八十一話 新しい魔法
荒れ狂う音の波が、ルーシーを呑み込む直前。
ルーシーの長い演奏は、最後の一音へ辿り着いていた。
「――顕現せよ。
《デュアル・セイクリッド・ビースト》」
迫り来る音の衝撃波の前に、二つの巨体が現れる。
ルーシーの前に立ちはだかったのは、二体の狛犬。
紅き牙を持つ狛犬。
蒼き牙を持つ狛犬。
音の衝撃波を掻き消し、吹き飛ばされたルーシーを背に乗せて、狛犬たちは静かに大地を踏みしめた。
その二体は、今までの魔法とは明らかに違っていた。
固有の属性を宿していない。
ただ、神聖な魔素だけを纏い、静かな威圧感を放っている。
「私の魔素を……
全部、持っていきなさい!」
「なんだよ、それは……。
そんなコケ脅しに、わたしが騙されると思ったのか!」
フィーラは重ねるように音の衝撃波を放った。
だが、ルーシーは迷わず叫んだ。
「蒼牙の狛犬!」
蒼き狛犬が前へ出る。
その口元から広がった水の膜が、押し寄せる音の衝撃波を真正面から受け止めた。
「……っ!」
「紅牙の狛犬!」
今度は紅き狛犬が炎を纏い、フィーラめがけて鋭く跳びかかる。
「《サウンド・バリア》!」
フィーラの前に音膜が展開される。
だが、紅牙の狛犬は怯まない。
炎を纏った前脚が音膜を弾くように叩き、音膜ごとフィーラの身体を吹き飛ばした。
「……がはっ!」
紅牙と蒼牙の二体の狛犬は、まるで主を守るようにルーシーの傍らへ寄り添った。
「……ありがとね」
息を切らしながら、ルーシーは二体の狛犬にそっと優しく触れた。
弾き飛ばされたフィーラは腕を押さえながら、ふらつく足で立ち上がった。
「何よ……それ!
魔女は、そんな魔法使わない!」
「そうです。
これは、絶詠の魔女様の魔法ではありません」
ルーシーは胸元を押さえ、荒い息を整えながら言った。
「私が、私自身のために生み出した魔法です」
紅牙と蒼牙。
攻めと守りを司る、二体の魔法。
その姿を見上げながら、ルーシーはきゅっとフルートを握りしめる。
だが、視界が霞む。
一体だけでも、桁違いに魔素を食う魔法。
それを二体同時に維持する負荷は、想像以上に重かった。
「……何よ。
ついにわたしを殺すつもりになった?」
「いいえ、違います」
ルーシーは首を横に振った。
「私は、フィーラさんとお友達になりたいんです」
フィーラの目が揺れる。
「はあ? お友達って……あんたね」
「私、学園に入るまでずっと一人でした」
ルーシーは狛犬たちの背にそっと手を添えながら、まっすぐフィーラを見つめた。
「でも、ノイスくんやロウくん、ミレイユさんやユミナさんに出会って……
ピンチを助けてもらって、困った時は頼らせてもらって……
友達がいるって、こんなにも心強いんだって知ったんです」
息は苦しい。
それでも、言わなければならないと思った。
「だから、あなたのことも放っておけません」
フィーラの唇がわずかに震える。
「あなたがどれだけ辛かったのか、全部わかるなんて言いません。
でも……ずっと一人で苦しんできたんだろうなって、それくらいはわかります」
「わかったようなこと言うな……」
「わかったふりなんてしません」
ルーシーはきっぱりと言った。
「だからこそ、ちゃんと知りたいんです。
あなたのことを」
フィーラのオッドアイが揺れる。
「もし、あなたの隣に話を聞いてくれるお友達がいたなら……
少しは違っていたんじゃないかって、私は思うんです」
「……っ」
「絶詠の魔女様のことも、すぐに信じられなくていいです。
でも――せめて、私にその胸の内を話してください」
ルーシーは一歩、前へ出た。
「少しは楽になるかも知れないじゃないですか。
私は、あなたを一人になんてさせません」
「その考え方が甘いって言ってるんだよぉ!!」
フィーラの叫びが、そのまま音刃となって放たれる。
「《サウンド・スラッシュ・フォルティッシモ》!」
蒼牙の狛犬が前へ出て音刃を受け止める。
同時に紅牙の狛犬がフィーラへ跳びかかり、その体を再び弾き飛ばした。
「……っがは!」
だが、今度はその先へ蒼牙の狛犬が先回りする。
水の膜を柔らかく広げ、フィーラの身体を受け止めた。
「もうやめましょう……」
ルーシーは瞳に涙を溜め、そっと手を差し伸べる。
「これ以上、あなたを傷つけたくありません」
「お、お前……」
フィーラのオッドアイが揺れる。
「……私とお友達になりませんか?」
「わ、わたし……友達なんか」
「私はなりたいです!
そして、一緒に絶詠の魔女様を推しましょう!」
屈託のないルーシーの笑顔。
「なんて顔するのよ……
わたしは敵よ」
「敵なんかじゃありませんよ。
友達ってとてもいいものなんですよ」
「ふんっ! そんなの別にいらないけど、そこまで言うならわたしも——」
フィーラは涙を堪えて、その手を取ろうとするように、指先がわずかに伸びた。
――キィィィン。
その瞬間――ドーム状の部屋いっぱいに、不快な高音が響き渡った。
「あああああああっ!!
なんで……やめてええぇぇぇ!!」
フィーラが頭を抱え、絶叫する。
「どうしたんですか!?
落ち着いてください!」
その手を掴もうとした、まさにその瞬間だった。
ルーシーの視界が、ぐにゃりと歪む。
「これは……」
頭が大きく揺さぶられているかのように気持ち悪い。
そして、ルーシーの頭に雪崩れ込んできたのは、フィーラの悲惨な過去と激しい憎しみの感情だった。




