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八十五話 完成した兵器

 押し出されたミリアは、爆炎の熱風に晒された。


「……ぁっ!」


 目を見開いた先――

 自分を庇ったアリスの姿が、爆炎の中に呑まれている。


「アリスさんっ!」


「ふはははははは!

 魔導技師アークメイカーよ。

 まさかこちらを裏切るとはな」


「ヴォルテス……」


 ミリアは唇を震わせながら、その名を呟いた。


「しかし、魔女が魔導技師アークメイカーを庇うとは意外だったな」


 ヴォルテスは愉快そうに笑みを浮かべる。


「アリスさん……。

 どうして、僕なんかを……」


 ミリアが燃え盛る炎を見つめた、その時――

 爆炎が揺らぎ、渦を巻くようにかき消されていく。


「アリスさん!」


 中から現れたアリスの全身はひどく焼かれ、ローブはところどころ黒く焦げ落ち、顔は苦痛に歪んでいた。


「防御用に魔素を張ったのに、この威力……。

 無防備なミリアちゃんにもし直撃していたら――」


 ひりつく体を押さえ、アリスは息を呑む。


 そして、すぐに違和感に気づいた。


 今の爆炎に混じっていた強い魔素。


 それは、ヴォルテスのものではない。


「まさか……今の魔法は……」


「さすが魔女だ。そう簡単にはやられないか。

 まあ、どちらでもいい」


 ヴォルテスの声には、もはや余裕しかなかった。


「もう、完成してしまったのだからな」


 そう言って、ヴォルテスはゆっくりと頭上を見上げる。


 その視線を追うように、アリスとミリアもまた顔を上げた。


 そこにいたのは――宙に浮かぶ、一人の少年だった。


「……ノイス」


 宙に浮かぶノイスの姿は、明らかにいつもと違っていた。


 その瞳には意思の光がない。

 感情の気配すらなく、ただ空虚だけがそこにあった。


 肌を這う魔素は青白く発光し、不気味なほど静かで、それでいて底知れない圧を放っている。


 アリスは見た瞬間に、わかってしまった。


 ――もう、完成している。


「……間に合わなかった」


 喉の奥から漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。


 胸の奥が、冷たく沈んでいく。


 最悪の形で。


 いちばん恐れていた形で。


 ノイスは、もうヴォルテスの手に落ちていた。


「ヴォルテス!」


 ミリアが涙声で叫ぶ。


「ユーリスの記憶を取り戻してくれるって……

 そう言ったじゃないか!」


 ヴォルテスは愉快そうに口元を歪めた。


「ふはははははは!」


 その笑い声だけで、場の空気が凍りつく。


「馬鹿は扱いやすくてたまらんな」


「……っ!」


 ミリアの顔が絶望に染まる。


「君のように、願いにすがる者ほど扱いやすいものはない」


 ヴォルテスの目が、冷たく宙に浮かぶノイスへ向けられた。


「記憶を取り戻す……? 馬鹿が……。

 そんなものは彼の邪魔になるだけだ」


 薄い笑みが、さらに深くなる。


「今の彼は、ユーリスでもノイスでもない」


 その声には、狂気じみた陶酔とうすいが滲んでいた。


「完璧な兵器――始祖オリジン

 それこそが、彼の本来あるべき姿なのだよ」


「ふざけないでっ!」


 アリスが焼けた肌を押さえながら叫ぶ。


「ノイス!

 あなた自分が何してるかわかってるの?

 ミリアちゃんに向けて、魔法を撃つなんて!」


 必死の呼びかけ。


 だが、その声はノイスには届かない。


「いくら声をかけようと無駄だよ、魔女」


 ヴォルテスは愉快そうに笑った。


「ユーリスだった頃の記憶を失ったように――

 今は、ノイスとしての記憶すら存在しない」


 口元が吊り上がる。


「魔素の伝達のみで行動する、完璧魔人パーフェクトマギなのだからな」


「アリスさん!

 ノイス君はどうなってしまったんですか!

 完璧魔人パーフェクトマギっていったい……?」


 ミリアが震える声で叫ぶ。


 アリスは苦しげに表情を歪め、それでも答えた。


「さっき……

 ノイスが記憶を失った時、生まれたばかりの子供みたいだったって話したでしょう?」


「……はい」


「でも、正確には少し違うの」


 アリスはノイスを見上げた。


「記憶を失った後のあの子は、言葉も感情もなく……

 ただ虚ろな目でじっとしているだけだった」


 声が苦しげに掠れる。


「でも、魔素の動きにだけは敏感に反応していたの」


「魔素の……動き?」


「ええ」


 アリスは小さく頷く。


「魔素にしか反応しないあの子に、私が魔素の微細な動きに言葉や感情をひとつひとつ結びつけて、覚えさせたの」


 ミリアが息を呑む。


「覚えさせたって……それじゃまるで……」


「そう。何の分別もできなかったあの子が……

 人として生きられるように」


「せっかくの緻密ちみつな努力も、無駄になったようだな」


 ヴォルテスが薄く嗤う。


「まあ、偽物の感情を植え付けられて……

 彼もさぞ窮屈だっただろうがな」


「違う!

 ノイスが感じていたのは、偽物の感情なんかじゃないわ!」


 アリスがヴォルテスを鋭く睨み返す。


 だが、すぐにその視線はノイスへ戻った。


 アリスの脳裏に浮かんでいたのは、ノイスと過ごした日々だった。


 右も左も、言葉さえわからず、

 何をしても一切の感情を示さなかった子。


 ただ、魔素の流れにだけ敏感に反応し、

 無意識に魔法を発動してしまう。


 そんな、あまりにも危うい存在だった。


 だからアリスは、魔素の微細な流れに一つひとつ意味を結びつけていった。


 嬉しい時の魔素。

 怖がる時の魔素。

 安心した時にわずかに緩む魔素。

 

 そうした揺らぎに、アリスは一つずつ意味を与えていった。


 長い年月をかけて、ようやくノイスは言葉を理解し、

 意思を持って行動できるようになった。


 その積み重ねのすべてが、

 アリスにとっては、かけがえのない大切な日々だった。


 フルートを強く握りしめる。


「今のノイスは、あの時の“何もわからない状態”に戻されたうえで……

 ヴォルテスの魔素にだけ従うよう、作り変えられているの」


 その目には、悔しさと悲しみの滲んだ涙が浮かんでいた。


 そのアリスの姿を見たミリアが呟く。


「じゃあ、もうノイス君は……」

 

「ふははは!

 教えてやろう! 魔導技師アークメイカー


 ヴォルテスが大仰に両手を広げる。


「今やノイス少年は――

 記憶や感情などに左右されない完璧な兵器へと成り変わったのだ!」


「……やっぱり僕を騙してたんだね。

 許さないよ、ヴォルテス!」


 ミリアは鋭く睨みつけた。


 ミリアの怒りに応えるように、自立型魔道具オートマタが一斉にヴォルテスへ銃口を向けた。


「わかっていないようだな」


 ヴォルテスが薄く笑う。


完璧魔人パーフェクトマギの力を……」


 自立型魔道具オートマタたちが赤く光り、魔導弾を放とうとした、その直前。


 ノイスが、ただ静かに手を向けた。


 それだけだった。


 ――バギィッ!!


 すべての自立型魔道具オートマタが、発砲する間もなく一斉に砕け散った。


「僕の、自立型魔道具オートマタが……!」


 ミリアの目の前で、無惨に砕けた機体たちが床へ転がっている。


完璧魔人パーフェクトマギが完成した今――

 私に指一本、触れられやしないさ!」


 ヴォルテスが高笑いする。


「僕のせいだ……」


 ミリアが唇を震わせた。


「僕がヴォルテスの言うことなんか信じて……

 ノイス君を攫って……アリスさんの邪魔までして……」


「悲しまないで。

 ミリアちゃんのせいなんかじゃないわ」


 アリスは静かにミリアを抱き寄せた。


「ア、アリスさん……」


「私が……なんとかするから」


 背中を優しく撫でたあと、アリスはそっとミリアを離す。


 そして、焼けたローブを振り払い、静かにフルートを構えた。


「ノイス!

 あなたがどれほど特別な力を持っていたとしても……

 師匠として、魔法の真剣勝負で負けるわけにはいかないわ!」


「勇ましいな、魔女よ」


 ヴォルテスが愉快そうに目を細める。


「最強の魔法使いとまで言われた、その実力……

 見せてもらおう!」


 フルートの音色が響き渡る。


「最初から手加減なしでいくわよ」


 見事な旋律が次々と魔法を生み出した。


「《ファイヤー・ケルベロス》!」


 豪炎に包まれた三つ首の巨獣が、咆哮とともに駆け出す。


 喉が焼けるほどの熱気が一気に部屋を満たした。


 そのまま爆ぜるような勢いで、ノイスへと襲いかかる。


 だが――


 ノイスは静かに手をかざした。


 目の前に巨大な水塊が出現し、炎獣を丸ごと呑み込んだ。


「っ……!」


 三つ首の炎巨獣は、水塊の中でもがくように暴れ――そのまま掻き消えた。


 それでもアリスの演奏は止まらない。

 重なる音色から、再び巨大な魔法が顕現する。


「《ウィンド・フェンリル》!

 《ウォーター・ヨルムンガンド》!」


 風大狼と水大蛇が同時に解き放たれた。


 風大狼が周囲に激しい風を巻き起こし、その風圧の中では立っていることすらままならない。

 ミリアは床にしがみつき、飛ばされまいと耐えるので精一杯だった。


「次元が……ち、違いすぎる……」

 

 しかし、ヴォルテスの前には魔素の障壁があり、その風は届かない。


「凄まじい魔法だ……だが」


 ヴォルテスの口元が歪む。


完璧魔人パーフェクトマギには敵わんよ」


 迫り来る風大狼に対し、ノイスは瞬き一つしない。


 ――ガァン!


 風大狼はノイスの手前で、分厚い魔素の障壁に激突して止められた。

 

 さらにノイスが片手を広げると、その前方に圧縮された暴風が生まれる。

 

 暴風は風大狼へ正面から叩きつけられ、二つの風は相殺するように消え失せた。


 しかし、その隙をつくように、水大蛇が床を這ってヴォルテスへ迫っていた。


 だが、辿り着く前にノイスから巨大な雷の鎚が放たれた。


 ――バァンッ!!


 振り下ろされた雷鎚が、水大蛇を一撃で掻き消した。


「……っ!」


 アリスは目を見開く。


 自分の放った高位魔法を、詠唱もなく、同格――いや、それ以上の魔法で即座に打ち消した。


 しかも、その表情には一切の揺らぎがない。


「これが……

 本当のノイスの力……」


 あまりにも圧倒的な力。

 あまりにも逸脱した能力。


 ――それでも。


 アリスは、ゆっくりとフルートを握り直した。

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