四 影を照らす花
四 影を照らす花
朝の光が山の向こうから射し始めたころ、ふたりは静かに旧校舎の門をくぐった。
「昨日と……空気が違う気がする」
誠司がぽつりと言う。湿った木の匂い、風に揺れる草の音、どれも変わらないはずなのに、校舎全体がどこか目覚めたような感覚があった。
「記憶が動き始めたのかもしれない。きっかけは、私たちが花を捧げたこと」
蕾の手には、一本のひまわりが握られていた。前日、畑の中心で摘み取ったそれは、どこか普通のひまわりとは違い、わずかに赤みを帯びていた。
「ねえ、誠司。記憶を照らす花って、何だと思う?」
と、蕾が凛とした声で尋ねると、難しい顔になった誠司が答える。
「……過去を思い出させるって意味か?」
「それもある。でも、本当は誰かの心の中に残っている、名前のない感情を可視化する力。言葉にならなかった想いの形……。それを、花は咲くことで教えてくれる」
ふたりは、再び鐘の塔へと向かった。
***
塔の最上階――手形の残る床にひまわりを置いたとき、不思議なことが起きた。
塔の窓から差し込んだ朝日が、その花を透かすように照らした瞬間、床に映る影が、じわりと形を変えたのだ。
「……人の形?」
誠司が呟く。花の影が、誰かがしゃがみ込んで手を合わせているような姿に見えた。
「これは、ひまりちゃんがここにいた記憶」
蕾が花の根元を優しく指でなぞると、花弁の間から何かが落ちた。
「紙……?」と、蕾。
それは、小さな和紙の切れ端だった。丁寧な文字で、こう書かれていた。
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【わたしのかわりに おねえちゃんが しあわせになりますように】
【だれかをまもれるなら わたしはきえてもいい】
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「……誰かを守るために、記憶から消えようとした……」と、蕾は言う。また、彼女は続けて語りだす。
「それが……花に込められた願い」
蕾はそっと、ひまりの影に向かって語りかけた。
「でもね。あなたは誰かのために生きる存在じゃない。あなたの花は、あなた自身の記憶を抱いて、咲いている」
その瞬間――
部屋に射し込む光がひまわりを包み、影がぐるりと広がった。
部屋の四隅に、うっすらと映し出される輪。それは、畑で見た二重円と同じ構造だった。
「塔の中にまで、同じ構造がある……?」
と、誠司がハッとしながら呟くと、隣に立つ蕾が持論を展開した。
「いや、これこそが記憶の発信点。ここからひまわりの畑に向けて、感情の波が流れていた。あの花たちは、この塔の記憶を咲き方で模倣してたの」
***
ふたりは再び畑に戻った。
ひまわりは、昨日までと様子が違っていた。
「……向きが、少しだけ空を見てる」
と、誠司が確認すると、蕾も合わせて答える。
「やっぱり、記憶が変化を始めた」
蕾は中央の円の中に入り、しゃがみこんで土を掘った。
しばらくして、何か硬いものが指に触れた。
それは、ガラスの小瓶だった。中には、押し花とメモ用紙が入っていた。
そっと開封し、紙を取り出すと、そこには細い筆跡でこう綴られていた。
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【ひまりへ】
【あのとき、約束を守れなくてごめん】
【怖くなって逃げた】
【でも、きみの気持ちはちゃんと受け取った】
【あの日の花、ずっと枯れなかったよ】
【だから今度は、僕が咲かせる】
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「……これは、ひまりちゃんの想いを受け取った誰かが書いた手紙……!」と、誠司。
誠司は瓶の底に刻まれた文字に目をとめた。
「R・H……?」
「音無町に住んでいた少年の名前かも。何らかの事情で町を離れたか、記憶を封じられた……」
と、蕾が言うと、考えをめぐらした誠司が、
「いや、ひまりちゃんが自らそう仕向けたんだ。記憶から自分を消し、誰かを生かすために」
蕾は押し花を手に取り、静かに言った。
「でも……その記憶は、ちゃんと届いていた。だから、花は咲いていたのね」
***
その夜、民宿でふたりは最後の話し合いをしていた。
「空を見ないひまわりって、最初は不気味に見えた。でも今ならわかる」
と、蕾が言い、誠司も答える。
「それは……?」
「空を見ないんじゃない。足元にある想いを見ていたんだよ。記憶の根っこを見つめていた」
蕾は深く頷いた。
「花言葉に、真実は足元にあるなんてない。でも、植物の咲き方がそう語っていた」
誠司はノートを開き、そこにひとことだけ書いた。
【ひまわりの花言葉:あなたの記憶に咲く】
翌朝。
畑に向かうと、驚くべき光景が広がっていた。
中心部のひまわりたちが、全て空に向かって咲いていたのだ。
その真ん中に、一本だけ違う色のひまわり――赤みを帯びた記憶の花が、まっすぐ天を指して咲いていた。
ふたりは無言で見つめ、その姿を焼きつけた。
そして蕾は、そっと誓うように言った。
「私、やっぱり信じたい。花には真実が宿るってことを」
誠司は静かに頷いた。
「きっと、この先も花が導いてくれる。次の謎も、どこかで待ってる」
そう。まだ、謎は尽きない。
彼らのもとには、すでに次の花が届こうとしていた。




