挿話:アークベリー公爵の後悔
挿話は三人称で行こうと思っています。
ジョルジュ・アークベリーは、五つある公爵家の当主だった。
アークベリー公爵家は、過去には王家からの婿入りもあったが、現在では血のつながりは薄いため、王家への輿入れの資格を有している。ジョルジュ自身の子は三人いたが、息子ばかりで娘はいない。従って、分家であるハルベリー家から第一王子と年まわりの合う娘を迎え入れて、公爵令嬢として婚約を結ばせた。
養女としたリディアは、愛らしいだけではなくとてつもなく優秀だった。乾いた砂が水を吸うようにどんどんその身に知識や作法を取り込み、すぐさま公爵令嬢として名を上げたばかりか、五つの年に始めた王子妃教育はすんなりと終えてしまい、その後進んだ王太子妃教育では収まらず、十を迎える前には王妃教育まで受け始めるほど優秀だった。
まだ第一王子が立太子しているわけではないので、王太子妃教育も王妃教育も深部までは許されていなかったが、それでもこの娘が王妃の座にあれば国は安泰だと、上層部が安心するほどに完璧だった。
なまじ完璧だったのがいけなかったのだと思う。また、本人の気性が真面目だったのも。
いつの間にか、婚約者であるフィリップ王子はリディアの優秀さに心を折られ、教育や公務から逃げるようになっていた。だが、リディアがその穴を完璧に埋めてしまっていた上に、王子の側近たちが叱責を恐れてその愚行を隠蔽したため、大人たちは気付けなかった。
気が付いた頃には、フィリップ王子には逃げ癖がつき、そのすべてをリディアが負っていた。両陛下、特に王妃陛下が叱責するも、もうフィリップ王子や側近たちがいなくてもすべてが回るようになってしまっており、さらには側妃の派閥が逃亡に手を貸すようになってしまっていたため、うまくはいかなかった。
遅まきながらジョルジュがリディアの置かれた環境に気付いたのも、この頃だった。
リディアは王子妃教育のため、領邸ではなく王都邸で育った。だんだん王宮にいることが多くなり、十四の年には完全に王宮に部屋を賜って住んでいる。
王都邸にいた頃も、リディアの教育にジョルジュが携わることはなかった。女児のいないジョルジュは義娘にどう接していいかわからなかったし、王宮に上がることが決められている義娘に多大に情を移しても詮無いことだと、報告を受けるだけにしていたのがいけなかった。
外交で不在にしていても、妻や息子たちに気にかけるよう伝えておけば違っただろうか。だが、家族のほとんどは領地を守るために領邸で過ごしていたし、唯一王都邸にいた次男もジョルジュの国外外交の補佐官として付き添っており、不在がちだった。
だから。
「申し訳ございません、お義父様」
フィリップ王子の遊蕩とリディアの公務の肩代わりを聞いて驚き、王宮に駆けつけたジョルジュは、静かにそう告げるリディアを見て愕然としたのだ。
「フィリップ殿下は再三諫めましたけれど、不甲斐ないことに多勢に無勢で逃げられております。殿下からは婚姻後は公務に復帰するとの伝言をいただいておりますので、それまでの公務は僭越ながらわたくしが代わっております」
もうその顔に表情は浮かんではおらず、宝石のようだとたたえられた青い瞳は、ガラス玉のように感情がない。口元にのみ完璧な笑みを刻んだ、美しい人形のようだった。
「リディア……」
「王妃陛下からは、殿下が戻るまで公務を支えてもらえるならばありがたいとのお言葉をいただいております。殿下のことは、王妃陛下が責任を持って連れ戻してくださるそうですので、それまでは、と」
改めて調べてみると、リディアが肩代わりしていたのはフィリップ王子のものだけではなかった。王子の側近たちは全員がその遊蕩に付き合っていたため、執務室のすべてと公務はリディアによって行われていたし、さらには側近筆頭であったアッカーソン侯爵令息によって、側妃サイドの雑務まで持ち込まれていた。
少女一人で抱える仕事量ではないというのに、ひとりぼっちのリディアはだれにも頼ることなく、それをこなしていたという。
リディアは、やりすぎた。
フィリップ王子は、甘えすぎた。
側近たちは、侮りすぎた。
そして親であるジョルジュは、目を背けすぎたのだ。
リディアのまわりにいた侍女たちはアッカーソン侯爵令息を手先とした側妃によって買収されており、彼女の現況を上に訴えることはせず、すべてリディアに押し付けることによって長年隠蔽してきた。
そんな侍女たちにフィリップ王子の側近たちも手を貸し、さらには彼らを背後で操っていた側妃が後押しした。
多分に手のかかる国王と、少し身体の弱い第三王子にかかりっきりだった王妃は、慌てて問題がなかったはずの第一王子に意識を向けたが、すでに問題児となってしまっていた長男の是正は、普段より能力に欠ける国王を支えるのに手いっぱいだった彼女の手に余った。
王宮のいびつさが、有能で真面目な存在を使いつぶしている。フィリップ王子の一件で表沙汰になったそれは、けれども歪みの原因筆頭が国王だったため、表に出すには無理だった。国王と第一王子の無能さは、王妃と上層部の貴族たちによって隠蔽されることとなった。
王室に見切りをつけたジョルジュは、リディアを下がらせようと動き始めた。さすがに十六の娘に背負わせるには酷すぎるし、第一王子と成婚させたとしてもその将来は暗い。
フィリップ王子がリディアの力で運よく王太子、ひいては国王になれたとしても、あの有様ではすぐに側妃や愛妾を山ほど作り、リディアは便利に使われ続けるに違いない。子を設けることすらないかもしれない。
政略で結ばれたものだからこそ、利のない縁ならば断ち切るべきだ。そう判断したジョルジュに、他でもないフィリップ王子が味方をした。あろうことか、あの王子は平民の娘を孕ませ、妃にすると妄言を吐いたのだ。
王室典範すら知らないことを露呈して恥じることもないその無知さに、ジョルジュはいら立ちながらもほの暗い笑いを浮かべた。義娘を便利に使ったのだ。今度は王子が使われる番だろう。
結果、王妃は長男をあきらめた。
側妃は体調不良を理由として王宮から放逐された。
手先となったアッカーソン侯爵家は後継であった長男を失い、また褫爵までいかないものの、子爵家へとその地位を落とした。
第一王子は北の離宮に押し込められ、表舞台から姿を消した。
側近たちは地位を失い、実家に戻ったり放逐されたりした。
側妃の手先となって王子たちを誘導した侯爵令息は、父であった当主により毒を与えられた。
そしてすべての火種となった平民の娘はその胎の子と共に殺され、その家族もまた監督不行き届きとして同様に処された。
そこまでして、ようやくリディアはアークベリー公爵家に戻ってきた。
心身ともにすり減ってしまった義娘は、王都邸の自室から出てこれなくなった。泣くこともなく、ただただ虚空を見据える少女は、もはや人ではなく人形のようだった。
ジョルジュも家族たちも、そんなリディアをどうしていいかわからなかった。リディアはその生活の大半を王宮で過ごしていたのもあり、彼女がなにを好むのか、誰もそれを知らなかったのだ。
家族のようで家族でなかった。それを突きつけられたジョルジュは、せめてもの償いとしてリディアに新たな縁談を準備した。この家ではリディアは一人のままだ。
生家に戻すことは、リディアの築いてきた立ち位置が許さない。王妃教育の学べる部分まで学んでしまった娘は、国や王家から離れることは許されなかったからだ。王家に連なる家で、きちんと家族を作れる環境を与えてやらなくては。
リディアが抜けたせいで、王宮は混乱している。今まで少女一人に頼り切っていたツケが現れていると最初は鼻で笑っていたジョルジュだったが、上層部でリディアを国王の側妃に上げる案が出たところで思い切った。リディアは早急に嫁がせなければならない。これ以上、あの子を王家のいいように使わせるわけにはいかない。
エインズワース公爵に白羽の矢が立ったのは、もはや必然だった。
先代王の姉を母に持ち、王位継承権もある独身の公爵。少し年は離れているものの、政略結婚ではよくあることなので問題はない。前妻との間に娘がいることが懸念ではあるが、公爵自身の性格はリディアとよく似て真面目なので、多分相性はいいだろう。
なにより、宰相室にて働く公爵もまた、リディアのように王宮に酷使されていた。ずっと働き続けてきたリディアが自由になることは大切だったが、彼女の性質的になにもしないままでいる期間はそう長くないだろう。公爵夫人となってしまえば、きっと宰相補佐として領地運営もままならなくなっている公爵を佐けるはずだ。
リディアの才能は、野に埋もれさせるには惜しい。だが、使いつぶされるわけにはいかない。そういった観点からも、エインズワース家は相応しかったのだ。
そう決めたジョルジュは王家に圧力をかけ、エインズワース公爵を呼び出し、縁談を調えた。
義父として、なにもしてやれなかった。つらい立場に気付いてやることすらできなかった。
だからこそ、次こそは間違えずに手を差し伸べたい。
人を頼ることを知らない娘ではあるが、ジョルジュが手を差し伸べ続けるのにリディアの意思は関係ない。彼女が気付いたならば使うだろうし、気付かぬままならそっと助力すればいい。
いくつになっても学ぶべきことは多いな、とジョルジュは思った。
横やりが入らぬよう、短期間で嫁がせたリディアから手紙が来たのは、結婚してしばらく経ってからのことだった。
多忙を極める夫が帰ってこないため、アークベリー公爵家から手を回してほしい。初めて義娘からされた〝お願い〟は、生真面目な彼女らしく自分のためのことではなかった。
婚前に釘を刺したというのに、あの若造は仕事の鎖から抜け出ようとしなかったらしい。彼もまた、リディアと同じく人を頼らず自分で済ませてしまう性質なのかもしれない。
だが、初めての義娘のお願いの前に、エインズワース公爵の意向は関係ない。第一、家のことをおざなりにするのは公爵家当主としていただけないではないか。
ずっと家のため、王家のために走り続けてきた義娘に、翼を休める家を与えてやりたい。至らぬ自分では彼女を安らがせることはできなかったが、真面目なあの男ならば、互いに支えあい、双翼となることができるだろう。
そう願って組んだ縁談は、どうやらうまくいっているらしい。
休職して王宮から出たエインズワース公爵は過労で倒れ、それを理由に家族と領地に戻ったらしい。リディアからは謝意と共に領地に行く旨の便りが来たし、エインズワース公爵からも手を煩わせたと謝罪の手紙が来た。
生真面目な手蹟で綴られた感謝の手紙たちを読みながら、ジョルジュはひとり満足げに笑ったのだった。




