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八十四話 魔女の覚悟

「あの子は――魔法の常識そのものを壊してしまう力を持ってしまったの」


 あまりにも突飛な話に、ミリアは言葉を失った。


 だが、すぐに歯を食いしばる。


「……そんなの、あんたの都合じゃないか」


「その通りよ」


 アリスは否定しなかった。


「魔素構造の書き換えをした時、私は必死すぎて……

 何故そうなってしまったのかすら、わからなかった」


 フルートを握る指が震える。


「たまたまだったのか。

 何か条件があったのか。

 それとも、あの子が元から特別だったのか……」


 アリスは小さく首を振る。


「魔法協会もあの子を調べたけれど……

 結局、何一つわからなかったわ」


「……っ」


 ミリアの表情に、怒りとは別の色が混じる。


「そして、偶然に生まれてしまった特異体」


 アリスは唇を噛んだ。


「当時の魔法協会は……

 あの子を危険因子として処分すると決めたわ」


「……そんなっ!

 じゃあ、今のユーリスは……」


 ミリアの顔色が変わる。


「私は、それだけは絶対にさせないって……

 魔法協会の上層部と大喧嘩したの」


 アリスの目に、当時の光景が浮かぶようだった。


「その時の魔法協会の会長が、ヴォルテスよ」


 ミリアの呼吸が乱れる。


「結局、私は追放という形で席を追われた」


 アリスは静かに続ける。


「でも――あの子だけは責任を持って預かる。

 何かあれば、私の手で始末する」


 その言葉を口にするだけで苦しかったのか、アリスの声がかすれる。


「その約束を条件に……

 あの子を無理矢理、連れて行ったの」


 ミリアの拳が、わなわなと震える。


「……じゃあ、ユーリスの記憶は?」


 絞り出すような声だった。


「ユーリスが、僕のことを忘れてたのは……?」


 アリスは目を伏せる。


「魔素構造が変わった影響の副作用なのか……

 あの子は、記憶を失っていたわ」


 その声は重い。


「失ったのは、生まれてからの記憶すべてよ。

 目を覚ましたあの子は、産まれたばかりの子供みたいだったわ……」


「じゃあ、ユーリスとしての記憶はもうすでに……」


 ミリアの目に悲しみが滲む。


「……ええ。おそらく存在しないわ。

 取り戻すことも……不可能でしょうね」


 アリスは逃げなかった。


「嫌だ!

 僕は信じない!」


 ミリアが叫ぶ。


「僕は……

 今まであんたに復讐するためだけに生きてきたのに」


「私を許してほしいなんて言わない」


 アリスはまっすぐにミリアを見つめ返した。


「恨まれて当然のことをしたと思ってる」


 フルートを握る手に、力がこもる。


「でも、今だけは……

 ノイスのところへ行かせてほしいの」


 優しい瞳でミリアを見つめる。


「状況によっては……

 私がこの手で、終わらせなければならなくなるから」


「なんて……

 なんて自分勝手なんだ!」


 ミリアが吐き捨てる。


「勝手で構わないわ」


 アリスは一歩も引かなかった。


「ノイスは、私が歪めてしまったの……

 その責任は私が取る」


 その声には、痛みと覚悟が滲んでいた。


「もしもの時は、ノイス一人で行かせたりなんかしない」


 フルートを握る手に、さらに力がこもる。


「私もその後を追うわ」


 その目に宿る覚悟の強さに、ミリアは思わず一歩後ずさった。


「い、嫌だ……嫌だよ。

 ……ヴォルテスは記憶は戻るって僕に言ったんだ」


 ミリアは涙を流しながら、首を横に振る。


「ユーリスとまた会えるかもしれないんだ!

 だから……やっぱりここは通せない!」


「もう一度、はっきり言うわ。

 あの子のユーリスとしての人格は……

 決して戻ることはないわ」


「……っ!」


 その言葉は、アリス自身をも深く抉るようだった。


「それは全部……

 全部、私のせいよ」


 アリスは唇を噛みしめる。


「私を殺したいなら、それでもいい。

 でも今だけは、ノイスのところへ行かせて。

 ノイスを助けた後なら、この命だって差し出すわ」


 ミリアの目が揺れる。


「そんな……でもユーリスは――」


「……ユーリス君は、もういないの」


 アリスは言葉を重ねた。


「私があの時、殺してしまったの……

 その報いは、私が受ける」


 フルートを握る手が震える。


「だけど、それはノイスとは関係のないことなの。

 あの子は、何も知らないの!」


 まっすぐにミリアを見据える。


「だからお願い……

 あの子を、以前のユーリスではなく、今を生きるノイスとして見てあげてほしいの」


「……そんなの」


 ミリアの声が震える。


「そんなの……

 今聞いたことが全部本当なら、僕は……」


 鉤爪を握る手から、力が抜けていく。


「僕は、いったい……

 今まで何をやってたんだよ……」


 がしゃん、と限界を迎えた装備型魔道具フルドライブが外れ、床を打った。


 ミリアはその場に崩れ落ちる。


「ユーリスを助けるつもりで……

 僕は、ただノイス君を傷付けてただけじゃないか……」


 言葉にならない嗚咽が漏れた。


 アリスはゆっくりと近づき、その小さな体をそっと抱きしめる。


「……違うわ」


 震えを帯びているが、とても優しい声だった。


「こんなにも純粋なあなたを騙して、利用したヴォルテスが悪いのよ」


「……っ、ぅ……」


 ミリアはとうとう堪えきれず、声を上げて泣いた。


「憎んでいた魔女が……

 ユーリスの命を救ってくれた恩人だったなんて……」


「救っただなんて、そんなふうに言わないで。

 あなたから大切なものを奪ったのは、間違いなく私だもの」


 アリスは目を伏せ、ミリアに頭を下げる。


「本当にごめんなさい……」


「……謝らないでください。

 ユーリスは、ガーナウス攻防戦の時……

 魔族を怖がる僕を見て、『追い払う』って飛び出したんです」


 溢れる涙を堪えながら、ミリアは続ける。


「僕が怖がらなければ……

 ユーリスは、あんなところまで行かなかったのに。

 全部、僕のせいだ……」


 悲しみに暮れるミリアの背中を優しく摩る。


「あなたのせいじゃない……。

 何も悪くないのよ」


 しばらくして、アリスはそっと問いかけた。


「ねえ……

 あなたの名前を教えてもらってもいいかしら?」


「……ミリア、です」


「そう……

 ミリアちゃん、ね」


 その名を、アリスは大切に確かめるように繰り返した。


「ノイス君は……

 僕の、部活の後輩で……」


 ミリアの声が震える。


「う、えぐ……

 一緒にいると、楽しくて、

 優しくて、ものすごく頼もしくて……」

 

「そうなのね。

 ノイスと仲良くしてくれていたのね……」


 涙を浮かべるアリスの声も、どこか柔らかかった。


「でも、僕はそんなノイス君を裏切って、ひどいことをした……

 ちゃんと謝らなきゃ……」


「大丈夫よ。私が必ず連れて帰るから……」


 アリスはそっと、ミリアを抱きしめた。


「私が……

 全部終わらせるから」


「アリスさんって……呼んでもいいですか?」


「ええ……もちろんよ」

 

「アリスさん。

 ヴォルテスは、この奥にいます……」


 ミリアは震える手で、扉を指差した。


 そして、アリスの手を握る。


「お願いです。

 ノイス君を……助けてください」


 ようやく手を取り合えた、その瞬間だった。


「危ないっ!」


「え……?」


 ミリアの体が、強く突き飛ばされる。


 アリスが咄嗟に押しのけたのだ。


 ――ドヴァンッ!


 轟音とともに、たった今まで二人がいた場所が爆炎に呑まれた。


 熱風が部屋を薙ぎ払い、鉄と油の匂いを焦げ臭さで塗り潰していく。


 ようやく届いたはずの救いは――

 爆炎の中に、無惨に呑み込まれた。

ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。


いよいよ明日から最終章に入ります。


この作品を書いている途中で何度もエタりそうになりました。


それでもここまで書き続けてこられたのは、読んでくださる皆さまや、応援してくださる皆さまがいたからです。


残すところあと数話。

最後までノイスたちの物語にお付き合いいただけたら嬉しいです。

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