第29話:秀吉へのプレゼン(ピッチ) ―― 「小田家を生かしておくメリット」を関白にロジカルに提案。
1. 石垣山一夜城、アウェイの空気
天正十八年(1590年)六月二十六日、早朝。
相模湾を見下ろす石垣山一夜城の本丸。
そこに、一人の男が立っていた。
菅谷政貞――現代から転生した「社畜コンサルタント」佐藤である。
その手には、寝る間を惜しんで書き上げた、和紙の束。
それは、小田家の、そして彼自身のFIRE(早期リタイア)を懸けた、史上最大の「事業計画書」であった。
「……さて、プレゼンの時間だ。相手は、この時代最強のベンチャー経営者であり、同時に冷徹な買収者でもある、豊臣秀吉」
政貞は、深呼吸をして心拍数を整える。
昨夜、氏治が「ただの石」を渡すという大失態を演じたおかげで、ハードルは地下まで下がっているが、失敗すれば即座に「清算(処刑)」が待っている。
「小田氏治、並びに菅谷政貞。殿下がお呼びだ。通れ」
石田三成の冷たい声に導かれ、政貞は黄金の障子が並ぶ大広間へと足を踏み入れた。
最奥に座るのは、関白・豊臣秀吉。
その周囲には、徳川家康、前田利家、織田信雄といった、日本というマーケットの「大株主」たちが居並んでいた。
この超重要会議の場に、弱小企業の役員に過ぎない政貞が呼ばれたこと自体が、秀吉の仕掛けた「最終試験」であった。
「政貞よ。……昨夜の『不沈の石』には笑わせてもらった。……だが、今日は笑いに来たのではない。……お前が言った、わしの天下を潤す『先行投資』とやら。……その正体を、この者たちの前で証明してみせよ」
秀吉の目は、獲物を狙う鷹のように鋭かった。
2. 現状分析:東国の「非効率」
政貞は、広間の中心に大きな関東の地図を広げた。
そこには、昨夜寝ずに山崎ら北条の技術者から聞き出した、最新の地形データが詳細に書き込まれている。
「殿下、並びに諸公。……単刀直入に申し上げます。……現在の関東は、広大な土地に比して、収益性が極めて低い『死に筋の物件』にございます」
家康が、意外そうに眉を上げた。
利家もまた、不快そうに身を乗り出す。
「政貞殿、言葉が過ぎるのではないか。北条は四代かけて、この地を豊かにしてきたのだぞ」
「……いいえ、利家公。北条家がやったのは『閉鎖的な自給自足』に過ぎません。……各地に勝手な関所を設け、独自の通貨(法度)を使い、他国との交易を制限する。……これは、物流という血流を止める『血栓』です。……殿下が目指される『一統の天下』という巨大マーケットにおいて、北条の古い経営スタイルは、もはやお荷物(不良債権)なのです」
政貞は、秀吉の顔を真っ直ぐに見据えた。
「殿下。小田原を落とし、北条を潰す。……それは『撤退戦』に過ぎません。……肝心なのは、その後の『再投資』です。……この広大な関東平野を、どうやって黄金を生み出す『キャッシュカウ』に変えるか。……その答えを、小田家がご用意いたしました」
3. ソリューション:関東再生スキーム「江戸・フロンティア」
政貞は、地図の一点――湿地帯が広がる、当時はまだうらぶれた漁村に過ぎなかった「江戸」を指し示した。
「……江戸、だと? 泥沼だらけのあのような土地、何の価値がある」
三成が鼻で笑った。
「三成殿。……泥沼は、開拓すれば『水路』になります。……私は、昨夜北条家から救い出した工匠たちに、江戸周辺の水系を完全に調査させました。……利根川の流れを変え、湿地を乾燥させれば、ここには日本最大の『穀倉地帯』と、日本最大の『物流ハブ港』が出現します」
政貞は、緻密な計算に基づいた「予測損益計算書」を提示した。
「……小田家の提案は、土地の支配ではありません。……『情報の提供』と『技術の供与』です。……我々は、北条から引き抜いた技術者たちを組織し、秀吉公の直轄、あるいは新たにここへ入る大名の方々のための『開発コンサルティング部門』として機能します。……農地の拡大、街道の整備、そして何より、誰もが使える『共通通貨』の流通。……小田家は、そのための実務をすべて引き受けます」
「……ほう。自分たちで領地を持つのではなく、他人の領地を豊かにして、その『手数料』を貰おうというのか」
秀吉の目が、微かに光った。
「左様です。……小田家は、もはや大名ではありません。……殿下の天下を円滑に回すための『システム・プロバイダー』にございます。……我々を生かしておくことは、殿下にとって、関東という広大な資産の『利回り』を最大化することに直結するのです」
4. 命がけの「メリット」提示
秀吉は、顎を撫でながら、しばらく沈黙した。
広間には、政貞の心臓の鼓動が聞こえそうなほどの緊張が満ちている。
「……面白い。……だが、政貞。……それならば、わしがお前らを召し抱え、直属の家臣として働かせれば済む話ではないか? ……なぜ、わざわざ小田家という『独立した家』を残してやらねばならん?」
秀吉の、最も核心を突く問い。
ここで「殿への忠義です」といった精神論を吐けば、即座に不合格だ。
政貞は、現代の「コーポレート・ガバナンス」の視点から、最後のカードを切った。
「……殿下。……秀吉公の組織は、あまりに巨大になりすぎました。……直属の家臣(三成殿ら)は、どうしても殿下の顔色を伺い、耳に痛い真実を伏せるようになります。……これは組織の『硬直化』です。……小田家のような、利害関係の薄い『外部顧問』が、客観的なデータに基づいた進言を行う。……それこそが、殿下の天下を末長く繁栄させるための『監査機能』になるのです」
政貞は、平伏した。
「……小田氏治という男は、九度も城を奪われながら、一度も領民に背かれなかった。……それは彼が『支配者』としてではなく、皆に愛される『プラットフォーム』であったからです。……その稀有な性質を、殿下の天下に組み込む。……これこそが、最大のメリットにございます!」
「……ワッハッハッハ!」
秀吉が、再び笑い出した。
昨夜の爆笑とは違う、感嘆の入り混じった笑いだ。
「……三成。……聞いたか。……こいつ、わしの組織がいつか腐ると予言しおったぞ。……しかも、それを防ぐために自分らを雇えと、堂々と売り込みにきおったわ!」
三成は顔を赤らめたが、秀吉は愉快そうに家康を見た。
「……徳川殿。……お前、小田原の後は関東に入りたいと言っていたな。……この、へ理屈ばかりのコンサルタントを、お前の『顧問』として付けてやる。……どうだ、使い道はあるか?」
家康は、政貞の「江戸開発計画書」をじっと見つめ、静かに頷いた。
「……これほどの知恵、借りぬ手はございませぬ。……小田家、並びに菅谷殿。……江戸の街造り、共に行いたいものですな」
5. ロジカル・エグジットの成就
「……決まりだ。……小田氏治。……お前の領地、常陸・土浦は没収する」
秀吉の宣告。
だが、政貞の顔に絶望はない。
「……その代わり。……お前には、関白直属の『高家』としての家格を与える。……身代は、徳川殿が治める関東のなかで、相応の知行(配当)を保証してやろう。……戦に出る必要はない。……ただ、わしや徳川殿が困った時に、その知恵を出せ。……これで文句はないな?」
政貞は、畳に頭を深く沈めた。
「……ははっ! ありがたき幸せにございます!」
それは、小田家という「不採算な戦国企業」の解体と、豊臣・徳川連合という「最強の持株会社」への、優雅な事業承継の瞬間であった。
領土というリスク資産を捨て、知行という安定した配当権(株)を得る。
戦場という労働を捨て、顧問という特権階級に就く。
政貞が描いた「FIREへのエグジット戦略」が、日本史のど真ん中で、ついに結実したのである。
6. 二人の「祝杯」
一夜城を辞し、自分たちの陣屋に戻る道すがら。
政貞は、足の震えがようやく止まったのを感じていた。
「……政貞、凄かったなぁ。秀吉様も、家康様も、お前の紙を見て『ほうほう』と言っていたぞ。……わしには、何が書いてあるかさっぱりだったが!」
氏治が、相変わらずの調子で笑っている。
「殿。……ようやく、終わりましたよ。……我々はもう、城を守るために死ぬ気で戦う必要はありません。……これからは、江戸のきれいな屋敷で、美味いものを食べて、気が向いた時にだけ秀吉様に知恵を授ければいい。……それが、私の言っていた『あがり(FIRE)』です」
「おお、それは良い! ……で、政貞。……その『江戸』というのは、釣りはできるのか?」
「……ええ。山崎殿に、最高の釣り場ができるように水路を設計させましたから。……殿、これからは毎日が日曜日ですよ」
二人は、夕闇に染まる小田原の海を眺めた。
四百年続いた北条家の滅亡がすぐそこに迫る中、彼らだけは、全く別の未来へとログアウトしようとしていた。
「……さて、殿。……江戸へ行く前に、もう一つだけ、片付けるべき仕事があります。……北条の氏政公に、最後の『引導』を渡しに行かなければなりません」
政貞の瞳は、燃え盛る小田原城の向こう側に、平和な江戸の風景をはっきりと描き出していた。
さて、まず最初にやるべきことは――。
第29話・ステータス報告
・ステータス: 秀吉へのプレゼン大成功。小田家の「高家・顧問」化が決定。
・主要成果: 領土(リスク資産)の放棄と、知行(安定配当)の確保。徳川家康とのコネクション強化。
・KPI: 生存確率:100%。不労所得指数:MAX。殿の機嫌:絶好調。
・政貞のメモ:
「論理が、ついに暴力(武力)を上回った。……秀吉公は、私の提案を受け入れたのではない。……私が提示した『情報の価値』に、天下の命運を賭けたのだ。……これで、小田家という組織は、戦国という市場から完全にエグジットした。……さあ、ここからは、江戸の『地主兼コンサルタント』としての、悠々自適な第二の人生の設計に入るぞ」
【次号:第30話:領土放棄という最大のエグジット ―― 城(土地)を捨て、地位(株)を得る。「地主から顧問へ」。】
―― 領土返上の儀。
氏治が四百年の家宝と土地を秀吉に差し出す時、周囲はそれを「滅亡」と笑った。
だが政貞だけは、それが「莫大なキャピタルゲイン」への第一歩であることを知っていた。
小田家、ついに江戸入府へ!
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また、歴史ものである本作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
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王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




