一 学園祭での依頼
一 学園祭での依頼
十月初旬。
朝夕にひんやりとした風が混じり始めた季節――私立桐花高校では、恒例の文化祭準備に熱気が渦巻いていた。
校舎のあちこちで大道具が運ばれ、生徒たちは色とりどりの装飾品を手に、廊下を忙しなく行き交う。熱気と笑い声と、ほんの少しの緊張が混じる、そんな放課後。
「……まるで蜂の巣だな」
誠司は窓辺でぼそりと呟いた。目の前では演劇部員たちが舞台セットの組み立てに精を出している。
その中央――照明の確認をしていた演出部長が、脚立から降りてきた。
「白石くん! ちょっと手貸してー!」
「……あー、はいはい」
そう言いながら誠司が向かおうとした瞬間、後ろから声をかけられた。
「白石くん、今忙しい?」
振り返ると、そこにいたのは演劇部の副部長・一ノ瀬 美月だった。
長い黒髪を高く結んだ少女で、見た目こそ清楚系だが、実は演劇部の脚本・演出をほぼ一人でこなしているというやり手。彼女の書く台本には感情の火薬庫のような激しさがあり、毎年注目されている。
「うちの舞台にちょっとしたトリックを入れたくて。蕾さんの力を借りられないかなって思って」
「……トリック?」
誠司が眉を上げると、美月はポケットからスマホを取り出し、一枚の写真を見せてきた。
そこには、黒いバラの造花が写っていた。花弁には微かに銀の粉がついている。
「これを舞台の最後、主役が誓いを述べるシーンで使いたいの。裏切りを示す小道具として。けど、花言葉のニュアンスとか、本物らしさの演出が上手くいかなくて……」
と、美月が言うと、納得した素振りで誠司が答えた。
「なるほど。花言葉監修ってことね」
いつの間にか背後にいた蕾が、当然のように会話に加わっていた。
「わっ……! 花咲さん、い、いつから……」
「さっきから。黒いバラ……なかなか大胆な選択。『貴方は私を裏切った』『憎しみ』、それに死の予兆もあるわ。使い方を間違えると、ただの呪いになる」
美月は一瞬たじろいだように息をのんだが、すぐに真剣な顔に戻った。
「だからこそ、やってみたいの。愛と裏切りが交差する舞台にしたい。観客の心を掴むような、ひと刺しの毒がほしいの」
蕾はわずかに目を細めて美月を見つめた。
「あなた、舞台じゃなくて誰かに向けてそれを演出してるんじゃない?」
「……え?」
美月の目に、一瞬動揺が走る。
誠司が口を挟んだ。
「ま、まあまあ。蕾、今回はただの依頼なんだし。……な?」
「ええ。でも、少し見せてもらってもいいかしら? 舞台と……そのバラも」
***
視聴覚室が演劇部の舞台稽古場になっていた。机と椅子をどかし、仮設のステージが中央に設置されている。
舞台は中世風の城を模した装飾で、奥には燭台の影絵と、血の色のカーテンが垂れていた。
「今回の舞台は『薔薇の檻』。婚約者に裏切られた王女が、自らを幽閉し、最後に血の誓いを交わすっていう物語」
美月が説明するなか、蕾は舞台を静かに歩いた。
「この黒バラは、どこで登場するの?」
と、蕾が尋ねると、美月はしっかりした口調で答えた。
「ラストシーン。彼が裏切ったと知った主人公が、バラを胸に刺して『私は誰にも咲かせられない』って言うの。そのとき、観客が初めて黒いバラの意味を知るって構成にしたい」
「……ドラマチックね」
蕾は頷きながらも、何か引っかかるように視線を舞台袖へ向けた。
その瞬間、廊下の奥で誰かが小声で話す声が聞こえた。
「……やっぱりあの花、入れたの誰?」
「誰かのイタズラじゃないの?」
誠司と蕾が顔を見合わせた。
「ちょっと、調べてみてもいいかしら?」
と、蕾が言うと、そう言うと思っていたと言わんばかりの表情で誠司が答えた。
「もちろん」
蕾は舞台袖へと向かい、衣装ラックの奥にある黒い箱を開けた。中には、予備の小道具や花飾りが入っている。
その中――ひときわ目立つ黒いバラの造花。手に取ると、花弁のひとつに小さく折れた紙片が挟まっていた。
「……これは」と、蕾。
紙片には、くすんだインクでこう記されていた。
『約束はもう過ぎた。あなたの誓いは、嘘だった』
「誠司」
蕾が言うと、誠司も何かを察したように、
「……ああ。これ、ただの小道具じゃねえな」
蕾は紙片を読み直し、視線を横へ流した。
舞台奥――そこで衣装の調整をしていたひとりの女子生徒と目が合った。
その瞳が、ふっと揺れた。
「彼女……黒木くんが言ってた主役を降りた生徒よね」
と、蕾が記憶をめぐらすと、続けて誠司が、
「……だな。名前は確か、朝倉すみれ」
***
放課後。
蕾と誠司は、中庭のベンチで朝倉すみれと向かい合っていた。
淡いベージュのカーディガンを羽織った彼女は、足元の落ち葉を見つめていた。
「……あれ、私が入れたの。黒いバラ。誰にも言ってないけど」
「どうして?」と、蕾。
すみれは、小さく口を開いた。
「最初、主役は私だったの。でも、配役が決まってから、美月先輩が変更したいって言い出したの。あなたの声じゃ、足りないって……」
「それで、降板?」
「うん。でも、何も言い返せなかった。……悔しくて。ずっと、先輩の舞台を支えてきたのに」
蕾は、彼女の手元を見た。
すみれの手首には、黒いインクで描いたような小さなバラのタトゥーシールが貼られていた。
「……誓ったんだ、誰にも咲かせないって」
その言葉に、蕾は何かを確信するように目を伏せた。
「それが、あなたの花言葉だったのね」
「……花言葉?」
「うん。花は言葉を話さない。でも、その形には感情が宿る。すみれさん、あなたの黒バラには怒りより哀しみがあったわ」
沈黙が降りた。
秋の風が、乾いた葉をさらっていく。
「……舞台に戻って。あなたの言葉を、ちゃんと伝えるのがいいと思う」
「え……でも、もう……」
「あなたが演じなきゃ、本当の意味は届かない。美月さんにも、観客にも。花は、最後まで咲きたいって思ってる」
すみれの瞳に、ふと涙の光が宿った。
誠司は、ベンチの背に体を預けながら、ぽつりと呟いた。
「……まったく、お前ってやつは」
***
夕暮れ。
校舎の窓に赤い光が差し込むころ。
蕾は、文化祭のパンフレットをめくっていた。次のページにあったのは、バラの誓いをテーマにした演劇部の紹介。
その下に、小さく印刷された言葉があった。
誰にも咲かせられないバラがある。でも、それでも誰かが、水を注いでくれることを願っている
「……バラの花言葉、まだ全部伝えてないかもしれないわね」
彼女の呟きは、誰にも聞こえなかった。
けれどその花言葉は、次なる嘘と真実を語る鍵となる。
学園祭が始まるとき、また舞台が開く。
――そして、裏切りは再び咲く。




