと思うのですが、アディとギデオン様の間にはまだ緊張感が漂っております。ギデオン様の在室を確認してから、アディはわたくしの執務机の隣にある、自身の机に座りました。
「お父様、ちょっとね、こわいから」
「ギデオン様は表情が乏しいですからね。ですが、アディのことは大好きですよ」
「そう……かなぁ」
……しぶられると、わたくしもちょっと不安になるからやめていただきたいですわ。
わたくしは、領主としてようやく動き始めたギデオン様のことを考えて、内心嘆息いたしました。本当に、お仕事お仕事と……困った方ですわ。領地のことを考えて奔走されているのはいいのですけれど、これでは王都邸にいた時とあまり変わらなくてよ。
「アディ、お父様はご自身でお休みを作るのがとても下手みたいですわ。困った方ですわよね」
「お父様、困った方ね」
頬に軽く指をあてて軽く首を傾げたわたくしを見て、アディも同じように困ったといったポーズを取ります。わたくしの仕草を真似るのがうまくなってきたアディの姿が可愛かったのか、アディ付きの侍女であるマーサとニコラが口元を緩ませているのが見えました。
あぁ、マーサとニコラは領邸に来て新しく付けた侍女で、王都邸から連れてきたハンナ、アリス、ヘレン、ホリーの四人と一緒にアディのことを交代制で守っていてくれますの。お休みは誰にとっても大切ですわ。アディの地位を考えたらもっと必要ですわね。侍従や専属護衛も考えなくては。
「ねぇ、アディ。ちょっと相談に乗っていただけます?」
「えっ、相談!? なになに?」
「お父様は本来まだ静養が必要だと思われますわ。わたくし、領邸に来てアディのお母様と結婚された時の肖像画を拝見いたしましたの。今よりだいぶ健康的でしたわ」
領邸には、先代公爵夫妻の肖像画に始まり、幼い頃のギデオン様を含む家族の肖像、そして先妻であるシャーロット様とのご成婚の折に描かれたという肖像画が飾られていました。
ギデオン様はすぐそちらは収蔵庫にしまうよう指示されたため、今はもうホールには飾られておりませんが、八年前、二十四歳のギデオン様の健康そうなお姿は今でも瞼に焼き付いております。
──控えめに言っても、痩せすぎですわ! 目の下の隈は消えましたけれど、まだまだ肌艶はよくなったとはいいがたく、とにかく栄養が足りておりません!
「絵……」
「アディのお母様、素敵でしたわね。アディによく似てらっしゃいますわ」
肖像画の中でほほ笑むシャーロット様は、瞳の色以外アディに生き写しでした。このまま成長したら、きっとアディはあんな感じになるのね。とても愛らしいお姿でしたから、ギデオン様が今もなお大切に思われるのも当然ですわ。
「まぁ、あの絵のようにお父様にも健康になっていただきたいと思いますのよ。だって、アディから見ても今のギデオン様は病み上がりといった様相でしょう? あの状態のまま動かれては心配ですわ」
動いていないと死んでしまう魚がいると図鑑で拝見いたしましたが、ギデオン様はまるでそのお魚のよう。もっと身体を休めていただきたいのに。わたくしと違って、ギデオン様は休養の幸せを感じなかったのかしら。
「だから、わたくしたちでお仕事の邪魔をしてお休みを強制的に取らせるのです」
「お仕事の、邪魔……していいの?」
「本当はいけませんわ。でも、今までギデオン様がいらっしゃらなくても回せていたのです。それをもう少しお願いして、ギデオン様を万全の状態に持っていくのが重要だとわたくし思いますのよ」
壊れかけの品をだましだまし使い続けるより、一度しっかり修理した方がいいという話ですわ。
◇
「……これは、一体どういうことだ」
領邸の家令であるポールや従僕たちに言い含めておいた通り、ラフな外出着に着替えさせられたギデオン様は、玄関ホールで待ち構えていたわたくしたちの様相に困惑した声をあげました。
「いやですわ、ギデオン様。わたくし、王都邸で申し上げましたでしょう? お忘れになったのですか?」
わたくしは、ことさら優し気に微笑んで見せると、無表情を貫くギデオン様に、そっと指を三本立てて見せました。そして反対側の指で、一本一本説明と共に触れてゆきます。
「まず、たくさん寝ましょう。こちらは以前よりは改善されつつありますが、まだまだですわ。次に栄養を摂りましょう。こちらは大丈夫ですわね。でも、摂る時間が偏りすぎておりますわ。きちんと、家族そろって食べなければ。最後にお日様の下でアディと遊ぶ。こちら、まったく実行されておりません。なので、本日わたくしが主催させていただきますわ」
わたくしと揃いの外出着と帽子をかぶったアディが、にこにこと笑いながら同じように指を出します。柔らかな水色のストライプ模様の生地であつらえたドレスは、ちょっと裕福な子女のお出かけ着といった雰囲気で、かわいらしいアディによく似合っておりますわ。
「お父様、ピクニックよ! 素敵なところがね、あるんですって!」
「領邸の者たちが推薦してくださったんですの。エインズワース領には湖と、その近くに花畑があるんですって? ぜひアディを連れて行っていただきたいと思いまして」
親娘水入らずでもよろしかったのですけれど、アディがわたくしにもいてほしいと言うものですから、わたくしも同行させていただこうかと思いましたのよ。そう、他でもない、アディのお願いですもの!
「あなたたち二人では……」
「ギデオン・エインズワース様。アディの一日は尊いんですの。見てくださいませ、もう王都邸の頃よりすっかり淑女に近づいております。わかります? アディの今は今しかなくってよ!」
わたくしが示すアディの成長に、ギデオン様はぽかんとした様子を一瞬見せると、ふわっと笑いました。笑えたんですのね。そう。
「そうだな……ああ、私はいつもあなたに怒られている」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいまし」
イラっと来ましたわ! エインズワース家に来てから、わたくしちょっと怒りっぽくなった気がしていたのに、それを指摘されるとこんなに腹が立ちますのね!
「とにかく、ギデオン様の本日のご予定はすべてわたくしたちが押さえましたの。反論はなしでお願いいたしますわね!」
「ああ、わかった。このまま出かけられるのか?」
「準備は万事整えてございますわ。エインズワースの皆は有能ですの」
王都邸の皆さんは真面目で自分の職域をきっちり守る方が多うございましたが、領邸の皆さんはそれよりもっと柔軟性がありました。ギデオン様の一日を押さえてアディと過ごさせるという案は、屋敷の者一同が即座に協力してくれたのですわ。調理の者たちは昼食をバスケットに詰め、御者たちはお忍びで使えるような馬車を準備し、侍女たちは野外に着て行ける衣装や小物を選び、家令たちは仕事の調整をしてくださったの。それはもう、わたくしが指示を送る前に自分たちで色々と案を出してくれましたわ。今回の行先も、侍女や騎士たちの推薦の場ですのよ。
「お父様、わたしとお出かけ……いや?」
アディがとどめを刺したのをきっかけに、わたくしたち家族はピクニックに向かったのでした。
◇
エインズワース領が誇る観光地であるヴァーノン湖は、想像していたものより大きく、また美しいものでした。教育で存在は知っていましたが、これほどまでに美しいとは存じませんでしたわ。なんでも、見て触れて学んだ方が強く感じますわね。
青い空を映したヴァーノン湖は、冷たい水をたたえておりました。エインズワース領には王領とは逆方向に山があるのですが、その山がもたらす恵みですわね。透き通る水を使って、この辺りは染め物が盛んなのですって。
「たくさんのお水……」
生まれて初めて湖を見たアディは、目を丸くしていました。アディは初めてのことが多いから一気にいろんなことを体験させるのはためらっておりましたが、困ったり拒絶したりする様子もありませんし、もっとおでかけしてもよさそうですわね。
「ヴァーノン湖はティレット王国屈指の観光地ですわ。ヴァーノン山からの雪解け水と元からの湧き水でできているので、ほら、とても水が澄んでいるでしょう。アディの好きな鱒もここではよく捕れますのよ」
ヴァーノン湖は初めてですけれど、情報ならばわたくしきちんと押さえておりますわ。アディに教えられる喜びを感じながら説明していると、隣のギデオン様がまた笑いました。
「あなたはよく領地のことを知っている。私より詳しいかもしれないな」
「ティレット王国のことならば、どこもきちんと覚えておりましてよ」
歴代の情報から最新の情報まで、いつどこで必要とされるかわからなかったので、わたくしは常に覚えさせられておりましたわ。
「では、この湖に纏わる物語は?」
「ヴァーノン湖……ああ、マリーリア姫の物語かしら。今から二百年ほど前のものですわね。当時の王家の姫がエインズワース領に遊びに来て、公子と恋に落ちた……」
「本当は公子ではなく、認知もされていない庶子だった。だが、王女のたっての願いで急遽公子となり、このヴァーノンの地を割譲されて伯爵となった。しかしながら子に恵まれず、ヴァーノンは再びエインズワース領に戻った」
「後日談がありましたのね」
興味深く聞いていると、ギデオン様はにやっといたずらっぽく笑いました。え、本当に笑えたんですの? この方。
「実は王女の幽霊が出る」
「ええっ! そうなのですか? でもなんで……なにか心残りが?」
湖に纏わる逸話にはなかった情報ばかりでびっくりしていると、わたくしの姿がおかしかったのか、とうとうギデオン様は声を出して笑い出しました。
「嘘だ」
「まぁ! 失礼な方!」
幽霊だなんて、アディが怖がったら……と心配いたしましたのに! 嘘だなんて……。
「リディ、ゆうれいって、なに?」
腹を立てかけたわたくしでしたが、アディの無邪気な問いかけに毒気を抜かれました。そう、アディは幽霊を知らないのね。
わたくしがアディに幽霊の定義を教えている間、ギデオン様は肩を震わせて笑っておりました。
いったいどうしたのかしら。本当にもう!
ギデオン相手だとちょっとツン気味なリディア。
そしてだんだんリラックスしてきたハードワーカーギデオン。




