四 再生の花祭りへ
四 再生の花祭りへ
六月下旬。音無町では、ひんやりとする夜明けが続いていた。
空はまだ厚く曇り、紫陽花坂の石畳は未だに濡れているが、雨はほとんど止んでいた。
町の人々はそれぞれ、藤森玲子の元に集まり、祭り再開の準備を始めていた。
「――あれが、ひなたの祈りを取り戻した花。どうか、この町の記憶を繋いでほしい」
蕾がそう宣言すると、集まった人々は黙って頷いた。祭り実行委員長である地元商店主の山田さんは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。長い間、この町は祭りを続ける意味を失ってました。でも、もう一度やりましょう。…ただの記念じゃなく、ひなたさんの祭りとして」
「けっこう、気負ってるな」
と、誠司は小声で蕾に言った。
蕾は微笑んだが、その目は真剣だった。
「気負いじゃないわ。今度の祭りは、誰かの命と真っ直ぐ向き合う祭りだから」
山田さんを筆頭に、八名の実行委員が手を上げた。彼らは町の各世代——子育て中の母たち、地域の高齢者、若い商店主らだった。
「私、子どもを持つ親として……ひなたちゃんみたいに、誰かに忘れられるのがどれほど怖いか、忘れていました」
その言葉を聞いたあるお母さんが真剣そうに言う。
「でも、こんな形で思い出せるんだって気づいたんです。子どもって…忘れられるんじゃなく、きっと誰かが思い出すんですよね」
じんわりと場が暖かくなった。町全体が、重く曇った空に傘を差し込むように、少しずつ光を取り戻しつつあった。
***
翌日、祭り当日の午前。蕾と誠司は、山田商店の赤い提灯を道路沿いに吊るしている。
「いい感じだな」
誠司が提灯の明かりを手で揺らすと、揺らめく灯りが石畳にぼんやりと映った。
「濡れた夜明けに似合う灯りね」
蕾が静かに答える。
彼女の心には、ひなたの手紙に込められた雨を歩きたいという願いが根付き、今ここに形を変えようとしていた。
「坂の上には、紫陽花いっぱいのアーチを作る計画だってさ」
と、誠司が言うと、真剣な瞳で蕾が答えた。
「うん。ひなたさんが大好きだった青い紫陽花をメインに、色のグラデーションで和解の道を描くのよ」
その説明に誠司が軽く笑った。
「そこまでやるか、ってくらい気合い入ってるな」
「低予算の花祭りになるなら、せめて意味のあるものにしたいの」
その言葉は無理ではなく、むしろ誇りに満ちていた。
***
祭りが始まる昼過ぎ、雨雲はきれいに切れ、淡い日差しが石畳を照らし始めた。
人々は色とりどりの傘を手に歩き、露店では紫陽花の押し花で作ったしおりや、色紙で折った花の飾りが並んだ。
「ようし、準備完了!」
山田さんが大声で声を張ると、人々は拍手で応えた。参加者には「祈りの紋章」と書かれた小さなリボンバッジが配られ、心が繋がっている印だった。
「これを見るたびに、誰かを思い出すっていう誓いを忘れない」
ある商店主の女性はリボンを手にして言った。
「うん。この祭りは、思い出すための花祭りだから」
蕾はしみじみと呟いた。
***
祭りのメイン・イベントは紫陽花アーチの通り抜け。
石畳の坂の頂上には、青・紫・淡桃色・白の紫陽花アーチが組まれ、しずく亭の女将が独自に作った青い紫陽花の冠が用意されていた。
――参加者自らが冠を被りながら、アーチをくぐってゆく。
そして最後に、青い冠をひなたの写真立てが置かれた台に献花し、一人ひとり想いを静かに捧げる。
「お母さん……」
掲示板に貼られたひなたの写真を見つめながら、小学生くらいの少女が涙を拭った。
「ふふ……きっと、ひなたちゃんはこう言ってるよ。『ありがとう、一緒に咲いてくれて』って」
近くにいた高齢の女性がそっと肩を抱く。
光が差し込むその瞬間、子どもの傘が風に揺られ、石畳に青い光のしずくが映った。
***
祭り終了のころ、傘を返して片づける竹竿を祭りスタッフが外へ運び出していた。
蕾と誠司は、坂道の下で揃って足を止め、祭りの終わりを見守っていた。
「どうだった?」
誠司が尋ねると、蕾は笑いながらも目を潤ませた。
「すごく……温かかった。紫陽花が、ちゃんと色を取り戻してた」
坂を見上げると、青と紫の光に包まれるように、咲き誇る花が輝いていた。
「ひなたさん、今、ご機嫌だったと思うわ」
誠司はうなずき、ふたりは視線を坂のアーチに注いだ。
***
その夜、しずく亭の縁側で、蕾と玲子が語り合っていた。
「本当に、やってよかったのかもしれませんね」
玲子がつぶやいた。
「はい。大人の私たちは、終わらせるしかないと思っていた。でも……終わらせることで忘れさせるんじゃなくて、一緒に咲くこともできるんだって」
蕾はそう答え、小さな手帳を開いた。
【紫陽花の花言葉】
・移り気
・家族の結びつき
・和解
・祈りの色を取り戻す
「色…この祭りは、色を取り戻すための祈りだったんです」
「ええ。そして、今度は町の花として咲かせていく。…忘れたくても忘れられなかった花に、みんなで光を注ぐのよ」
玲子はそっと笑った。
「ありがとう。娘のために、私も花を咲かせることができました」
***
翌朝、音無町駅のプラットフォームには、再び蕾と誠司が立っていた。
「祭り、どうだった?」
すれ違う子どもたちの笑顔を見ながら蕾が聞く。
「最高だったよ。忘れられない祭りになった」
誠司は旅行カバンの上にさりげなく置いた青い冠を見て微笑んだ。
「次はどんな花が、俺たちを呼ぶのかな」
蕾は遠くの空を見つめながら、穏やかに息を吸った。
「うん。たぶん、もうすぐ――次の花が咲き始めるはず」
列車が滑り込んでくる音がプラットフォームに響いた。
その先には、新しい場所と、新しい色が、ふたりを待っている




