九十五話 本物の愛
ルキウス、ミレイユ、ユミナが切り開いた道を――
ロウ、ルーシー、ミリア、アリスの四人は、迷うことなく駆けていた。
後方では、熱線を押し返す光の大盾が軋み、石壁を食い止める雷と風が激しく唸りを上げている。
仲間たちが命懸けで繋いだその突破口を、無駄にはできない。
四人はさらに、ノイスとの距離を詰めていく。
「……ぼ、僕に……
近づくな……!」
苦悶に歪みながらも、確かにノイス自身の声だった。
「ノイスくん!」
ルーシーが手を伸ばす。
しかし、ノイスの前には八つの魔法陣が同時に展開される。
炎。水。風。雷。氷。土。光。闇。
それぞれ異なる色を帯びた八枚の盾が、四人を拒絶するようにノイスとの間に一斉に現れた。
どれも分厚く、重く、強大な魔素の塊。
近づくだけで肌が焼けるような圧を放っている。
「っ……また壁かよ!」
ロウが歯を剥いた。
だが、止まることはなく前へ出ていた。
「ここは任せろ!!
ノイスへの道は俺が確保する!」
剣を強く握りしめる。
「蒼炎よ……
剣に纏え!
《ファイヤーエッジ・サファイア》!!」
刃の蒼炎が一段と濃く燃え上がる。
ロウは真正面から一枚目の炎盾へ飛び込んだ。
「おおおおおっ!!」
――ザンッ!!
蒼炎剣が炎盾を真っ二つに裂く。
続けざまに水盾へ斬りかかる。
――ズバァッ!!
蒼炎が水を蒸発させ、白煙を上げながら盾を断ち切った。
「まだまだぁっ!!」
風盾。
雷盾。
氷盾。
土盾。
光盾。
ロウは息を荒げながらも、一枚一枚を蒼炎剣で叩き斬っていく。
刃が軋む。
腕が痺れる。
それでも止まらない。
ノイスへ続く道を、ただこじ開けるためだけに、ひたすら前へと斬り進む。
「ロウくん……!」
ルーシーが息を呑む。
「構うな! 進めっ……!
俺がこの道を斬り開く!
そのまま走り抜けろ!!」
残る盾は、最後の一枚。
闇。
光すら呑み込むような、底の見えない黒の盾だった。
ロウは吠えながら剣を振り下ろす。
「うおおおおおおおっ!!」
――バキンッ!!
纏う蒼炎剣が、根元から折れた。
「ロウくん!!」
それでもロウは止まらない。
折れた剣を投げ捨て、そのまま素手で闇盾へ手を突っ込んだ。
「こんな壁なんかああああ!
うおおおおおっ!!」
闇が、腕を焼くように侵食する。
皮膚が裂ける。
血が飛ぶ。
それでもロウは歯を食いしばり、無理やりその盾をこじ開けようとする。
「道を……
開けろおおおおっ!!」
闇盾が、ぎしぎしと悲鳴を上げるように軋む。
ひびが走る。
真ん中から、裂け目が広がっていく。
ロウは血だらけの手でその裂け目を掴み、左右へと無理やり押し広げた。
「闇の盾を……
素手でこじ開けるなんて……!」
さすがのアリスも、その執念に目を見開く。
「俺の役目は……ここまでだ」
肩で息をしながら、それでも笑う。
「あとは……頼んだぜ」
その場に、ロウは崩れ落ちた。
「ロウくん……」
ルーシーは涙を滲ませながらも、立ち止まらない。
開かれたその道を、まっすぐ前へと進んでいく。
その様子を見て、ヴォルテスの表情がいよいよ歪んだ。
「いつまでも……
雑魚どもが這い上がりおって」
苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てる。
「始祖!
そんな雑魚どもは、一掃しろ!!」
その命令に呼応するように、ノイスの身体がびくりと震えた。
ノイスが、再び両手をかざす。
赤黒い魔素が、今度は先ほど以上の密度で掌へ収束していく。
「……っ!」
アリスの顔色が変わる。
「まずいわ……
また禁術を撃つ気よ!」
空気が軋む。
大地が唸る。
その場にいるだけで、魂ごと吸い取られそうな禍々しい圧が広がっていく。
赤黒い光は脈打つように膨れ上がり、ノイスの前で巨大な終焉の塊へと形を成していった。
瓦礫が宙に浮く。
砕けた床がめくれ上がる。
空間そのものが悲鳴を上げるように震えていた。
ノイスの瞳に感情はない。
ただ、命令に従うように――
禁術が、再びアリスたちへ向けられる。
「絶詠の魔女様!」
ルーシーが叫ぶ。
「きっと、ノイスくんに声を届けられるのは、あなただけです!」
「そうです!
アリスさん、あとはお願いします!」
ミリアも必死に声を重ねる。
ルーシーとミリアは、迫る禁術に備えて身構えた。
「ルーシーちゃん、ミリアちゃん……」
アリスは二人の肩に手を置く。
「きっと、今ノイスの心に届くのは……
私の声じゃないわ」
「それは……
どういうことですか?」
ルーシーが戸惑いに首を傾げる。
「あの鈍感なノイスを振り向かせるのは……
きっと、本物の愛よ」
「本物の……愛……」
ミリアは胸に手を当て、自分の心へ問いかけるように呟いた。
アリスは静かにフルートを構える。
「さっき聞いてて、わかったわ。
あなたたちの純粋な想いはきっと届くわ……」
その目は、優しく二人を見つめていた。
「ノイスが待っているのは私じゃない」
一歩、前へ出る。
「だから――
あの子の心を……しっかりと射抜いてきなさい!」
ルーシーとミリアの背中を、そっと押した。
ノイスから禁術が撃ち放たれる。
「《サンダー・エンペラー・フェニックス》!!」
満身創痍のアリスが放った渾身の魔法が、雷鳴を轟かせながら真正面から迎え撃つ。
――バヂィィィィンッ!!
激突した瞬間、凄まじい雷光が炸裂し、空間そのものが歪んだ。
稲妻が狂ったように暴れ、赤黒い終焉の光と激しくせめぎ合う。
「禁術は私が命に代えても――
食い止めるわ!」
ルーシーとミリアは顔を見合わせ、小さく頷いた。
「頼んだわよ……」
その言葉を背に受け、二人はノイスへと駆け出した。
アリスが命を賭してこじ開けた、ほんのわずかな突破口。
二人はその隙を逃さず、一気にノイスとの距離を詰めていく。
あと少し。
もう少しで、この手が届く。
だが――
そこで二人の体は、ぴたりと止まった。
「……っ!」
目の前には、濃密すぎる魔素の障壁。
透明なのに、まるで世界そのものが立ちはだかるように、そこにあった。
一歩踏み込もうとするたび、肺が潰れそうな圧迫感が襲い、足が前へ出ない。
空気そのものが重い。
近づくだけで、皮膚が焼けるように痛む。
「う、うそ……
こんなに近いのに……!」
ルーシーが顔を歪める。
ミリアも息を乱しながら、その見えない壁を見据えた。
「ノイス君……」
震える声だった。
それでも、ミリアは一歩だけ前へと進む。
障壁がびり、と弾けるように魔素を揺らし、全身に痛みが走った。
けれど、止まらない。
「僕は……
もう一度、ちゃんと君と話したいんだ」
ミリアは真っ直ぐ、ノイスだけを見つめていた。
「ノイス君の寮の部屋に、無理やりお邪魔した時……
僕は、ドキドキが止まらなかったんだ」
少しだけ、恥ずかしそうに笑う。
「でも……そんな自分が嫌だった」
その笑みが、かすかに歪む。
「僕が好きなのは、ユーリスだけ。
これから先、他の誰かを好きになることなんて、もう絶対にないって……
そう思ってたから」
唇が震える。
「なのに、ノイス君と一緒にいると楽しくて……
優しくされるたびに、胸が苦しくなって……
気づいたら、いつも君のことばかり考えてた」
一度、目を伏せる。
「だから、余計に許せなかったんだ」
声が、少し掠れた。
「好きになってしまった男の子が……
ずっと憎んでいた魔女の弟子だったなんて」
ミリアの瞳に、涙が滲む。
「君に惹かれてしまった自分が、すごく嫌だった。
ユーリスを裏切っているみたいで……
ユーリスを殺した魔女の弟子を好きになった自分が、どうしようもなく許せなかった」
涙が、頬を伝った。
「でも……」
ミリアは、ようやくその答えに辿り着いたように、柔らかく微笑んだ。
「アリスさんは、ユーリスを殺してなんかなかった。
それどころか、命を助けてくれてたんだ……」
その言葉に、ノイスの指先がかすかに揺れる。
「そして……
ユーリスは、ノイス君だったんだね。
すぐに気づけなくて、ごめん……」
ミリアは、震える手をそっと伸ばした。
魔素の障壁が、その指先をじりじりと拒む。
涙混じりの声が、静かに響く。
「僕はずっと……
昔から、君のことが好きだったんだ」
痛みに震えながらも、手はまっすぐノイスへ向けられている。
「だから……ね?」
ミリアは、泣きながら微笑んだ。
「一緒に戻ろ?」
その言葉に呼応するように、ノイスを覆っていた魔素の障壁が、わずかに緩んだ。
「……っ!」
ミリアが目を見開く。
「ノイスくん!」
その隣で、ルーシーも震える足を一歩前へ踏み出した。
魔素の圧に押され、息が詰まる。
それでもフルートを抱きしめるように握りしめ、必死に手を伸ばす。
「私も……
あなたが好きです!」
涙で声を震わせながらも、ルーシーは懸命に叫んだ。
「この気持ちは……
絶詠の魔女様に感じていた憧れとは、違います!」
魔素がばちばちと腕を焼く。
それでも、手は引っ込めない。
「ノイスくんのことを考えると、ドキドキして……
少し素っ気ないだけでも、胸が苦しくなって……」
息を乱しながら、なお言葉を重ねる。
「ユミナさんがノイスくんに抱きつくだけで……
ミリア先輩と楽しそうに笑っているだけで……
みっともなく嫉妬してしまって……」
頬を涙が伝う。
「それくらい……
私は、ノイスくんのことが大好きなんです!」
ルーシーは、ミリアと並ぶようにして、もう一歩だけ前へ出た。
緩んだ障壁が二人の前で不安定に揺れる。
「だから――」
ルーシーはまっすぐにノイスを見つめた。
「戻ってきてください――
ノイスくん!!」




