九十一話 謝罪と抱擁
「私は今……
君の中に、間違いなく感情を見たぞ……」
満足そうにルキウスは微笑み、光を失いながら、地上へと墜ちていった。
その落下地点に立つ、二つの影。
「あーあ……
いいとこのお坊ちゃんってのは、みんなこうもカッコつけなのかね」
ミレイユが苦笑交じりに呟く。
「ルキっちのこと……
ちょっとは見直したって感じじゃん、ミレイユ」
ユミナがにやりと笑い、落ちてくるルキウスへ風を纏わせた。
落下の勢いが和らいだところを、ミレイユがしっかりと受け止める。
「……まったく」
腕の中で気を失ったルキウスを見下ろし、ミレイユは小さく息を吐いた。
「ノイスと付き合いが浅いこいつに言われちゃ、
あたしたちが黙ってるわけにはいかないじゃん」
「ルキっちに、先越されちゃった感じっしょ」
ユミナが隣に並び、にやりと笑う。
「無駄だと言うのに……
雑魚の分際でまだ立ち向かうか」
ヴォルテスが苛立たしげに目を細める。
「おい、ジジイ」
ミレイユが一歩前へ出た。
「世界の在り方すら変わるかもしんない……そんな状況に、あたしたち二人じゃ力不足だってことくらい、わかってんだよ」
それでも、ミレイユは拳を握った。
「でもさ……それでも放っておけないのが、友達ってもんでしょ!」
ユミナも前へ出て、隣に並ぶ。
「いくよ、ユミナ!
大気を震わす雷よ――
我が身に宿り、帯電せよ!
《雷纏装》!」
――バチィッ!
雷の衣が、ミレイユの全身を包み込む。
「あいよー、ミレイユ!
駆け抜ける爽風よ――
我が手足に宿り、渦巻き、空を駆けよ!
《サイクロン・アクセルステップ》!」
ユミナの手首と足首に小さな竜巻が発生し、その身体をふわりと浮かせた。
「矮小な分際で、小賢しい魔法だ……」
ヴォルテスが苛立ちの視線を向ける。
それに呼応するように、ノイスは二人へと手をかざした。
「雷よ! 射抜け!
《サンダー・アロー》!」
ノイスが魔法を放つよりも早くミレイユの雷矢がノイスへ向かって一直線に放たれた。
だが、雷矢は濃く覆う魔素の壁にあっさりと阻まれた。
「無駄だと言っているのに……」
ヴォルテスがほくそ笑む。
しかしミレイユは、魔素の壁に突き刺さったその矢へ向かって、身体が吸い込まれるように加速した。
——バヂィッ!
魔素の膜に張り付き、ミレイユはノイスへ声を張り上げた。
「ねえ! ノイス、聞いて!」
ミレイユは、濃い魔素の壁に突き刺さった雷矢の穴へ両手を無理に突っ込む。
「まだ、前のこと……
あたし、ちゃんと謝ってなかった」
魔素の膜に指先が入るだけで、痺れるように鈍く痛む。
高濃度の魔素が、皮膚を焼くように軋ませていた。
「もう、あたしたちの間には……
こんな壁、いらないはずよね!」
――ビチッ!
「……っ!」
ミレイユは歯を食いしばる。
「ほんとに……ごめん。
ノイスを退学させようだなんて、
あたし、最低だった」
さらに力を込める。
穴をこじ開けるように、全身に纏った雷が散り散りに弾けた。
「正直に言うとね……
あたし、あんたらのこと見下してた」
「いつも悪目立ちして、はしゃいで……
くだらないことばっかしてるって、思ってた」
そこで、ミレイユの言葉が一瞬だけ詰まる。
「でもさ……
みんな、すっごく楽しそうだったんだよ」
震える声で、ミレイユは続けた。
「本当は……それが羨ましかったんだって、やっとわかったの!」
「……ミレイユ」
その必死の叫びに、ユミナが思わず呟く。
「色々あったけど……
今はみんなと仲間になれて、すごく嬉しいの!」
ノイスの視線が、ゆっくりとミレイユへ向けられる。
「ロウとルーシーちゃん、ユミナ! それにノイス!
みんなで一緒にいられるのが……
あたし、すっごく好きなんだよ!」
穴が、わずかに広がる。
「だからさ……
お願いだから、戻ってきてよ!!」
涙混じりの声が響く。
「また、みんなでバカやってさ!
はしゃごうよ!!」
ミレイユの必死の呼びかけに、ノイスの動きが止まる。
「何をしている!
始祖!」
ヴォルテスの怒号に反応して、手を振り下ろした。
炎矢が放たれる。
――ズシッ!!
「……っ、ぁ」
炎矢が、ミレイユの左肩を撃ち抜いた。
力が抜け、その身体は穴から弾かれるように落ちていった。
「頼んだよ……ユミナ」
「ミレイユ……ありがと」
ユミナは涙目になりながらも、ミレイユには見向きもせずに速度を上げる。
そして、すれ違うようにそのこじ開けられたわずかな穴へと飛び込んでいく。
――バチバチッ!
濃い魔素の層の内側は、まるで深海の底にいるような圧迫感だった。
息が詰まる。
全身が、押し潰されるように痛む。
それでもユミナは、前へ前へと進む。
「ノイピさ。
あーしも、ミレイユと一緒で……
みんなでいるのが大好き!」
ノイスから放たれる魔素の圧がさらに強まる。
身体が重い。
思うように進めない。
「ノイピが魔人だか始祖だか……
そんなの、あーしには全然関係ないっしょ!」
歯を食いしばる。
「だって、ノイピは――
ノイピじゃん!」
一歩進むたびに、体中の皮膚が裂けるような痛みが走る。
ぷつ、ぷつ、と血が吹き出した。
「こんなの……全然、痛くないし!
平気だし!」
痛みに顔を歪めながらも、ユミナは笑う。
「感情がないとか、全くのデタラメっしょ!
だってあーしは、ノイピのいろんな顔知ってるんだから!」
「……っ!」
その言葉に、ノイスの瞳がほんのわずかに揺れた。
だが、それも一瞬だった。
すぐにノイスは手をかざし、周囲から無数の風刃を降り注がせる。
「いつもみたいに、
あーしを軽くあしらおうとしても無駄っしょ!!」
ユミナの手足に纏った小さな竜巻が、うなりを上げる。
その身体はふわりと浮かび、鋭く回り込みながら、風刃の隙間を縫ってさらに前へ出た。
だが、避け切ったその先へ――
ノイスの熱線が、容赦なく撃ち込まれる。
――ドヴァンッ!!
「ユミナさんっ!」
下から見上げるルーシーが、思わず声を上げた。
爆風がユミナの姿を呑み込む。
――だが。
その爆煙を目眩ましにするように、ユミナは一気にノイスの背後へと回り込んでいた。
「にひひ……
やっと……近づけたっしょ……」
ボロボロになったユミナは、背後からいつものように――
けれど今にも倒れそうなほど力なく、ノイスへもたれかかるように抱きついた。
「今日は……あーしの覚悟が違うから……
ラブハグ、ノイピでもさすがに避けられなかったっしょ……」
その今にも消えそうな声は、震えていた。
本来なら、振り払うことなど容易いはずだった。
魔素を軽く放つだけで、力のないユミナの身体など簡単に弾き飛ばせる。
それなのに――
ノイスは動かなかった。
振り向きもしない。
後ろから抱きつかれたまま、まるで時が止まったかのように宙に浮かんでいた。
「ああ、でもやっぱり……
ノイピの背中は、なんか安心するっしょ」
ユミナはかすかに笑う。
「あーしは……
ノイピが何者だろうと、気にしないよ……」
呼吸は浅い。
腕に込めた力も、もうほとんど残っていない。
「だから……
一緒に学園に――」
そこまで言いかけて、ユミナの指先から力が抜ける。
そのまま、ノイスの身体を支えにしていた手が滑り落ちた。
「あっ……」
ユミナの身体が、下へと落ちていく。
それでも最後に、かすれた声で笑った。
「にひひ……
でもさ、あーしわかっちゃった……」
薄れゆく意識の中で、ユミナは呟く。
「今……
いつもみたいに、ちょっと困った顔してたっしょ……」
ユミナの身体が、力なく地上へ落ちていった。




