五 誓いのバラは散りゆく
五 誓いのバラは散りゆく
風の音が、静かに秋の終わりを告げていた。
文化祭の喧騒は遠い過去のように感じられ、校庭の銀杏の葉は、金色に染まりながらひらひらと舞い落ちている。
校舎裏の温室――
陽の射し込まぬその一角で、ひとつの黒いバラが、静かにその命を終えようとしていた。
花弁の先は乾き、深紅に近い黒色が褪せてきている。あの舞台を飾った、誓いの象徴。誰にも咲かせられなかったと信じられてきたその花は、今、ふたりの少女の記憶のなかで、ようやく真実の姿を現そうとしていた。
***
放課後の視聴覚室。スクリーンに映し出された映像には、かつての演劇部の稽古風景が再生されていた。
天川奏と一ノ瀬美月――ふたりの姿はまるで双子のように息が合い、ぶつかり合い、そして同じ夢に向かって進んでいた。
「……懐かしい」
小さく漏らした美月の声に、隣にいた蕾はただ静かに頷いた。
「あなたは、ひとりで舞台を続けてきたと思っていた。でも……奏さんはずっと、あなたと一緒にいたのよ。姿を消しても、言葉を交わせなくても、あのバラが、ずっとあなたの相棒だった」
スクリーンの中、奏がふとカメラのほうを向いて笑う。
《――ねぇ、美月。私たちの約束、忘れないでよ。どんなことがあっても、ちゃんと舞台に立とうって》
再生が止まり、沈黙が部屋を満たす。
「私は……忘れたふりをしてたのかもしれない。あの言葉を」
美月の声は、搾り出すように震えていた。
「怖かったの。あの日、いけなくなったって言われて、じゃあ私に何が残るの?って思ってしまった。でも、きっと……奏は、私を責めたかったんじゃない。守ろうとして、去ったんだよね」
蕾はそっと言葉を返した。
「誓いは、時には呪いにもなる。でも、それは信じている証でもある。誰かに背を向けられても、それでも一緒に歩きたいと思う。それが誓いの本当の意味よ」
***
その夜、美月は旧温室をひとりで訪れた。
小さなランタンの明かりを頼りに、バラの前に膝をつく。
「……ずっと、ここにいたの?」
答える声はない。けれど、確かにそこには奏の気配があった。
「怒ってると思ってたよ。あのとき、勝手に台本を変えて、あんたの台詞を全部消して、私だけで舞台に立った。あんたがいなければ、私は前に進めるって、そう思ってた」
手のひらに触れる花弁は、かすかに冷たい。
「でも……あんたは、私をずっと残してくれてたんだね。台詞にも、構図にも、このバラにも。……私はそれを裏切りだと決めつけて、全部、拒絶してた」
涙が頬を伝う。
「ごめん。……ようやく、わかった。私は、あんたに追いつきたかっただけだった。ずっと、憧れてて、でも……怖くて」
彼女の言葉に答えるように、風が温室の窓を鳴らした。
夜の帳が降りるなかで、黒バラは、最後の輝きを放っていた。
***
数日後。
文化祭の閉会式で特別賞を受賞した演劇部。その表彰の壇上で、美月は観客席を見渡していた。
舞台の上にもう、あのバラはない。
彼女が自らの手で摘み、押し花にして一冊の脚本に挟んだのだ。
タイトルは――『Eternelle』。
その表紙に、ふたりの名前が刻まれている。
作:一ノ瀬美月/天川奏
***
放課後の中庭。蕾と誠司はベンチに座っていた。
「……ようやく終わったな、バラの話も」
誠司がそう言うと、蕾は少し首を傾けた。
「話は終わったかもしれないけど、花はまだ咲き続けるわよ。誰かの想いがある限り、言葉にはならなくても、形は残るから」
「……花言葉って、そういうもんか?」
「ええ。誓いは、枯れても消えない。花の墓標みたいなもの」
誠司はわずかに苦笑しながら、蕾の手元のスケッチブックを覗いた。
そこには、ひとつのバラのイラストが描かれていた。
花弁は黒と赤が混じり、茎の先に金色のリボンが結ばれている。
「それ……なんのバラ?」
と、誠司が尋ねると、凛とした瞳で蕾が答えた。
「誓いが終わったあとの花。もう誰にも咲かせられないけど、誰かの記憶の中では、いつまでも生きてるの」
「……お前って、やっぱりちょっと不思議だよな」
「ふふ。私はただの花好きよ。でも、花の声が聞こえるのは、少し得してると思ってる」
風が木々を揺らし、落ち葉が彼らの足元を舞った。
その中に、ふと黒い花弁がひとひらだけ、紛れていた気がした。
蕾はそれに気づき、小さく微笑んだ。
「行こう。次の咲く場所を、探しに」
こうして、黒バラに託された誓いは静かに終わった。
けれどそれは、ひとつの再生の始まりでもある。
花は、語ることをやめない。
次は、どんな花言葉が、彼女の耳に届くのだろうか――
──そして、新たな謎は、すでに次の花びらの裏に潜んでいた。




