二 ひまわりの輪
二 ひまわりの輪
翌朝、空は不自然なほど澄んでいた。雲ひとつない青空が頭上に広がり、太陽は朝から容赦なく地面を照らしていた。
「……今日も暑くなりそうだな」
誠司が水筒のキャップを閉めながら呟いた。
「熱中症にならないように気をつけて。特に今日は畑の中をじっくり調べるんだから」
蕾の声は落ち着いていたが、足取りには明らかな焦りがあった。
民宿で簡単な朝食を済ませたふたりは、再びひまわり畑へ向かっていた。目的はひとつ。昨日、中心部で見つけた円状の凹みとひまわりの向きに隠された何かを突き止めることだった。
***
畑に着くと、昨日よりもさらに異様な違和感があった。
「……ひまわり、全部向きが微妙に変わってないか」
誠司の言う通り、昨日下を向いていた花たちの一部が、わずかに外側へと顔をそむけるように傾いていた。
「ねえ、見て」
蕾は畝の間にしゃがみ込んで、花たちの向きを線で結ぶように視線を走らせた。
「これ……花の角度が放射状になってる。まるで、中心から何かを囲むように……」
「花が円を描いてるってことか?」と、誠司。
「そう。ひまわりの輪よ」
蕾はノートを開き、簡単な図を描きながら呟いた。
「太陽に背を向けて、なおかつ外へと向かって咲く花たち……これは外界から何かを守るか、閉じ込める構造。自然の咲き方とは思えない」
「誰かが、意図的に咲かせたってことか?」
「あるいは、ひまわりそのものが記憶を持ってる。十年前、ここで起きた出来事の痕跡を、咲き方で訴えてるのかもしれない」
誠司は顔をしかめた。
「花が記憶……?」
「馬鹿にしないで。植物には刺激を記憶する反応があるの。だから、あの日、何があったかを、ひまわりたちは姿勢で教えてくれてるのよ」
ふたりは畑の中心へと進み、昨日の円の中に立った。
そこで、ふと誠司がしゃがみ込み、土の表面を指先でなぞった。
「……これ、地面の模様……」
蕾もすぐに気づいた。土の乾き方が一部だけ異なっている。湿った色が、規則的な環のように広がっていた。
「円……いや、二重円になってる?」
と、蕾が囁くと、それに合わせて誠司も答える。
「ひまわりが囲んでいたのは、これか……!」
「円の中心に、誰かがいた……いや、いた痕跡が、今も土に刻まれてる」
***
民宿に戻ったふたりは、すぐさまのり子にひまりという少女について詳しく訊ねた。
「……あの子が消えたとき、誰かが儀式の場所に見えたって噂していたわ。まるで、ひまわり畑全体が祭壇みたいだったって」
「儀式……?」と、蕾は目を細めながら尋ねる。
「昔、この町には土神信仰があったの。作物の豊穣を祈って、土に祈りを還す儀式が行われてたって……。あの畑が、ちょうど神事に使われていた場所だったらしいのよ」
蕾が立ち上がる。
「その話、もっと詳しく教えてもらえますか?」
のり子は戸惑いながらも、押し入れから古い箱を取り出してきた。その中には、町の行事記録や写真、新聞の切り抜きなどが収められていた。
そのなかに、一枚の古びた写真があった。
小さな子どもたちがひまわり畑の中心で輪になり、地面に向かって手を合わせている。奥には、今は使われていない旧校舎の鐘楼が写っていた。
「これって……」
と、蕾が言うと、のり子が答えた。
「ひまわりまいりって呼ばれてた行事よ。子どもが無事に育つようにって、花の中心で祈るの。……でも、この写真が撮られた翌年に事故があって、行事は中止になったの」
「事故?」
「花火大会の帰り道、小学生の男の子が旧校舎の階段から落ちて亡くなったの。以来、町では旧校舎に子どもを近づけるなって、暗黙の了解ができたの」
「それが……鐘が鳴った日の話と繋がる」
蕾はその写真を胸に抱いた。
「もしかして……ひまりちゃんは、旧校舎に行ったのかもしれない」
「でも、どうやって? あそこ、鍵がかかってるんじゃ……」
のり子が口を閉じた。その一瞬の沈黙が、すべてを語っていた。
「……鍵は、あるのね?」
「……私が管理してるの。町役場に言えば、開けることもできる。観光用のガイド希望者にだけ貸すことになってるけど……」
「お願いできますか? 私たち、そこに行かなきゃいけない」
***
夕方。太陽が山の端に沈みかける頃、ふたりは旧校舎の前に立っていた。
廃屋然とした建物は、木造二階建てで、板張りの壁には苔がこびりつき、窓ガラスはところどころ割れていた。
だが、どこか威圧的な気配があった。
「ここ……音、まったくしないな」
と、誠司が言うと、隣にいる蕾が答えた。
「だから音無町なのかもね。……音が消える場所って、意外と記憶が残りやすいのよ」
玄関の錠前をのり子から預かった鍵で開けると、重い扉がギィィ……と音を立てて開いた。
中はひんやりとしていて、埃の匂いと、木材の湿ったにおいが鼻をついた。
「行こう、誠司」
ふたりは、かつて生徒たちが歩いた廊下を踏みしめながら、奥の鐘の塔へ向かった。
階段をのぼるにつれて、空気が濃くなっていく。
塔の最上階――かつて鐘が鳴らされていたスペースに着いたとき、蕾は立ち止まった。
床の木板に、何かが刻まれていた。
小さな手の跡。
子どもの掌で押された、無数の手形。
「これ……」
「ひまりがここにいた証拠かもしれない」
そのとき、背後で風が吹いた。
扉が、勝手に閉まる。
「……!」
誠司が走って扉を開けようとするが、金具が食い込んで動かない。
「閉じ込められた……?」と、誠司。
蕾は、落ち着いた様子で窓の外を見つめていた。
夕陽が、沈もうとしている。
「ひまりちゃん。あなた、ここで何を見たの?」
蕾のその呟きに、応えるように、鐘の影が床に長く伸びた。
そして――
かすかに、どこからか鐘の残響が、風に乗って聞こえた気がした。
物語は、静かに輪の中心へと進んでいた。




