どうしてこんなに泣きたくなるのでしょう
「リディ、見て見て! マーサが作ってくれたの!」
青い花をメインとした花冠をかぶったアディは、控えめに申しましても天使そのものですわ! 陽の光に銀の髪がきらきらと透けて、なんて愛らしいのかしら。
「アディ、とても素敵ですわ! お姫様ですわ!」
「リディにも貸してあげる」
「まぁ、嬉しい。ですが、わたくしも作ってみたいんですの。マーサに教わって一緒に作りませんこと?」
「やるー!」
わたくしの提案に、花冠をかぶったアディが笑顔で頷きました。
この可愛さ……絵師を連れてきて描いていただきたくなりますわ。ああ、でも何時間もじっとしているのはつらいから、ダメですわね。そういえば、婚約していた頃、準王族としての義務で描かせていたわたくしの肖像画たちはどうなったのかしら。フィリップ殿下と並んだ構図でしたから、きっと処分されているでしょうね。あの絵師に申し訳ないことをしましたわ。
マーサに花冠作りを教わりながら、そんなことを考えます。集中力が欠けていたのがいけなかったのか、初めて作った花冠は納得がいくものではございませんでした。意外と難しいんですのよ。気を取り直して二つ目を作ると、ようやく恥ずかしくないものができます。
「奥様、とてもお上手です! もうこんなに立派なものをお作りになるなんて」
「リディ、すごーい!」
マーサやアディが褒めてくださるのが、とてもくすぐったくて、嬉しい。あたたかな気持ちになんだかむずがゆくなりますわ。
「まだまだですわ。でも、なにかを作るのってとても楽しいんですのね。この花以外では作れませんの?」
「茎が長く、しなやかな花でないと編めないです」
「そう、折れてしまうからかしら。だからこの花がよろしいのね」
美しくても、折れてしまってはダメなのね。花も。
わたくしは、手元の花を見ました。しなやかな力は、くわえられた力を逃がして花冠を作り出すのね。わたくしも、こんな風でありたいですわ。王子妃という未来ではなく、公爵夫人という現在にたどり着いたわたくしは、このままここで美しく在れるかしら。
「わたくし、視野が狭かったのですわね……」
「リディ?」
出来上がった花冠を手にしたままのわたくしに、アディが近寄ってきました。覗き込むその顔に心配の色を見て、慌てて微笑みます。子どもに心配をかけてはいけませんわね。
「わたくしも、まだまだ学ぶことは多いと感じておりましたの」
「花かんむりを作るのも、勉強?」
「ええ、わたくしにとっては。だって、ねぇアディ。わたくしにも生み出す力があるのだと、今改めて思いましたの。刺繍はいたしますけれど、忙しくてそちらもずいぶんやっておりませんわ。だから、なにかを作り出すことが久しぶりで」
目が熱い。涙が出そう。ああ、ただ花冠のことを話しているだけなのに、どうしてこんなにも泣きたくなるのでしょう。でも駄目よ、泣くようなことではないわ。
「楽しかったのですわ」
笑え。笑うのよ。涙は貴族女性にはふさわしくありませんわ。
「楽しいなら、よかったよね」
「ええ、楽しいことはいいことですわね」
じっとわたくしの手元の花冠を見つめるアディに、そっとそれをかぶせます。マーサの花冠と重なって、なんだか豪華になりましたわ。
「重くはない? ああ、マーサのものと一緒にしたら華やかですわね」
「リディにはわたしが作ったのあげるね」
「いいんですの? こちらも額装したいですわ……ああ、でもお花は枯れてしまうから駄目ですわね」
絵とは違う生花は、残したくとも枯れてしまうので残念です。ため息をついたわたくしに、アディとのやりとりを見ていたギデオン様がおっしゃいました。
「それなら、絵を描かせるか?」
「まぁ、ギデオン様。嬉しい提案ではございますが、それは無理ですわ。絵師の方がいらっしゃる前に枯れてしまいます」
「いや……素描でよければ、ダグが描ける。小さいものでいい、頼めるか?」
ギデオン様のお声に、側で控えていたダグがジャケットの隠しからメモ帳とペンを取り出します。ダグはわたくしにとってのレイラのような役割も持っておりますから、筆記用具やメモ帳を常に携帯しているのですね。
「あ、アデライン様の画紙をお持ちしております! パステルも!」
アディの荷物を管理しているアリスが慌てて立ち上がりました。ピクニックの先が花畑ということもあって、念のため用意していたそうよ。絵を描くことが好きなアディのことをきちんと理解して準備できている侍女に、わたくしは満足いたしました。
言われたものだけでなく、先回りして様々なことを準備できる資質は得難いものですわ。王都邸のときには見られなかった仕事ぶりに、アリスの成長も感じます。王都邸の皆は、良くも悪くも指示された仕事を踏み越えることはなかったから。アディの筆頭侍女であるハンナもそうだけれど、本当に、彼女をアディに付けてよかったですわ。
「わたしも描く!」
画材を出すアリスに、アディが手を挙げました。もちろんです、とアリスがアディに返すのを見ながら、わたくしはダグに尋ねました。
「ダグ、アディが動いていても大丈夫かしら。ほら、肖像画を描くには何時間も動かないでしょう?」
「では、お嬢様が絵を描いている姿をお描きいたしましょう。多少動いても大丈夫ですから」
「できるの? まぁ、すごいのね、ダグ!」
椅子に何時間も座っていた過去を思い出したわたくしは、アディに苦痛を与えないと知って安心いたします。微笑んで微動だにしないあの時間は、苦痛でしかありませんでした。フィリップ殿下も後から荒れましたし……本当に大変でした。
「はは、描くのが素描だからですよ。後からそれを基に絵を描き起こしましょう、奥様」
「いいんですの? 嬉しい!」
敷布の上に画板を置き、さっそくアディは色とりどりの花畑を描き始めました。青、薄紅、黄色、赤……様々なパステルを画紙の上に広げていくアディは、本当に絵を描くことが好きなのね。
「水色の服がわたし。こっちがリディで、反対にいるのがお父様ね」
アディは花の向こうに三人の人影を描いていきます。水色の服のアディ。右側に同じ色の服と黄色の髪の毛をしたわたくし。反対側に黒服のギデオン様。色彩豊かな絵の中で、ギデオン様の黒が目立って面白いですわ。
「とても素敵……なんて素敵なんでしょう。キラキラしていて、あたたかくて、わたくし、この絵が大好きですわ」
「えへへへへ」
嬉しそうに笑いながら、アディは自分が持っている四角が鱒のサンドウィッチということや、わたくしが持っている三角が果実水であることを説明していきます。アディがこのピクニックを楽しんでいてくれることが、そこから伝わってきて……本当に嬉しい。
「忘れてた! 花かんむりも描かなくちゃ」
「そうですわね、大事ですわね」
わたくしの横で、アディは絵の人物たちに花冠を描き足していきますわ。わたくしの上に薄紅の花が、アディの上に青い花が足されます。人の顔ほどもあるその花は、アディの喜びを表しているようですわ。
「……あぁ、これはいい」
そんなわたくしたちのやり取りを見ていらっしゃったギデオン様が、そんな言葉を漏らしました。顔を上げると、ギデオン様はわたくしのようにダグの手元を覗き込んでおります。まぁ、そんなに素敵な絵になったのかしら。
「ダグの絵も見せて!」
絵を描くことだけでなく見ることも好きなアディが、手にしていたパステルを放り投げてダグの元へ走りました。夢中になってしまうとまだ仕草から作法が抜けてしまいますが、それでも最初の頃からすればとても令嬢に近づいておりますのよ。
「わぁ! これ、わたし? リディもいる!」
「わたくし?」
一瞬首を傾げましたが、そうですわ、アディの花冠をまだわたくしが頭に乗せたままでした。花を描き残すのに、わたくしまで入ってしまったのね。
「まぁ、花冠をお渡しするのを忘れてしまって申し訳ないわ。ダグ、こちらよろしくね」
花冠を渡そうと近寄ると、ダグの手元の絵が目に飛び込んできます。下を向いて懸命に絵を描くアディに……微笑んで寄り添うわたくし。美しい花冠をいただいたその姿は、今まで目にしたことがないほどやさしく微笑んでいました。
「素敵に描いてくださったのね。ありがとう存じます」
フィリップ殿下の隣で儀礼的にほほ笑んでいたわたくしとは違って、生き生きとしたその姿は、アディの絵のようにあたたかいものでした。
「……よく、似ている」
絵の中のわたくしに指を這わせて、ギデオン様がおっしゃいます。え、わたくし? アディではなく?
「リディだね」
「ああ、いつもアデラインの隣にいるときの顔だ」
アディとギデオン様が微笑みあう横で、わたくしは絵から目を離せないでおりました。
わたくし、こんな風に……笑っているの? こんなに、笑えていた?
ぐっと目元に力を入れ、そっと歯を食いしばります。咽喉が引き攣れるように痛い。でも、泣くわけにはまいりませんわ。
「そう……ですの」
鼻がつんとするのは、きっと太陽がまぶしいせいですわね。
◇
日が暮れる前に領邸に戻ったわたくしたちでしたが、初めてのピクニックに疲れてしまったのか、アディは晩餐前に眠ってしまいました。ピクニックでたくさん食べたし、大丈夫かしら。そんなことを考えながら食堂へ向かいますと、すでにギデオン様がいらしていました。
「申し訳ありません。お待たせしてしまって」
「いや、私も今来たところだ」
軽く手で答えるギデオン様の前にはまだ食前酒も配膳されておりませんから、たしかに今いらしたところなのかもしれませんわね。
納得したわたくしは、ギデオン様の向かいの席に着きます。わたくしの着席と共に食前酒が運ばれてまいりましたわ。
「今日はお付き合いいただきましてありがとう存じます」
「いや、いい息抜きだった」
そうですのよ、この方、領邸でもお仕事ばかりしようとされていたんですわ。息抜きも大事だとわかっていただかないと。
「定期的にお誘いいたしますわ。少なくとも日に一度、お茶でも」
「いや……」
「アディの成長は待ってくれませんわ」
また仕事にかまけるのは許しませんわよ。領主としてお仕事も大切ですが、娘も大切にしていただかないと。
「休憩を挟んだ方が仕事の能率も上がりますし、なにより下の者たちが休めますわ」
そうなんですのよ。上が働かないと下が大変なのですが、上が働きすぎても下は大変なのですわ。お互いのためにも休憩は必須です。
「わたくしに肩代わりできる部分はいたします。ですから、アディのこともできる限り見てあげてくださいまし」
「善処しよう」
「確約をいただきたいところでしてよ」
会話をしているうちに前菜が運ばれてきます。香草と共に塩漬けされたヴァーノン鱒は彩もよく、かけられている紅胡椒がアクセントになっていておいしそうですわ。
「領邸ではよく鱒が供されますの?」
「ああ、やはり鮮度がいいものを使えるのでな。こちらでは魚料理が多い。リディアは魚は好きか?」
「わたくし、なんでも食べますわ。好き嫌いはございません」
まだ、好きなものがはっきりしないとは言い出しづらくて、わたくしは言葉を濁しました。好き嫌いがないことはたしかですから、嘘ではございません。
「そうか。私は肉より魚が好きだ。エインズワースで育ったせいもあるが」
「たしかに、こちらの塩漬けは塩辛くなくておいしゅうございます。この鱒を食べ慣れてしまうと、王都の魚料理は厳しいのではございませんこと?」
王都まで運んでくる間に傷んではいけないので、基本的に王都で食べれる魚料理は塩漬けされたものが多いのですわ。王宮は淡水魚を飼う池がございましたけれど、公爵邸ではまず火を通さない魚は出ておりません。
「そうだな。久々に食べて、この味が好きだったのだと思い出したところだ」
そう言うと、ギデオン様はふわりと笑いました。最近、よく微笑まれるようになってよかったですわ。疲れ切ってしまうと、感情は動きませんもの。
「お好きな味に再会できてようございました」
「あなたも好きな味に巡り合えるといいな。気長に探していこう」
「え……?」
つとフォークが止まります。わたくしの、好きな味?
「あなたはなにが好きなのかわからないと言う。だから、ひとつずつ見つけていこう。この鱒の前菜は好きな味か?」
好きな、味。わたくしの。
わたくしは、手元のお皿に視線を落としました。白いお皿に横たわる鮮やかな紅色。塩味の中に混ざるかすかな甘みと、共に漬けられた香草の独特な香り。ソースに混ざった杜松の実の香りも涼しくてよろしいわ。紅胡椒は彩も刺激もいいわね。添えられた香草もくせがなくておいしい。
「……そうです、ね。わたくし、……この前菜は、好きです。多分……ですけれど」
好き。好き……だと思うのだけれど、合っているかしら。わたくしは自分の好きなものを思い浮かべます。好き……好き、そうだわ、アディのことは大好きです。あの子といると、気持ちが浮き立つの。この料理を食べて、わたくしの気持ちは浮き立っているかしら?
嫌いではない。それだけは確かです。おいしいです。そう、それも間違っていないわ。口に合っていて……。
「そうですね、また、こちらをいただきたいと思うほどには、好ましく思っております」
「そうか。それはよかった」
わたくしの返答がお心にかなったのか、ギデオン様は再びふわりと微笑まれました。




