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七話 静かな断罪

 応接室には、まだ湿った空気が残っていた。


「……ば、化け物だ……」


 クレインは、床に膝をついたまま動けずにいた。

 肩を震わせ、濡れた前髪の奥から覗く目には、もはや怒りはない。


 あるのは――

 自分が“格の違う存在”に喧嘩を売ってしまったという、純粋な恐怖。


「……に、逃げよう」


 取り巻きたちが入口の鍵を開けた瞬間――


 ――ぎい、と。


 重厚な扉が、ゆっくりと開く。


 誰もが、はっと息を呑んだ。


 静かで、整っていて――

 その場の空気そのものが、彼に従っているようだった。


「……何の騒ぎだ?」


 穏やかで、よく通る声。


 振り返った取り巻きたちが、一斉に顔色を変える。


「ル、ルキウス様……!」


 現れたのは、金色の髪を整えた端正な顔立ちの青年だった。

 上級生用の制服。洗練された佇まい。

 立っているだけで、この場の“序列”を書き換える存在。


 ――ルキウス・ファンフォルド。


 アスカナティア魔法都市随一の名門、

 ファンフォルド家の長男。


 クレインは、その姿を確認した瞬間、

 縋るように這い寄った。


「ル、ルキウス様……!

 こいつらです! こいつら庶民が、突然暴れ出して……!」


 涙声だった。

 さきほどまでの尊大さは、跡形もない。


「私は止めようとしたんです!

 ですが、あの眼鏡の男と小汚い小娘が……!」


 必死に指差した先。

 そこには、平然と立つノイスと、

 その隣で目を丸くするルーシーの姿があった。


 ルキウスは、ゆっくりと視線を向け――

 そして、その途中で、ぴたりと動きを止める。


「……クレイン・オルドゥストだったな。

 今、口にした小汚い小娘というのは、

 そこにいる銀髪の女生徒のことで間違いないか?」


「は、はい! そうです!

 そこの銀髪の小娘が、我ら貴族に取り入ろうと色目を使って来たのです!」


 彼は、クレインの言葉を一切聞かぬまま、

 静かに、ルーシーの前へと歩み寄り――


 その場に、片膝をついた。


「久しぶりだね、ルーシー」


 応接室が、凍りついた。


 クレインの顔から、血の気が引く。


「……な、に……?」


 ルーシーは、言葉を失ったまま立ち尽くす。


「ファンフォルド家を代表し、

 ウィンディ家の令嬢を、このような不快な場に居合わせてしまったこと――

 心からお詫びするよ」


「……ルキウス様。

 このような姿でのご挨拶、お許しください」


 皺になった男物のシャツを手で隠し、丁寧に頭を下げた。


 誰もが知っている。

 この男が、誰に対しても膝をつく存在ではないことを。


 クレインの喉から、かすれた声が漏れた。


「……う、ウィンディ……?」


 理解が、追いつかない。


 ルキウスは、ゆっくりと立ち上がり、

 なおも穏やかな笑みを浮かべたまま、告げた。


「そうだ。彼女は――ウィンディ家のご令嬢だ。

 オルドゥスト家とは格が違うぞ」


 その一言で。


 クレインの世界は、完全に崩れ落ちた。


「……そんな」


「クレインだけではない。

 ここにいる全員にも話を聞かなくてはな。

 その場を動くなよ」


 裸のまま、その場に立ちすくむ取り巻きたちも、もはや抵抗する気力を失っていた。


「そんな……信じてくださいよ!

 ルキウス様、私は……」


「状況を整理すれば、大体のことはわかる。

 ルーシーにしたこと……私は決して許さぬぞ。

 償ってもらう。オルドゥスト家にはな」


「……ゆ、夢だ……」


 クレインの唇が、かすかに震える。


「こんなのは、夢だ。

 あの女が……

 ウィンディ家のご令嬢であるはずがない……」


 ふらつく足取りで、クレインはゆっくりと立ち上がった。


「全部……全部全部!!

 お前のせいだ!」


 歪んだ視線が、ルーシーを射抜く。


「ルーシー・ウィンディ!!」


 叫びと同時に、杖が振り上げられた。


「駆け抜けるは閃光――」

 

 ――シュンッ!


 空気が裂ける音。


「動くなと言ったはずだが……」


 いつの間にか、

 ルキウスの杖がクレインの喉元に突きつけられていた。


 短い詠唱のみで一切の予兆はなかった。


 クレインの喉が、ひくりと鳴る。


「……早いね」


 場違いなほど呑気な声で、ノイスが呟く。


「あれは光魔法だね。

 光魔法の精度だけなら……師匠よりも上かもしれない」


 感心したように、ルキウスを目で追う。


「……大人しく着いてきてもらうぞ。

 クレイン・オルドゥスト」


 名を呼ばれた瞬間、

 クレインの肩が、がくりと落ちた。


「……はい……」


 観念したように、力なく頷いた。


 ルキウスを追って、貴族寮の警備員や他の生徒が集まる。

 そして、ルキウスはクレインや取り巻きたちの身柄を預けた。


 そこでようやくルーシーに向き直った。


 表情は柔らかく、

 先ほどまでの冷気は、まるで最初からなかったかのようだ。


「危ないことはよしてくれよ、ルーシー。

 君に万が一のことがあったら、私は気が気じゃない」


 一瞬だけ、言葉を切る。


「……本当に、心配したんだ」


 ルーシーの頬を優しく撫で、見つめるルキウス。


 ルーシーは、はっとして姿勢を正し、

 手を振り払うように深く頭を下げた。


「ルキウス様……申し訳ございません」


 その言葉に、ルキウスは困ったように笑った。


「あはは、やめてくれよ。

 昔みたいに、もっと気楽に接してくれていいんだ。

 君と私の仲じゃないか」


 優しい声音。

 非の打ちどころのない態度。


「目立つ立場なのですから、不用意な発言はお控えください。他の方の目もあります」


 ルーシーの態度は変わらない。


「ああ、そうだな。

 お友達の前では恥ずかしいか」

 

 そのまま話題を切り替えるように、

 握手を促すような仕草をして、ノイスへと視線を向けた。


「そういえば、挨拶が遅れたね。

 ルキウス・ファンフォルドだ」


「僕はノイス。ノイス・ノーチラスです」


 その名を聞いた瞬間、

 ルキウスの表情が、ほんの一瞬だけ強張った。


 だが、ノイスがそれに気づくより早く、

 先ほどと変わらぬ爽やかな笑みが戻っていた。

 

「いや、申し訳ない。聞いたことがない名だと思ってな。

 貴族寮にいる生徒の名前は、一通り把握しているつもりだったんだが」


「僕、一般寮なんで。仕方ないですよ」


 ノイスは、悪びれもせず肩をすくめた。


「……なるほど」


 ルキウスは一瞬だけ目を細め――

 すぐに、爽やかな笑みに戻る。


「よろしく頼む、ノイス君」


 そう言ってから、応接室を一瞥する。


「私は後処理がある。

 ルーシーを頼んでもいいかな?」


「わかりました。ありがとうございます」


(……なんか、すごくちゃんとしてる人って感じだ)


 ノイスは、素直にそう思った。


 

 貴族寮を出ると、外は暗くなり始め、夜風が頬を撫でた。

 張り詰めていた空気が、ようやく遠ざかる。


「……はぁ」


 ルーシーが、ようやく息を吐く。


「大丈夫? ルーシー」


「え、ええ……はい」


 少し遅れて、頷く。


 ノイスは、何気ない調子で言った。


「それにしても、ルキウスさんっていい人だね」


 ルーシーの足が、ぴたりと止まる。


「……え?」


「ちゃんと話を聞いてくれたし、助けてもくれたしさ。

 貴族って、もっと面倒な人ばっかりだと思ってた」


 悪気は、まったくなかった。


 ルーシーは、しばらく黙ったまま歩き――

 やがて、視線を逸らして小さく口を開く。


「……良い人……ですよね」


 か細い声だった。


(……ルーシー、元気ないな。

 まあ、あんなことがあった後だし、仕方ないか)


 ノイスは深く考えず、いつもの調子で続ける。


「ねえ、ルーシー。

 それにしても、どうして一人であんなところに行ったの?」


 少し間を置いてから、言葉を選ぶように。


「師匠を馬鹿にされて腹が立つのはわかるけどさ。

 師匠、ああいう陰口とか今更気にしないと思うよ」


 ルーシーは、ぎゅっと拳を握った。


「……違います」


「え?」


「“絶詠の魔女”様を馬鹿にされたからじゃありません」


 きっぱりと、否定する。


「ノイスくんが……

 私のせいで、あんな目に遭わされたからです」


 視線を伏せたまま、言葉を絞り出す。


「だから……クレインさんには、

 ノイスくんに謝ってほしくて……」


 ノイスは、少しだけ目を瞬かせた。


「それで……貴族寮に一人で」


 ルーシーは、小さく頷いた。


「そっか。……ありがとね、ルーシー」


「……それだけ、ですか?」


 思わず、声が揺れる。


「勝手なことするな、とか

 面倒ごとを起こすな、とか……言わないんですか?」


 ノイスは、少し考えてから肩をすくめた。


「別にいいよ」


 あっさりと。


「ルーシーが、僕のことを思ってやってくれたんでしょ。

 それなら、それでいいじゃないか」


 一拍置いて、ルーシーが小さく笑った。


「そうですか……

 なんだかノイスくんのこと、少しわかってきました」


 貴族寮の正門の方から、やけに騒がしい声が響いてくる。


「おい!

 中へ入れてくれ!」


 門番と何やら揉めているひとりの男が目についた。


「銀髪の女の子が危ねえかもしれねぇんだ!

 頼むから、通してくれ!」


「ダメです!

 ここは許可された者以外、立ち入り禁止です!」


 門番に押し返されながらも、必死に食い下がる赤髪の青年――ロウだった。


「……あはは」


 ノイスは思わず、苦笑する。


「ロウのやつ、まだ門で粘ってたのか」


 その声には、呆れと――

 ほんの少しの、ありがたさが混じっていた。


「ロウが、ルーシーのことを教えてくれたんだ。

 でも、ロウが門番に止められてるのを見て、僕は地中から入ったよ」


「地中からって……」


 ルーシーが、驚愕したように目を丸くする。


「急に足元から現れたから、何事かと思いました……。

 そんなことできるのはノイスくんくらいですよ」


「え? そうなの?

 地中を進むのはいいんだけど、出たあとの穴を埋めながら移動するから地味に大変なんだ」


「……魔道具といい、魔法の使い方といい、ノイスくんは一体、どれほどの力を隠してるんですか」


 呆れ混じりにそう言った、その時。


「あ! ノイス!

 それに……銀髪の!」


 門の方から、聞き覚えのある声。


 振り返ると、門番に小言を言われながらも解放されたロウが、こちらへ駆け寄ってきていた。


「無事だったのかよ!

 てか、どうやって中に入ったんだ!?」


「うーん……普通に?」


「はぁ!?」


 思わず、ロウが声を裏返す。


「心配して損したじゃねぇか!

 ったく! なんだかんだ助けに行ってたんじゃねぇか。

 見直したぜ」


 呆れたように言いながらも、

 ロウの表情は、どこかほっとしていた。


 ――この時のノイスは、

 学園生活がさらに騒がしくなっていくとは、思ってもいなかった。

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