八話 魔法の常識
数日後。
アスカナティア魔法学園は、いつも通りの朝を迎えていた。
石畳の通学路を、生徒たちが行き交う。
制服に身を包み、談笑しながら校舎へ向かう――
一見すれば、平穏そのものの光景。
――もっとも。
「ねえ、聞いた?」
「貴族寮で問題起こしたって……」
「オルドゥスト家のクレイン、退学らしいよ」
「あのルキウス様の逆鱗に触れたらしい」
そんな囁きが、あちこちから聞こえてくる。
あれ以来、クレインの姿は見かけない。
ルキウスが事態を重く見て動いたようだ。
有力貴族であるファンフォルド家の怒りを買い、
オルドゥスト家は魔法協会内でも厳しい立場に追い込まれているらしい――
そんな噂が広がっていた。
だが、ノイスはそれを特に気にする様子もなく、
いつもの足取りで教室へ向かっていた。
その隣には、銀髪の少女――ルーシー。
並んで歩いているだけなのに、
周囲の視線がやけに集まっている。
「……なんか、見られてる気がするね」
「詳しいことは伏せられているみたいですが、
噂だけは広まっているようですね」
淡々とした口調。
だが、わずかに視線を落とす。
貴族寮で何があったのかは、公式には公表されていない。
おそらくは、ルーシーへの配慮もあるだろう。
それでも――
あの日、クレインと言い争っていたことや、
ルーシーが貴族寮に出入りしたことは、多くの目に触れていた。
噂は、十分すぎるほどに広がっている。
「ノイスくんのことはともかく……
私が貴族寮へ入るところは、見られていましたから」
「貴族寮に入れてもらえたってことは、
やっぱりルーシーって貴族なんだよね?」
ルーシーは小さく息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「はい、一応は……。
ウィンディ家は、この都市では多少名を知られている程度ですが」
(でもルキウスさんは、ウィンディ家はオルドゥスト家とは格が違うって言ってたけどな)
「それでも貴族寮には入ってないんだ?」
少しの沈黙。
「……私は、家の名前で扱われるのがあまり好きではないのです」
静かに続ける。
「“ウィンディ家”というだけで、
色眼鏡で見られてしまいますから」
穏やかな声音。
けれど、その奥にははっきりとした意志があった。
「もちろん両親は私に貴族寮に入るよう言いました。
でも、私は一般寮を選んだのです」
それは、ただの反抗ではない。
ルーシー自身の選択だった。
「ごめんなさい。
隠していたつもりはなかったんです」
「ああ、別に気にしてないよ。
ルーシーはルーシーだからね。
まあ、僕も目立つのは苦手だし。一緒だね」
ルーシーの瞳が、わずかに揺れた。
「……一緒、ですか」
その言葉が、少し嬉しそうだった。
「そういえば、ルキウスさんとは随分親しかったよね?
知り合いなの?」
何気ない問いかけだった。
「……!」
けれど、その一言に、ルーシーの表情がほんの一瞬だけ強張る。
「えっと、それは……」
視線が泳いだ。
「同じ貴族社会の中で、顔を合わせることがある……
その程度です」
(……それにしては、やけに距離が近かった気もするけど)
「ふうん。そうなんだ」
「そ、それよりもです!」
強引に話題を変えるルーシー。
「ノイスくんのお名前です!」
ぐっと距離を詰め、目を輝かせる。
「ノイスくんの名字って、絶詠の魔女であるアリス・ノーチラス様と同じなんですね!」
「ああ。
僕は身寄りがないから、師匠の養子なんだ」
胸の前で手を組み、うっとりするルーシー。
「なんて羨ましい……!
絶詠の魔女様の名字を頂いたなんて……」
「いや、養子なんだから普通だと思うけど」
「普通じゃありません!
あ……じゃあ、もし将来、ノイスくんと籍を入れたら――」
にやけが止まらないルーシー。
「あわわわ……私は、戸籍上は絶詠の魔女様の娘に……」
「そんな不純な動機で、籍を入れようとしないでよ」
「えへへ……冗談ですよ、冗談!」
ルーシーは照れたように頬を赤くした。
先日の出来事が嘘のように、
表情はすっかり明るい。
(……まあ、元気になったなら、それでいいか)
ノイスはそう思い、
特に深く追及することなく、教室の扉を開けた。
何人かの視線が、同時にこちらへ向く。
ひそひそと、声が走った。
ノイスは気づかないふりをして、自分の席へ向かう。
「おはよ」
気の抜けた挨拶。
「おう。相変わらず朝から覇気がねえな」
隣の席のロウが、呆れたように言う。
「こんなやつが、あの騒動の中心人物だって、
誰も思わねぇだろ」
「あはは。
他で言いふらさないでよ」
ロウは肩をすくめる。
「もう色々とバレてそうだけどな。
なあ、ルーシー?」
「噂なんて、すぐに収まりますよ」
ルーシーは小さく息を吐き、
自分の席へと向かった。
あの一件以来、ロウはよく絡んでくるようになった。
クラスの中でも、自然に話せる数少ない存在だ。
“絶詠の魔女の弟子”
その肩書きだけで距離を置く生徒も多い。
だからこそ、気さくに話しかけてくるロウは、どこか貴重だった。
――学園生活は、順調なはずだった。
少なくとも、ノイス自身はそう思っていた。
何かと目をつけられていたクレインは退学。
ルーシーも元気を取り戻した。
これ以上、面倒ごとに首を突っ込む理由はない。
(あとは目立たず、楽に、卒業までやり過ごすだけだ)
――その日の二限目。
魔法基礎理論の授業で、早速その平穏は崩れた。
「なぜ、こんなことすら分からない?」
スコルドは黒板を指し、もう一度問い直す。
「炎魔法を発動する際、最初に意識すべきことは何だ」
「えっと……炎魔法は、熱をそこに置く感じで……」
「何を言っている……。
魔素を伝達する構造が、そもそも違う」
(え? 何それ……)
黒板に、乱暴な字で円と線が描かれていく。
「魔法とは、“魔素”を媒介にして世界へ干渉する技術だ。
基礎属性は六つ――炎、水、風、土、雷、氷」
チョークが、黒板を強く叩く。
「重要なのは、魔素をどの属性へ変換し、どう流すか。
どれだけ魔素を流そうとも、流れを誤れば暴発する」
数人の生徒が真剣にノートを取っている。
ルーシーも背筋を伸ばし、集中していた。
一方――
(……あれ?)
ノイスは首を傾げていた。
(魔素の流れって、そんなに意識するもんだっけ?)
師匠――絶詠の魔女は、
魔法を教えるとき、こう言っていた。
『魔法はね、流すんじゃないの。
“置く”のよ』
(置いて、形を決めて、あとは世界に任せる感じだったような……)
スコルドが、黒板に複雑な魔法陣を書き足す。
「基礎理論では、この魔法陣を通して魔素を制御する」
ぴくり、とノイスの眉が動いた。
(制御環が二重……? いや、それなら中央の媒介線はいらないと思うけど)
(そもそもあの魔法陣には、無駄が多すぎるな)
スコルドは続ける。
「では質問だ。
魔素を安定させるために、最も重要な工程は何だ?」
教室が静まる。
数秒後、ルーシーが手を挙げた。
「魔法陣による制御、そして正しい魔素の整流です」
「正解だ」
スコルドは短く頷く。
「ノイス。
お前はどう思う」
(え? また僕……?)
ノイスは立ち上がり、少し考えてから答えた。
「えっと……
制御する魔法陣も整流も、実質的には必要なくて。
魔素を“置く”イメージがあれば――」
――沈黙。
教室の空気が、一瞬だけ固まる。
ロウが、横で小さく呟いた。
「……ん? どういうことだ、それ」
スコルドは、じっとノイスを見つめたまま動かない。
「……そんな理論は聞いたことがない」
低く、抑えた声。
「え? そうなんですか?」
ノイスは本気で不思議そうに首を傾げる。
その反応に、教室の数人がざわついた。
「ロウ」
不意に、スコルドが声を向ける。
「代わりにお前が答えろ」
「えっ、俺ですか?」
一瞬固まり、慌てて背筋を伸ばす。
「先生……
正直、何を言ってるのか、まったく分かりません!」
「……お前たち」
スコルドは頭を抱え、短く言い切った。
「ロウ、ノイス。
お前たちには別途課題を出す。
放課後に提出するように」
ロウの顔が引きつる。
「マジかよ……」
ノイスも、素直に頷いた。
「……分かりました」
ノイスは納得がいかなかったが、大人しく席に座った。
(……理屈は分からないけど)
(僕の魔法が、間違ってるとは思えないんだけどな)
だが――
ここは、学園だ。
目立たず、波風立てずに過ごすと決めたばかりだ。
(まあ、いいか。適当にやり過ごせば)




