八十七話 堕ちぬ巨星
アリスの魔法が叩きつけた衝撃のあと、メンテナンスルームは静まり返っていた。
「そんな……馬鹿な……
あの……始祖が!」
ヴォルテスの声すら、どこか上ずっていた。
アリスは息を止めたまま、爆心の先を見据える。
稲妻の残光だけが、白煙の奥でちらちらと瞬いている。
「これが、アリスさんの本気……
ノイス君……」
ミリアがかすれた声で呟き、涙を滲ませながら顔を歪めた。
だが、その時だった。
煙の奥で、何かがふわりと浮かび上がる。
「……っ!」
風が吹いたわけではない。
それなのに、白煙だけが左右へ不自然に割れていく。
まるで、目に見えない何かがそこを歩いてくるかのように。
その中心から――
体に纏わりつく雷撃を、ぱち、ぱち、と鬱陶しそうに払い落としながら、ノイスが姿を現した。
音もなく。
苦しむ様子もなく。
まるで、少し煙たい場所から出てきただけのように。
「そんな……」
ミリアの唇が震える。
ノイスの制服にはところどころ焦げ跡が残り、肌にも薄く煤がついていた。
だが――それだけだった。
アリスの二つの最上位魔法は、ノイスを倒すどころか、決定的な傷ひとつ負わせられていなかった。
あれだけの雷撃を真正面から受けておきながら――
平然と、そこに浮かんでいた。
感情のない瞳が、ただ静かにアリスを見下ろしている。
そこには、怒りもない。
雷撃の苦しみもない。
ただ命令を待つ兵器だけが、そこにあった。
「……嘘、でしょ」
アリスの声が、かすかに震える。
全力だった。
本気で殺すつもりで、手加減など微塵もなかった。
それでも届かなかった。
ノイスの周囲で、雷を帯びた魔素の光が静かに脈打つ。
「なら、再構築で――
《サンダー・ホーネット》」
霧散したはずの魔素が、瞬く間に大量の雷蜂へと姿を変えた。
だが、ノイスが静かに手を広げた瞬間――
大量の雷蜂たちは、音もなく掻き消えた。
ヴォルテスが喉の奥で愉快そうに笑った。
「ふは……ははははは!」
その笑い声が、アリスの胸をさらに冷やしていく。
「残念だったな、魔女よ」
ヴォルテスの目が狂気に細まる。
「世界最強と謳われた君の全力すら……
今の始祖にとっては、児戯にも等しい」
「……今のは間違いなく、私の全力だった」
アリスは呆然と呟く。
「これで駄目なら……
もう、私に止めることはできない」
唇が、かすかに震える。
「私が甘かった……」
俯いたまま、絞り出すように続けた。
「あの子が暴走しても、誰かに悪用される結果になっても……
最後はこの手で止められると、どこかで思っていた」
自嘲するように、かすかに首を振る。
「そんなのは……
ただの傲りだったのね……」
魔素も底を尽き、アリスは諦めたように項垂れた。
「ああ! まさに神だ……」
ヴォルテスが恍惚とした声を漏らす。
「これこそが、神の力だ!!」
「……ノイス君」
ミリアの声には少しの安堵と切なさが滲んでいた。
「ねえ、かつての君は……
本当にもう、どこにもいないの……?」
震える声が、虚しく響く。
「君がしたかったのは、こんなことじゃないでしょ!?
戦うのが嫌いで、役に立たないくだらない魔道具ばっか作ってたくせにさ!」
一歩、前へ出る。
「答えてよ……
ノイス君!」
だが、ノイスに反応はない。
感情のない瞳は、ただ虚ろに前を見つめているだけだった。
「ミリアちゃん……」
「無駄だ……魔導技師よ」
ヴォルテスが嗤う。
「始祖は、すでに完成している」
その目が冷たく細まる。
「君には感謝しているが、もう君に用はない」
ヴォルテスの声とともに、ノイスが二人へ向けて静かに手をかざした。
「魔女もろとも、消えてもらおう」
――その瞬間。
「おい! ノイス!
お前……何やってんだよ!!」
鋭い声が、部屋いっぱいに響いた。
ミリアとアリスは、はっとしてその声の方を振り向く。
「君たちは……ノイス君のお友達の……」
「その声は、ロウくん!
それに、みんなも!」
そこに立っていたのは、ボロボロの姿になりながらも駆けつけた、ロウ、ルーシー、ミレイユ、ユミナ、ルキウスの五人だった。
「ノイスのやつ……
どうしてアリスさんたちに魔法を向けてんだよ!」
ロウが息を荒げながら叫ぶ。
「もしかして……
これが、フィーラさんの言っていた始祖ということなのでしょうか?」
ルーシーが不安げに呟く。
「随分と雰囲気が変わったじゃない、ノイスは……」
ミレイユが表情を強張らせる。
「でも、間違いなく本物のノイピっしょ」
ユミナの声には、安堵と戸惑いが入り混じっていた。
「先ほど、クレインが言っていた」
ルキウスが静かにノイスを見据える。
「ヴォルテス元会長が、ノイス君を乗っ取り、操ろうとしていると……
今のノイス君は、もうすでに――」
言葉の先を、誰もすぐには継げなかった。
宙に浮かぶノイスは、ただ無表情のまま五人を見下ろしている。
「欠陥魔人たちは、この程度の連中すら止められんか……
所詮、欠陥品だな」
ヴォルテスは慌てる様子もなく、冷ややかに呟いた。
「絶詠の魔女様!
ノイスくんは……!」
ルーシーたちはすぐさまアリスのもとへ駆け寄る。
「……ごめんなさい」
アリスは苦しげに目を伏せた。
「私のせいで……
もうノイスは――」
「アリスさんのせいじゃないよ!」
涙を流しながら、ミリアがその言葉を遮る。
「僕が……
僕が全部、いけなかったんだ!」
「あんたは……
ノイスの部活の先輩だよな」
ロウたちの視線が、一斉にミリアへ向く。
「ミリアちゃんよ。
私たちの味方よ」
アリスがミリアの前へ立つ。
「姐さん……
あたしたちは、どうすればいいんですか?」
ミレイユが不安げに尋ねる。
「もう……
成すすべはないわ」
アリスは苦しげに目を伏せた。
「ノイスは記憶を失っていて……
ただの操り人形になってしまっているの」
「では……
ヴォルテス元会長を倒すしかない、ということですか?」
ルキウスはヴォルテスへ視線を向けたまま、冷静に問う。
「それも難しいわ」
アリスは首を横に振る。
「常にノイスが、ヴォルテスの周囲に魔素の膜を張っているの。
それに、ヴォルテスへ向けた魔法は、すぐノイスに打ち消される」
息を整えながら、なお続ける。
「ヴォルテス自身も、私に劣るとはいえ……
大魔法使いと呼ばれた一人よ。
片手間で倒せるほど甘くはないわ」
「では……
どうすればノイス君を止められますか?」
ルーシーがフルートを握りしめる。
アリスは唇を噛みしめた。
「止めるには……
ノイスを殺すしかないの」
「そんなっ!」
あまりに物騒な言葉に、ルーシーは目を見開き、思わず口元を押さえた。
「姉御!
何言ってんすか!?
正気ですか!?」
ユミナが身を乗り出す。
「……ええ」
アリスは苦しげに頷いた。
「世界を守るには……
それしかないの……」
震える声が、わずかに途切れる。
「まあ……
それすら無理だったんだけどね」
「アリスさん!」
ロウが強く声を張った。
「もっと簡単な方法がありますよ」
真っ直ぐ、ノイスへ視線を向ける。
「ノイスに……
全部、思い出してもらえばいいんです!」
「ロウくん……さっきも言ったでしょ?
ノイスはもう――」
「いいえ!」
今度はルーシーが一歩前に出た。
「ノイスくんなら、きっと思い出してくれます!」
その声には、迷いがなかった。
「あれだけ優しかったノイスくんが……
こんな魔法の使い方を許すわけありません!」
「そうだよ、姐さん!」
ミレイユも拳を握る。
「あの面倒くさがりのノイスが、ヴォルテスの言いなりなんて似合わないですよ!」
「姉御!
物騒な考えは捨てて、一回冷静になるっしょ!」
ユミナも必死に言葉を重ねる。
「私も皆に賛成だ」
ルキウスが静かに告げた。
「ノイス君のことだ。
何事もなかったかのように、ケロッと元に戻る。
そんな気がするのだ」
「みんな……」
アリスは目を見開いた。
「そこまで……
ノイスのことを信じて……」
アリスは目を伏せ、ふっと小さく息を吐いた。
「……私も、まだまだね」
震えていた指先に、少しずつ力が戻っていく。
「弟子を信じるのも……
師匠の大事な役目だというのに」
そう言って、アリスはフルートを握り直した。
そして勢いよく立ち上がると、アリスはノイスへまっすぐフルートを向けた。
「行くわよ、みんな!
寝ぼけてるノイスを、叩き起こしてあげるのよ!」
「おうっ!!」
「はいっ!」
「もちろんっしょ!」
「了解っす!」
「当然だ!」
だが、ミリアだけは罪悪感に縛られたように、その場で動けずにいた。
そんなミリアへ、アリスはそっと手を差し伸べる。
「ミリアちゃん」
優しい声だった。
「あなたも……
ノイスに言いたいことが、あるんでしょ?」
「……っ」
アリスの柔らかな微笑みに、ミリアの瞳が揺れる。
「いいんですか……
こんな僕が、みんなと一緒に戦っても……」
「ええ、もちろんよ!」
アリスは迷いなく頷いた。
「ミリアちゃんにも、入ってもらわなきゃ困るんだから!」
その言葉に、ミリアは唇を震わせた。
そして差し出された手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「アリスさん、ありがとう」
ミリアはノイスを見上げ、ぎゅっと拳を握りしめた。
「ノイス君に、今までのことを全部謝って……
それから、ちゃんと伝えなきゃ」
「伝えなきゃいけないこと……ですか?」
ルーシーが目を瞬かせる。
ミリアは一度だけ深く息を吸った。
迷いは、もうなかった。
「僕は――
ノイス君のことが好きだって!」
「え……ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!
それって――!!」
ルーシーが思わず大きな声を上げる。
「あーあ、ライバル出現っしょー、ルーたん」
ユミナがにやっと口元を緩める。
「これは……
ルーシーちゃんも、うかうかしてられないね…」
ミレイユまで真顔で頷いた。
「あらあら?」
アリスがくすりと笑う。
「ノイスってば、案外モテモテなんだから」
「ちょっと、ミリア先輩!
その“好き”って、どういう好きなんでしょうか?
部活の後輩として……でしょうか? それとも――」
ルーシーが慌てて身を乗り出す。
しかし、ミリアはただ装備型魔道具を静かに起動させた。
「それはまだ……内緒だよ!」
それぞれの願いを胸に――
七人の想いが、ひとつに重なる。
――ノイスを取り戻すために。




