三十九話 黄昏の時代
神は天にしろしめし、
眷族たる竜は地に墜つる。
世は全てこともなし。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
時刻はすでに夕暮れに近い。空には、今にも沈まんとする太陽と、その光を受けて薄白く輝く月の姿。街は暮れ方の濃い藍と日没の橙色に染められていた。
帝都で最も高いキャピトリヌスの丘には、太陽神と月神の神殿や、ロムルスの国旗にもあしらわれる白竜を祀った神殿が並んでいる。これ以外にも、ロムルス市街を歩けば至る所で種々多様な神々を祀った神殿が見られることだろう。黒竜神殿を頂点とし、それ以外の全ての信仰を邪教として打ち払うカルティアとは対照的な眺めと言える。
丘の頂上、ロムルスの街を一望できる見晴らし台の上に立つプレシアは、今しがた終わった元老院議会への報告と今後のエシリアの処遇に関する議論を思い返していた。
クラウネルとクラウディオは戦の中で死に、王都シルニアを襲った謎の竜によって先王とその隠し子であるエアも死んだ今、エシリアの王位を継ぐにふさわしい人物はほとんど残っていなかった。結局は、戦争初期に万一のことを考えてシルニアを離れていたクラウディオの遺児が担ぎ出され、彼を傀儡とした政権が発足することになったのだと言う。
実質的なロムルスによる植民地化でもあれば、政権に残ったエシリア人たちの中に、問題の遺児の出自の怪しさを指摘できる者は誰もいなかった。
また、もう一方の戦争当事者であるカルティアはと言えば、謎の竜が去った後に素早く展開しエシリア海軍を接収したロムルス軍と、今も激しい戦いを続けている。プレシアが伝え聞いた限りでは戦闘はおおむねロムルス優位に進んでいるらしく、カルティアをエシリアの地から追い落とす日も近いということだった。
これらの功績に大きく貢献したとしてプレシアは、フェイト家の当主たることを正式に認められ、元老院議員の資格を与えられた。チュニカにマントを羽織った男装姿、しかも隻眼の若き麗人となれば周囲の注目を集めずにはおられなかったが、ロムルスにおいて戦場で追った負傷は尊称の的となる。
若い女性であるプレシアが海千山千の元老院議員とやり合うに当たっては、隻眼であることは箔としてむしろ優位に働くというものだった。
そして彼女の後ろには、常に付き従う若い竜騎士の姿があった。
ロムルスの竜騎士ヒルダ・レムニカは、今はフェイト家のしきたりに従ってレオンティナ・チャームブランドと呼ばれることが多くなっている。もとより周囲と積極的に交流する人間ではなく、唯一仲が良かったプリス・バリアヌスとアレジア・バリアヌス姉妹も死んでしまっていれば、そうした変化は周囲にもおおむね違和感なく受け入れられたといっていい。
「何をお考えですか、我が主?」
プレシアの瞳はロムルスの街を映していたが、彼女が本当に見据えているものはもっと先にあることを見透かすような騎士の問いだった。
「大したことじゃないわ」
プレシアは隻眼をちらりとそちらに向け、薄く微笑む。
「……始まりの七竜。すでに四体が失われ、その内の三体までもが私たちロムルスによって命を奪われてしまった。残るはカルティアの黒竜に、遥か東方にいるとされる金竜、そして実在すら疑われている〈黒よりなお黒き竜〉の三体でしかない」
騎士が黙ってうなずく気配を感じ取りながら、プレシアは続ける。
「誰も口にしようとはしない。けど、上に立つ者ならば、竜を失った大地が疲弊し、恵みの量が減ってきていることに薄々勘付いている。だからこそ、新たな恵みをその手にしようと、侵略と収奪をさらに激しくする。まさしく、神話に謳われる黄昏の時代そのものだと思わない?」
「……我が主は、黄昏の世界の中で何を成されるのか?」
彼女の問いが答えを期待したものではないことを感じ取ったのだろう。騎士は先を促すような問いを投げる。
「さあ……世界でも救えばいいのかしら?」
どこか投げやりな主の口調に、騎士はその場でそっと膝をつく。
「我が主がそれを望むのならば、このレオンティナ、主の剣として一命を賭しましょう」
眼下に広がる喧騒は、ここから見下ろせばどこか遠い。
忙しく立ち働く人々の姿は、小さく儚い。
足元の墓碑に捧げられた小さな花が風に舞い上がる先を追い、プレシアはそっと目を細めた。