九十六話 ノイスの願い
ルーシーとミリアの告白に、ノイスの魔素は明らかに乱れていた。
放たれていた魔法までもが、目に見えて弱まっていく。
「始祖よ!」
ヴォルテスの怒号が飛ぶ。
「お前は兵器だ!
そんなしょうもない色仕掛けごときに、揺らぐな!」
「……わかってないわね、ヴォルテス」
アリスは苦しげに息を吐きながらも、ふっと口元を緩めた。
禁術を押し返すため、《サンダー・エンペラー・フェニックス》へ必死に魔素を注ぎ込みながらも、その瞳の光はまだ消えていない。
「二人のこの純粋な想いが……
ただの色仕掛けですって?」
呆れたように笑う。
「あなたの目は節穴ね。
これが、“青春”ってやつなのよ」
赤黒い魔素と雷光が激しくせめぎ合う中、アリスはなおも言葉を重ねる。
「ノイスだって、思春期の男の子だもの」
くすり、と小さく笑った。
「自分を本気で想ってくれる美少女二人に、あそこまで真っすぐ想いをぶつけられて……
平然としていられるわけ、ないじゃない」
「そんな……
わけのわからん理屈が通ってたまるか!」
ヴォルテスが怒鳴る。
「始祖よ!
何をしている!
そいつらを焼き払え! 今すぐだ!!」
「う、うわああああああっ!!」
ノイスが苦しげに頭を抱える。
赤黒い魔素が激しく乱れ、
その身体の周囲で暴走するように渦を巻いた。
「ノイス君!」
「ノイスくん!」
ミリアとルーシーが同時に叫ぶ。
その声に呼応するように――
ノイスを覆っていた魔素の障壁が、音を立てて崩れ落ちた。
「馬鹿な……ありえん!
もう記憶など残っていないのだぞ!」
ヴォルテスが目を見開く。
「ノイス!!」
アリスが歯を食いしばりながら、必死に叫ぶ。
「本当の気持ちを……
全部、吐き出しちゃいなさい!!」
「ノイス君!」
ルキウスが膝をついたまま、それでも顔を上げる。
「今こそ、君の本音を私たちに聞かせてくれ!」
「ノイス!」
ミレイユが押し寄せる壁に身体を押しつけられながらも叫ぶ。
「今の気持ち……
思いっきりぶつけなよ!!」
「ノイピ!」
ユミナは壁にへばりつきながらも、なお声を張る。
「願いを言うっしょ!!
あーしたちが全部聞くから!」
「おい! ノイス!!」
ロウが血だらけのまま怒鳴る。
「お前はどうしたいんだ!!
答えろよ!!」
「ノイス君……!」
ミリアの声が震える。
「君の答えを……
聞かせて!」
「ノイスくん!」
ルーシーがまっすぐ見つめる。
「今、いちばん強く思っていることを……
ノイスくんの気持ちを……
私たちに教えてください!!」
ノイスの唇が、かすかに震えた。
「……ぼ、僕は……」
「やめろ!
始祖!」
ヴォルテスが怒鳴る。
「それ以上、勝手に喋るな!
お前には元々、記憶や感情などはない!
あるのは、魔素の伝達に反応する兵器としての機能だけだ!」
「ノイス君!」
「ノイス!」
「ノイピ!」
「ノイス!」
「ノイス!」
ルキウス、ミレイユ、ユミナ、ロウ、アリスの声が、重なる。
怒鳴るように。
願うように。
祈るように。
そのひとつひとつが、ノイスの胸へ叩きつけられていく。
「……っ、あ……!」
ノイスの瞳が激しく揺れる。
頭を押さえる手が震え、赤黒い魔素が不安定に明滅した。
「やめろ……!
聞くな!! 私の悲願が……!」
ヴォルテスがさらに叫ぶ。
魔素の障壁を失ったノイスの両隣へ、ルーシーとミリアはそっと身を寄せた。
――もう二人を阻む障壁はない。
右からミリア。
左からルーシー。
二人は今にも消えてしまいそうなノイスを繋ぎ止めるように、その手をそっと握った。
「ノイス君……」
「ノイスくん……」
熱を帯びた、切なげな声だった。
触れた瞬間、二人の体温が指先からじんわりと伝わっていく。
二人は恥ずかしさに頬を赤く染め、ほんのわずかに視線を揺らした。
胸の奥で、鼓動がうるさいほど高鳴っている。
きっと、ノイスにも聞こえてしまっている。
そう思うだけで、頬がさらに熱くなった。
ノイスと目線を合わせるように、二人は少しだけ背伸びをした。
ミリアが、右の頬へ。
ルーシーが、左の頬へ。
唇が触れる、その寸前。
二人はほんの一瞬だけ、恥ずかしさに動きを止めた。
けれど、もう想いは止められない。
胸の奥で高鳴る気持ちを押し込むように――
そっと、唇を触れさせた。
ちゅっ。
ちゅっ。
ほんの一瞬の口づけ。
けれど、その温もりは確かにノイスへ届いた。
「……っ!!」
ノイスの身体が大きく震える。
瞳が見開かれる。
止まっていた心臓が、無理やり叩き起こされたみたいに激しく脈打った。
どくん。
どくん。
どくん。
赤黒い魔素が薄れていく。
ヴォルテスの魔素伝達が、糸を断たれるように途切れ始める。
「なっ……!?」
ヴォルテスの顔色が変わる。
「馬鹿な!
そんな、くだらんことで……!」
ヴォルテスが膝から崩れ落ちる。
「ぼ、僕は……」
ノイスの瞳に色味が戻っていく。
「ねえ……ノイス君。
答えを聞かせて……」
「ノイスくんの気持ちを……
私に教えてください」
二人は息を呑むようにノイスを見つめる。
ノイスは、ミリアとルーシーに交互に見つめた。
それから、ゆっくりと口を開く。
「僕は……」
一瞬の静寂。
「ただ……
平穏に学園生活を送りたいだけなんだ」
――それだけだった。
沈黙が落ちた。
「……ふえ?」
「……い、今なんて?」
ミリアとルーシーは、あまりにも拍子抜けするその答えに、ただ目を丸くした。
命を懸けた皆の闘いも。
枯れるほど流した涙も。
胸が張り裂けそうなほど勇気を振り絞った告白も。
そのすべてを受け取った末の答えが――
まさかそれだけなのかと。
張り詰めていた空気が、ふっと力を失う。
けれど――
それこそが。
間違いなく、“いつものノイス”が戻ってきたという、何よりの証だった。




