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花語探偵、蕾は囁く  作者: Futahiro Tada
第五章 桜の約束

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三 始まりの光

三 始まりの光


 夜明が近い薄明の中、公園の桜たちは淡い茜色に染まりつつあった。

 花びらはまだ空気に揺れ、香りはしっとりと夜露を帯びている。

 ふたりは、小径を抜けて歩きながら、互いの影を背に背を寄せ合い、静かな呼吸を感じていた。

「誠司、ねえ」

 蕾がそっと言葉をかけると、誠司は囁き返す。

「うん?」

「これから、何をしよう?」

 答えはふたりの胸にあった。

 桜の季節は終わるけれど、ふたりの旅は終わらなかった。

 ――心の奥底にある可能性が、光を透かすようにゆらりと揺れる。

 その日の朝、公園はすでに人影でにぎわっていた。

 提灯の灯りが薄明を照らし、露店の準備の音が遠くから聞こえてくる。

 新たな始まりは、静かに、しかし確かに始まっていた。

 蕾と誠司はベンチに腰かけ、手をつないで黙っていた。

「なんか、これからって感じがするな」

 誠司がそう呟くと、蕾はじっと彼の指先を見つめながら頷いた。

「次の花は……まだ見えないけど」

「でも、確かに、俺たちの前にはある」

 その言葉どおり、どこまでも続く桜並木の先に、朝の光が差し込んでいた。

 祭りが始まり、人々が桜の下を散策するなか、ふたりはカフェ風の露店でコーヒーと桜餅を分け合った。

 ひらひらと舞い散る花びらを横目に、誠司がふと笑った。

「覚えてるか? 最初にふたりで花の謎を追ってたとき、お前ほんとに花好きだなって言ったよな」

「うん、言った」

 蕾は照れくさそうに笑い、その目にはかすかに涙が浮かぶ。

「でも、今ならわかる。花を追うって、ただ綺麗なものを見るためじゃないんだ。誰かを想って、記憶を受け止めて……その先で、自分たちが咲くためのものだった」

 誠司は深く頷きそう言った。そして、彼は続けて、

「それに気づかせてくれて、ありがとう、蕾」

 その言葉に、蕾も強くうなずいた。

 露店から遠く離れた芝生広場で、ひとつのステージが用意されていた。

 そこには「桜ノートの朗読会」と書かれた小さな看板が立っている。

「……やるのか?」

 誠司が小声で尋ねる。

 蕾は背筋を伸ばして頷いた。

「やる。旅の終わりに、ふたりで書き綴った物語を、ここで分かち合いたいの」

 ステージ前には、寝転ぶ子どもたち、じっと聞き入る大人たち、シャッターを押す観光客の顔があった。注目は、夜明けの光。

 胸の奥、緊張がせり上がってくる。

「じゃあ……俺、裏方やるよ」

 誠司が言って袖を引っ張ると、蕾は笑顔で頷いた。

「ありがとう。それじゃあ、終わってから…二人で、桜の小径を散歩しよう」

 誓いは交わされた。

 朗読のアナウンス音が響き、蕾はステージに上がった。

 手には桜ノート。ページをめくるたび、紙がかすかに震える。

 照明が桜の木漏れ日を再現し、蕾の声が静かに広がっていく。


 ---


 「ひとつの約束を、ずっと抱えて、春は巡る――」


 ---


 ノートには、これまでの全章の記憶が記されていた。

 ひまわりの季節、黒バラの誓い、アジサイの祈り、そして今、桜。

 聞き入る人々の表情が、ゆらりと動く。

 誠司も、涙を堪えながら、彼女のその姿を見守っていた。

「――白石、ともに咲こう」

 蕾がその一節を読み終えると、静寂が訪れた。

 桜の木の下、時間が止まったかのように。

「ありがとうございました」

 蕾は深く一礼し、客席へと手を振る。

 温かい拍手が、風に乗って二人に届いた。

 終演後、露店に戻ったふたりは、そっと顔を見合わせた。

「すごかった…見てくれた人たちが、私たちの物語を受け止めてくれた」

 誠司はふくっと笑って、彼女の肩を抱いた。

「これだから、旅はやめられないな」

「ええ……私も同じよ」

 そう言う蕾の笑顔は、これまでにない柔らかさと輝きを帯びていた。

 午後になると、公園の雰囲気は一層和やかになっていた。

 桜のトンネルをくぐりながら、ふたりは一本道を歩く。

 誠司の手には、小さな木箱がある。

「これ、なに?」

 と、蕾が聞くと、誠司は微笑んで箱を開けながら答えた。中には、小さな種が入っている。

「桜の種。旅の終わりに、俺らの始まりとして育てようと思って」

 蕾は目を潤ませながら、種をひとつ取り出した。

「……ありがとう、誠司」

 蕾はそう言うと、種を胸に抱くようにして、そっと土の上に置いた。

 夕暮れが近づき、提灯が灯り始め、桜の花びらが金色に輝いた。

「見て、誠司」

 蕾が指さす先、一本の桜の古木の下に、小さな苗木が植えられていた。

「約束の桜だっていうプレートが付いてるな」

 誠司は小さく笑いながら告げる。ふたりは苗木に手を当てた。

「ここに私たちの物語の根を植えよう」

 蕾は呟き、さらに続けた。

「どんな風が吹いても、雨が降っても、元気に咲いてくれるように」

 誠司は力強く頷いた。

「俺が、ちゃんと育てるよ」

 夜。ライトアップされた桜の木の下、ふたりは最後に約束を交わした。

「これからも…お前と一緒に、咲き続ける道を歩いていきたい」

 誠司が真剣な瞳で告げる。

「私も――あなたとなら、どこまでも、咲いていける」

 蕾はゆっくりと頷いた。

 花びらが柔らかくふたりを彩るなか、誓いは春の夜に溶けていった。

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