八十三話 ガーナウスの真実
――鉄と油の匂いが漂う、装甲と魔道具のメンテナンスルーム。
「今度こそ……
ユーリスを奪わせないっ!」
涙を堪えたまま顔を歪め、ミリアは大きく跳躍した。
一息でアリスとの間合いを詰め、装備型魔道具の鉤爪を大きく振りかぶる。
ミリアの気迫に押されながらも、アリスは思っていた。
ノイス――いや、ユーリス。
あの子には、本来あるべき未来があったのかもしれない。
それを狂わせた原因が、自分にあることをアリスは否定できなかった。
だからこそ、ミリアの怒りも憎しみも否定できない。
けれど――今は立ち止まっている場合ではなかった。
まずはノイスを救わなければならない。
アリスは静かにフルートを口元へ添えた。
「死ねえええぇ!
魔女!」
ミリアの鉤爪が、容赦なくアリスへ振り下ろされた。
「《アイス・タートル》」
巨大な氷亀が出現し、アリスの前に割り込む。
だが――
――バギィンッ!!
鉤爪は氷亀ごと叩き裂き、その巨体を一瞬でバラバラに砕いた。
「恐ろしいほどの切れ味ね……!」
アリスはすぐさま次の音を重ねる。
「《ファイヤー・キャット》
《ウィンド・ホーク》」
炎獣と風鳥が同時に飛び出し、炎獣がミリアに襲いかかった。
「そんなもの!!」
ミリアは躊躇なく鉤爪を振るう。
炎獣はまるで紙を裂くようにあっさりと切り裂かれた。
その隙に、アリスは風鳥へ飛び乗って一気に距離を取る。
「……あの鉤爪は、魔素そのものを断ち切る力があるのね」
アリスは目を細めた。
「厄介だわ……」
「逃げるなよ、魔女っ!」
ミリアの装備型魔道具が赤く光る。
「待って! あなたは勘違いしてるの!
お願い、話を聞いて!」
「魔女の言葉なんかに、耳を貸すもんか!」
ミリアはアリスを追って高く跳び上がる。
「私は、ノイス……
いえ、ユーリス君を助けに来たの!」
アリスは風鳥に乗り、距離を取りながら叫ぶ。
「このままだと、あの子は――」
「穢らわしい魔女が、ユーリスの名を口にするな!」
装備型魔道具が赤く発光し、アリスへと追いつく。
「早いっ!」
アリスは咄嗟に風鳥を盾にするが、鉤爪が簡単に引き裂く。
「……っ!
《アイス・ホーク》」
氷鳥を呼び出し、アリスは辛うじて体勢を立て直した。
「ユーリスは今……
あんたに奪われた記憶を取り戻そうとしてるんだ!」
ミリアの声は怒りで震えている。
「あんたに邪魔はさせない!」
「ヴォルテスがそんなことを言ったの?
あなたは、その言葉を本気で信じたの?」
痛いところを突かれたように、ミリアは顔を歪める。
「……っく。MCRもヴォルテスも確かに信用できない!
でも、あんたよりは百倍マシだ!」
ミリアは鉤爪を振り回し、アリスを追い詰める。
「ヴォルテスは自身の野望のためなら、
なんでもする男よ!」
氷鳥に乗りながらも、アリスは器用に距離を取る。
「このままではあの子は、あなたの知ってるユーリスでもノイスでもなくなってしまうのよ!」
襲いかかるミリアを説得するように声をかける。
「必ず、悪用されてしまうわ!」
「どの口が……そんなこと言えるんだ!」
しかし、ミリアは聞く耳を持たない。
「あんたが、悪用した張本人だろうが!!」
その怒りで、ミリアは完全に冷静さを失っていた。
「仕方ないわ……
《アイス・ホーネット》」
フルートの音色とともに、無数の氷蜂がアリスの周囲から溢れ出す。
それらは一斉にミリアへ群がる。
鉤爪で振り落とすが、次第に手足へまとわりつき、凍りつかせていった。
「……っ!」
「ごめんね……
少しだけ、ここで大人しくしていて」
手足が凍りついたミリアを置いて先へと進もうとするアリス。
「おい! ふざけんなっ!
絶対に行かせるもんか!」
装備型魔道具が赤く発熱し、手足を覆った氷を無理やり溶かしていく。
「……ぐああっ」
氷を溶かす熱に、ミリア自身の肌も焼かれていた。
「あなた……
なんてことを……!」
「黙れ!」
ミリアは痛みすら押し殺して叫ぶ。
「ユーリスを救うために……
ここで、あんたを殺すんだ!」
残った周囲の自立型魔道具が一斉に起動し、赤い照準をアリスへ向けた。
「もうあの時の何も出来なかった僕じゃない!」
発砲と同時に、ミリア自身も鉤爪を振るって斬りかかる。
「《ウィンド・ペガサス》」
アリスの音色から現れた風幻獣が駆け抜け、砲撃の軌道を逸らす。
そのまま突進し、ミリアを正面から押し返した。
「もうやめなさい!
あなたまで傷つく必要なんてないの!」
「僕なんかどうなってもいい!」
ミリアの光を失った瞳からは涙が滲んでいる。
「でも、目の前でユーリスを失うのだけは……
それだけは、もう嫌なんだぁ!!」
そのまま、押し返してくる風幻獣へ鉤爪を叩き込む。
――バシュッ!!
風幻獣は細かく裂かれ、霧のように掻き消えた。
「なんて執念なの……!」
「装備型魔道具ブレイクリミット」
装備型魔道具は赤熱し、煙を出しながら、出力を上げてアリスへと突っ込んだ。
「どうして……
どうしてユーリスにしたのさ!」
ミリアの悲痛な声が震える。
「実験体にするなら、誰でもよかったんでしょ!」
飛びつくミリアは、鉤爪を振り下ろす。
「実験のためなんかじゃない!
私はあの子を救いたかったの!」
アリスはミリアの鉤爪を必死に魔法で逸らす。
「あなたも見たのでしょう?
あの子が狂素病になってしまったのを!」
ミリアの表情が、わずかに揺れる。
「……見たよ」
吐き捨てるように言う。
「だからって……
記憶を消して実験体にしていい理由にはならない!」
鉤爪で魔法ごとアリスを地上へと突き落とす。
「……っ。
記憶だって、消したくて消したわけじゃないわ!」
地上に着地したアリスの声が苦しげに震えた。
「結果的にそうなってしまったの……!」
ミリアは鉤爪を握る手に力を込めたまま、黙って睨みつける。
「あの時……
ガーナウス攻防戦でのことは、今でもはっきり覚えているわ」
アリスの視線が、遠くを見るように揺れる。
「魔族が、ガーナウスの防衛線の一角へ一気に押し寄せてきたの」
アリスはミリアと距離を置くが、ミリアはすぐに詰め寄った。
「あんたがちゃんと倒さなかったからじゃないか!」
「最初は、誰もあんなに被害が広がるだなんて思ってなかったの!」
ミリアの鉤爪が唸りを上げる。
アリスは氷亀を出し、砕かれながらも叫び返した。
「魔族たちの勢いは思った以上だった。
侵攻は街のすぐそばまで迫って、一緒に戦った仲間も何人もやられたわ」
アリスは悔しそうに目を伏せた。
「これ以上侵攻されれば、より多くの人に被害が出る。
だから私は――私の最大をぶつけるしかなかった」
「……っ」
ミリアの目が揺れた。
「私の渾身の魔法でなんとか魔族たちは制圧できた」
アリスは唇を噛みしめる。
「でも、その戦場のすぐそばにいた一人の少年が……
魔素に当てられて、狂素病になってしまったの」
「なんで……ちゃんと周りを見てなかったんだよ!」
ミリアは鉤爪で床を抉る。
「あの時はもう、そうするしかなかったの!
あんな前線に子供がいるなんて……思わなかった」
ミリアの瞳が揺れる。
アリスは目を逸らさない。
「狂素病は、強い魔素に引っ張られて体中の魔素が暴走を始める。
魔法に抵抗のない者は、命を落とすわ」
「だから私は、その子の命を救うために――」
フルートを握る指先が震える。
「まだ研究段階だった、魔素構造の書き換え術式をその場で施したの」
「……っ!」
ミリアの呼吸が止まる。
「そんな……あの場で……?」
「症状は一刻を争う。
考えてる余裕なんて、なかったわ……」
アリスはかすかに首を振る。
「成功する確率なんて、天文学的な数字だった。
……あまりにも分の悪い賭けだった」
「それでも――」
声が、掠れる。
「頼らずにはいられなかった。
あの子の命だけは、なんとしても助けたかったの」
ミリアの瞳が大きく揺れた。
怒りだけではない。
困惑と、信じたくない思いが混ざっている。
「夢中で術式を終えた時……
あの子の症状は安定していた」
アリスは当時の光景を頭に浮かべて目を見開いた。
「自分でも信じられなかった。
あまりの幸運に、しばらく涙が止まらなかったわ」
フルートを握りしめる。
「本来なら、あの子の様子を魔法協会で確認して……
問題がなければ、ガーナウスへすぐに帰してあげる予定だったの」
「じゃあ……
なんでユーリスを帰さなかったんだよ!」
ミリアの声が荒くなる。
アリスは苦しげに息を吐いた。
「魔素構造の書き換えによって、あの子は特異体質になってしまっていたの……」
「……特異体質?」
ミリアが眉をひそめる。
「ええ」
アリスは頷く。
「大気中や大地から、際限なく魔素を取り出し、詠唱も準備もなく魔法へ変える。
そんな力を持ってしまっていたの」
ミリアの目が大きく揺れる。
「命を救う過程で、そんな力が偶然手に入ったとでも言いたいの?」
「残念ながら……そうなの」
「そんな……」
ミリアの踏み込みが、わずかに鈍る。
「その特異な力は、魔法協会を揺るがすどころの話じゃなかったわ」
アリスの声が重く沈む。
「あの子は――魔法の常識そのものを壊してしまう力を持ってしまったの」
ミリアは、言葉を失った。
怒りのまま振り上げていた鉤爪が、空中で止まる。
振り下ろそうとしても、もう先ほどまでのような殺意が刃に乗らない。
怒りも、憎しみも、消えたわけではない。
信じたくない。
納得なんて、したくない。
けれど、この話が真実だとしたら。
目の前の魔女が、本当に悪人ではないのだとしたら。
今まで向け続けてきた憎しみの矛先が、行き場を失っていった。




