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花語探偵、蕾は囁く  作者: Futahiro Tada
第一章 沈黙のスズラン

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四 温室の影

四 温室の影


 日が暮れ、八重垣邸の庭にかすかな冷気が降りてきた。薄闇のなか、蕾と誠司は静かに立っていた。手には、亡き八重垣貴子の残した手紙。木箱に収められていたそれらは、明らかに誰かに見つかってはいけなかったものだ。

「……これ、警察に渡すか?」

 誠司の問いに、蕾は小さく首を振った。

「まだ早い。きっと、あの人はもっと何かを残してる。今は、それを見つける方が先」

「でも、さっきの男……あれって、ただの第三者か? おれ、どうも気にかかってる」

 蕾は、夜風に揺れる造花のスズランを見つめていた。

「私も、そう思う。八重垣さんの死に、偶然以上の意図を感じるの」

 誠司は少し黙ってから、思い切ったように口を開いた。

「じゃあ、改めて調べよう。……あの温室。昼間、入れなかっただろ。今度はしっかり見ておきたい」

 蕾はうなずいた。彼女の瞳には、いつもの静けさに加え、何か強い決意の色が宿っていた。


 ***


 温室は邸の奥、木立に囲まれるように建っていた。

 明治期のものらしく、鉄とガラスの枠組みは細工が美しく、しかし時間の風化に耐えかねてところどころが欠けていた。錆びた蝶番がギイ……と音を立て、誠司がドアを開いた。

「……うわ、湿気すごいな」と、誠司。

 内部はぬるい空気に満ち、曇ったガラスの向こうから月明かりがぼんやりと差していた。中には、鉢植えの数々と作業台、それに大きな収納棚。

 蕾は入口で足を止め、花の匂いをかぐようにしてから、ゆっくりと歩き出した。

「……この空気、違う」

「何が?」

 と、誠司は疑問に満ちた表情を浮かべながら訊き返す。

「育てるための温室じゃない。隠すための温室よ」

 その言葉に、誠司も気を引き締める。

 棚には園芸用品の他に、古い写真立てや空の瓶、使われていない薬品類まで並んでいた。雑然としながらも、どこか意図的な配置を感じさせる。

「蕾、これ見てみろ」

 誠司が指さしたのは、床に置かれた小さな冷蔵ケースだった。中にはガーゼに包まれた何かがいくつも並んでいる。

「押し花……?」

 蕾はひとつを丁寧に開き、その色褪せたスズランを見つめた。

「……ただの標本じゃない。これは、年ごとに分けられてる。記録なのよ」

 年季の入った紙に書かれた日付。○年○月○日 開花○年○月○日 発見。

 そして、2015年を最後に、記録は途切れていた。

「2015年……由子さんが失踪したって言われてる年だよな」

「ええ。それ以降、スズランは咲かなくなった。そして今、再び花束として戻ってきた……」

 蕾は押し花の入ったガーゼをそっと戻すと、作業台の引き出しに目をやった。

「鍵、かかってるわね」

 蕾が囁くと、やる気を見せた誠司が答えた。

「こじ開けるか?」

「待って。ここの脚……浮いてる」

 誠司が指摘した通り、作業台の脚のひとつだけがわずかに歪んでいた。

 彼が手を差し込むと、カチリという音とともに、引き出しが自然に開いた。

 中には、一冊のノートと写真が収められていた。

「これは……」と、小さな声で蕾が言う。

 ノートには、震えるような文字で日々の記録が綴られていた。ページをめくるごとに、八重垣貴子の心の変化がにじんでくる。

 ――由子は私を見ない。あの男がそそのかしてから、何かが変わってしまった。

 ――あの男の目は冷たい。由子を所有物のように扱う。

 ――彼の名は、久世良誠吾くぜら せいご。私の知らぬ間に、由子の夫になっていた。

 誠司が息を呑む。

「久世良誠吾……さっきの男の声、もしかして……」

 蕾はさらにノートを読み進めた。

 ――私が問いただした夜、由子は泣いていた。何も言えずに、黙って出ていった。

 ――あの夜から、私は庭のスズランに語りかけるようになった。

 ――もし、私がいなくなった後でも、誰かがこの記録にたどり着けるように。

「……やっぱり、全部仕組まれてた。久世良って男が、由子さんを操っていた。そして、八重垣さんの死を自然死に見せかけようとしてる」

 と、蕾が告げると、何かを察したように誠司が言った。

「……あの男、花束を回収したのも証拠隠滅だ」

 その瞬間、背後でガラスが小さく鳴った。

 パリン。

 振り返ったと同時に、誠司の体が押し倒される。

「っ!?」

 暗闇から飛び出した黒い影。何かで誠司の首を絞めるような力が加わった。

「誠司!」

 蕾が叫ぶ。近くにあったスコップを手に取り、影に向かって振り上げる。

 ゴンッ!

 手応え。男が呻き声をあげて崩れ落ちた。

 誠司は床に転がり、咳き込む。

「っ……なんて野郎……!」

 影の正体は、帽子とマスクで顔を隠した中年の男だった。倒れた拍子に、ポケットから何かが転がり落ちた。

「……これ」

 蕾が拾い上げたのは、携帯電話だった。画面には、通話履歴。

久世良誠吾クゼラセイゴ】の名。

「やっぱり……さっきの男。これでつながった」

 誠司が立ち上がると、男は呻きながらも逃げようとしたが、誠司が背後から押さえ込んだ。

「警察に突き出してやる……!」

「待って」

 蕾の声は落ち着いていた。だが、その目は静かな怒りに満ちていた。

「この人が、由子さんの監視役だったのよ。久世良に雇われて……そして、八重垣さんが本当のことを残す前に止めたかった。でも、失敗した」

 男は睨むように蕾を見たが、すぐに視線をそらした。

「……なぜ、花を利用したの?」

 蕾の問いに、男は答えなかった。

「花は、嘘をつかない。だからこそ、お前たちは花を使って偽りを覆い隠そうとしたのよ。……でも、それは間違いだった」

 誠司がスマホで警察に通報する。男は静かに観念したようにうつむいていた。


 ***


 温室の外に出ると、夜風が一段と冷たくなっていた。

「……怖くなかったのか?」

 誠司が聞くと、蕾は小さく笑った。

「怖かったよ。でも、花が語ってくれたの。『真実を見て』って」

 月明かりのなか、温室のガラスにふたりの影が映っていた。

 誠司は蕾の横顔を見ながら、ふと口にした。

「お前……本当に、ただの女子高生なのか?」

「……ただの、花好きよ。でも、言葉にならない声に耳を傾けることはできる」

 彼女の言葉は、春の終わりの風のように、静かに夜へと溶けていった。

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