第二章 休暇 ~その壱~
7月二25日(木曜日)
名鉄ビル内のバスターミナルでバスに乗り込む。ほぼ満席だ。
隣には、大学生とみられる女性が座っている。窓際に身体を寄せてはいるが、半袖から剥き出しの腕がこちらの肘に当たりそうで、少しだけときめいている。
東海北陸自動車道に入る頃には陽が沈んでしまい、赤焼けた空が徐々に暮れていくのを眺めている。
バスに揺られながら、オフィスを出る際のことを今一度思い返す。
休暇を申し出る前に、伯父が亡くなりまして、と釈明した。葬儀に出なければならない、とは言えなかった。嘘をつければ良いのだが、ことは神社も関わっているので臆してしまった。
企画はどうなっているのだ、と詰問されることもなく、怒られることもなかった。そういう点では、居ても居なくてもいいのかと虚しくなってしまう。ただの下働きだったのだろうかと。
5年前、会社は事業拡大ということで第三制作室を作り、新規で二名採用した。俺と塚本だ。ちなみに、前年度は採用無しで、その前の年に番場が入った。
番場はプランナーとしても働けるし、塚本はデザイナーを兼ねている。俺だけがスキルがない。そのため、主に渉外を任せられることになった。嫌ではないが、とにかく疲れる。
5年間働いている。その間、一度だけ故郷へ帰った、3年前に。
連休は忙しいし、この仕事には盆も正月も関係ない。ただひたすらディレクターになることを夢見て堪えている。
給料は手取りで22万円ほど。悪くはないが、1DKの部屋代で7万円かかり、食費は3万円ほどかかる。電気、水道、ガス等のライフライン費用が3万円かかる。生活関連費用が2万円かかり、携帯料金1万円で、それを引くと、残りは6万円になる。
大学へ入る際に学生支援機構から借りたお金の返金は20年支払い続けなければならなく、月、35、000円ずつ返している。貯金を月1万円しているため、残りの15、000円が小遣いとなる。
服を一着、ゲームを一本、月二回ほど飲みに行くと、終了だ。名古屋に住んでいるが車は持てない。免許証は持っているが。
ちなみに、ボーナスは、俺が入社する前年までは出ていたそうだ。事業拡張が響いているのだろう。
27歳になるが、彼女はいない。
隣の女性に視線を送る。ひたすらスマホを見ているため、髪の毛が下がっていて顔を窺うことはできない。窓際に座っているのに外の景色を眺めることもない。もっとも、夜だけど。おまけは、イヤホンをしているため、話しかけることもできない。
突っぱねていた肘を戻した。
外を眺めてみる。高速道路だが山道に入っているため、ほとんど何も見えない。パーキングエリアの灯りがオアシスに見えないこともないが。
神社を継いでも、祭りなどできないだろうと、東畑は言った。指摘されるまでもなく、できない。
しかしと、思い出してみる。大学のゼミで、祭りの会議に参加させてもらったことがあることを。
名古屋都市大学、人文学部、都市科学学科。ゼミで、祭りと地域住民はどう関わってきたのかを調べた。
父のツテで、祭りを行う神社の会議に参加させてもらった。
広い会議室の端にゼミの仲間と座っていたのだが、会議の印象はというと、何事も前例通り、だった。配布された資料には、事細やかに祭りの進行が記されていて、各組の係の行うことも表記されていた。
会議は速やかに進行していき、誰も異議を差し挟むことなく終えた。大切なことは、祭りとは例年通りに行うことだと、気がつかされた。
翌日、仲間と一緒に、法被を着て屋台を曳いた。
太い綱を握り、動き出す際には力がいるので、まるで綱引きを行うようだと心が躍った。曳いているだけでテンション上がってきて、踊りといい、唄といい、身体を動かすことと祭りを執り行なうことは一体なのだと感じられた。
だからこそ、前例通りに進行する必要があるのかと。
型は必要なのだ。深みはその中に現れる。と、悟ったものの、神髄は泥濘の生活の中に埋没してしまったが。
……
午後8時30分ころ、高山駅バスターミナルに到着する。
名古屋に比べると、比べること自体が無謀なのだが、小さいものだ。30メートルほどの番台にホームが三つあるだけだ。
隣接する箱形建築の高山駅舎に入る。エスカレーターで階上へ上がり、線路を跨ぎ、『白山口』へと降りる。
駅前は小さなロータリーになっている。
欧米人の団体が、ホテルから迎えにきたコースターに乗り込んでいる。とても賑やかだ。
落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせ、俺は歩き出す。
市民文化会館沿いの道を西へと向かう。父の住むマンションは川沿いに建っている。歩いて五分ほどの距離だ。
四階建てマンションの二階の部屋へ階段で上がる。エレベーターなどない。
1DKで、キッチンは割と広めなのだが、八畳の和室しかついていないため、父がこのマンションに引っ越してきてからは、三回しか訪れていない。大学一回生の時の正月と、ゼミで祭りの研究で来たときと、3年前だけだ。
元々は、町の東側にあるマンションに住んでいた。四棟だけ入っている一階の部屋で、二部屋あった。俺は六畳の部屋を与えられていた。
母は俺が五歳の時に亡くなったので、物心ついてから、家事は自分で行っていた。父が買ってきてくれていたものを食べて、洗い物は父の分までした。
高校生になると、自分で弁当を作って学校へいった。冷凍物が主であったが、ご飯さえ多ければ気にならなかった。
バイトで明け暮れていたとはいえ、大学まで出させてもらったのだから、なにも不満はない。
母の思い出は……病室の中だ。
ベッドに横たわり、微笑んでいた。新しい広い病院で、俺は冒険者気取りで、病院内を歩き回っていた。微かだが覚えている。
ちなみに、母の実家の善方家では、生まれた女は長生き出来ないと聞いている。大概は、少女のうちに亡くなってしまうそうだ。唯一の例外が母であった。
呼び鈴を鳴らす。ブザーの味気ない音が外まで響いている。
ドアがこちら側へゆっくりと開く。入ろうとして、玄関に初老の婦人が立っているのに気がついた。
「あっ、すいません」
しばらく帰ってこなかったので、部屋を間違えたのだ。
だが、婦人は微笑んでいる。柔らかい表情をした女性だ。
「憲親さんやね……」
はい、と答えると、婦人は身体を避けて、入るように言った。
「お酒を飲んで、寝てしまったで……」
キッチンに入ると、閉じられている襖を婦人は指差した。
テーブルが端に避けられていて、敷き布団が畳んで置いてある。その上に枕とタオルケット。
キッチンで寝てくれということだ。
「あっちにおるで。何でも冷蔵庫から出してくれていいで、風呂はシャワーだけだけど」
と、婦人は隣の部屋へ消えた。
いつからか知らないが、父には同居人がいたのだ。
還暦をとうに過ぎた父と、還暦くらいの婦人。どこで知り合って、どういう経緯で一緒に住みだしたのか。
そのことは息子に伝える必要はないと、父は判断したのだ。
頭の隅にショックの残り火があったが、かといって、嫌な気も起きず、寂しさも湧いてこない。ただ、そんなものかと思える程度だ。
それと、今夜はお世話になるけれど、もうここに泊まることはないのだということだ。
7月26日(金曜日)
早朝。二人が起き出す前に、部屋を出る。
お金を節約するために、ジャーからご飯を掬い、冷蔵庫から総菜を出して、おにぎりを作り、バックパックに詰めた。
朝は涼しいくらいだ。ポロシャツの中にランニングシャツを着た。名古屋では考えられない。そういえば、父の部屋にはエアコンがなかった。
バスターミナルへ向かう。朝だというのに観光客でごった返している。平湯行きのバスに乗る。
夏休みなのだ、世間は。平湯から乗鞍方面へ訪れる観光客が大勢いるということだ。
立ったまま20分ほどバスに揺られ、丹沢町日承地区にある、舟喜神社前バス停で降りる。一人だけだ。
国道沿いで、田んぼの他は何も無い場所であるため、同じく立っていた乗客はこちらを興味深げに見ていた。
辺りは広々としていて、空も快晴で、気分は爽快だ。
国道を渡る。手前に大きな岩が鎮座している。
思い出した。高校の時、二年生だったと思うが、舟喜山を登ったことがある。記念にと、この岩の前で友達と携帯で写真を撮った。データは残っていないが、その岩の前で佇む。
見てみると、平らに削られた正面に碑文が刻まれている。郷土の文士による漢文で、読むことができない。
そこから左手に緩やかな登り坂がある。50メートルほど行くと、舟喜山が控えている。
正面に朱の鳥居があり、石段が上に伸びている。
20段ほど上がった辺りから、杉木立が炎のように形取り、円錐形である標高80メートルほどの山を覆っている。
これを自分が所有するのだと意識したら、何とも奇妙な気分になった。心の底から笑いが込み上げてくるようでいて、頭の天辺から冷や水を浴びせかけられるようでもある。
鳥居に向い歩き出すと、車一台分ほどの道幅の道路は山に沿って右側に曲がっているのだが、そこに軽トラックが停まっているのが目に入った。
少し離れたところで、作業着姿でヘルメットを被った男二人が山を計測している。軽トラックには『東畑土建』と記されている。
まだ何も決まっていないのに、舟喜山の計測だけは始められているようだ。
朱の鳥居を潜る。5メートルほど進むと石段になるので、上がり始める。
幅3メートルほどの石段の両側に幹の太い大きな杉の木が直立している。注連縄が括りつけてある。
登りながら潜ると、辺りは一気に薄暗くなる。大気も若干土の臭いを帯びてくる。
真夏なのに温度も下がったようで、湿り気のある風が緩やかに吹いてくる。
石段は20段で切れて、一旦平らな場所になる。土を踏みながら3メートルほどいくと、先ほどより狭い、二人が並べる程度の幅の石段が遙か上まで続いている。
200段あるそうだ。数えたことはない。
両側を覆う杉木立の向こうに、小さな青空が臨める。境内がある場所だ。
石段を数えることなく登っていく。三分の二ほど上がったところで、右側の木立の合間に、五歩ほど入った先に、墓石のような石が置いてあるのが目に入った。
苔むしているが、何か碑が刻まれている。墓ではないようで、何かの目印だと推測されるが、今は読まずに登り続ける。
頭上の木々の合間から光が無数の柱となって降り注いでいる。森の中にいるように薄暗いのだが、光の柱がキラキラと輝いていて、聖域に入ったのだと身が竦む。
八分目ほど登ってくると、ずいぶん息切れしているのに驚く。たしか、高校の時は駆け上がっていった印象が残っているが、現在は駆け上がるどころか、歩くのさえ辛くなっているのだ。
最後の一声「どっこらしょ」と、かけ声を掛けて、それがおかしく笑いが込み上げてくるが、石段を登り切ることができた。
神社の境内に入る。
境内の広さは、横に30メートルほどあるだろうか、正面、10メートルほどのところに、神殿がある。
左手に、朽ち果てる寸前の絵馬殿がある。リヤカーや、使われなくなった棚など多数放置してある、神事をここで行うことなどできるのだろうかと、疑ってしまう。
そこを過ぎて、神殿の土台である石垣の前に立つ。右手に手水舎がある。
人の背丈ほどの石垣に石段がついていて、上がった先に、間口が五間ほどの拝殿が建ててある。
その右手には、少しだけ離れて社務所が建てられている。子どもの頃、その建物で眠っていて怖い思いをしたのだ。
全体的な印象としては、田舎の寂れた神社だ。それを俺は受け継ぐことになる、のかもしれない。
石段横の立て看板を見てみる。
神社の由来と、御祭神が記されている。
舟木神社は創祀未詳なれど、奈良時代に、国守により社殿が建立されたとある。江戸時代に再興となっている。
御祭神 天照皇大御神
石段を上がり切ると、神殿は高床になっているため、木の階段を5段上がる。
拝殿の前に立つ。
扉の前に、お賽銭箱。
軒下に扁額が掲げられている。『舟喜神社』と読める。
鈴がぶら下げてある。縄はほつれているし、鈴も所々錆が浮いている。
入り口は間口二間の四枚扉。真ん中一間が両側に開く。
閉めてあるが、雨水による染みが黒く目立つ、いかにも建付けの悪い感じの扉だ。
開き掛けに力が要ったが、思ったよりも楽に戸は開いた。中から、かび臭い臭いが漂い出てくる。
靴を脱ぎ、畳の床に一歩踏み入れると、パンと張り詰めたような空気に気圧されてしまった。
「侮れないな……」
どうしてそんな言葉が口をつくのか、呆れながらも、跪いてしまう。
目の前に記帳代が置いてある。記帳の横に、お守りの御札が重ねて載せてあり、小さな料金箱も添えられている。料金を入れて自由にお持ちください、ということだ。
お賽銭箱にお金を入れなかったことに気がついた。御札は要らないが、小銭入れから百円玉を出して、料金箱へ入れる。
この百円は、自分に戻ってくるものだと気がつく。なんとも妙な気になってしまう。
座ったまま、正面奥のお鏡に向い二礼二拍手一礼する。会社に入ってから教わった所作で。
ついでに記すが、会社の第一制作室の広い部屋には神棚が祭ってあり、半期に、神主さんに来て頂き、社員全員でお参りをする習慣がある。
紐で綴じてある記帳を開いてみる。驚いてしまった。全国各地から訪れて来る人の多いことに。
東京、大阪はごく普通に記してあり、なかには、沖縄からお参りに来ている方も見えた。それに比べ、地元民はあまりお参りに来ていないみたいだ。記帳しないだけかもしれないが。
日付を調べてみると、直近は四日前の日付だった。埼玉から来られた方だ。平均して、週に一件はお参りに来られているようだ。
どうやら、舟喜神社は知る人ぞ知る神社のようだ。それを知り、少しだけれど動悸が上がり、頬が熱くなってしまった。
「侮れないよ……」
またもや、独り言を放ってしまう。
記帳代が置いてある二十畳ほどの部屋の左奥は板敷きになっていて、端に書架が立ててあり、小太鼓や笛なども置かれている。
正面を見やると、台座の上に大ぶりのお鏡が置いてあるが、その少し奥に御簾が下がっていて、両開きのガラス戸で閉じられている。
窺うと、ガラス戸の向こうに白木の階段が十段ほど上に延びている。上がった先に本殿があるのだ。
御簾の両側に、弓矢や刀を身に着けて守護する随神が二柱祭られている。
御簾の前に立って、ガラス戸を開けようか迷っていると、白装束の伯父が本殿から降りてくるイメージが飛来した。慎重な足取りで降りてくる姿が。
入ることなど出来ないと自覚し、踵を返す。
扉の上に地図と思しき図面が掲げられている。
近づいて調べてみると、簡略化した飛騨の地図で、御嶽、白山、乗鞍岳、位山と、霊山と崇められるお山が記されている。
そのお山が直線で結ばれていて、交点に位置する箇所に舟喜山が示してあった。
しばし眺める。
今一度お鏡に向い深々と頭を下げて、拝殿から退出した。
その弐につづく




