七十七話 完璧魔人
――薄暗く、過剰な装飾に満ちた部屋。
その中心で、クレインの目は、深淵のように昏かった。
「屈服させて楽しむつもりだったが……
お前は、もういい」
クレインは、ゆっくりと杖を突きつける。
「ここで死んでくれ、ルキウス」
「いや、クレイン……」
ルキウスは静かに杖を構えた。
「私は、君を救う」
ルキウスの言葉に苛立って、クレインは顔を歪めた。
「二度とそんな口が利けないようにしてやるよ!
暗黒よ――その手で掴み、握り潰せ!
《ダークネス・グラスプ》」
滲み出た闇が巨大な掌となってルキウスへ襲いかかる。
「閃光よ! 我が身に纏い、力となれ!
《フォトン・ドライブ》!」
ルキウスの全身を、眩い光が包み込んだ。
次の瞬間――
――バシィッ!!
闇の掌が、ルキウスのいた場所を容赦なく押し潰した。
床が軋み、黒い魔素が飛沫のように弾ける。
「呆気ないな。
私の魔法に、詠唱が間に合わないとはな」
クレインは愉悦に口元を歪める。
「ぺちゃんこになったルキウスでも眺めるか」
そう言って、闇の掌をゆっくりと開いた。
だが――そこには誰もいない。
「……どこへ消えた、ルキウス!」
「ここだ」
クレインのすぐ目前に、光を纏ったルキウスが現れる。
「閃光よ、煌け!
《フォトン・パルス》」
「……ぐはっ!」
ルキウスの掌に宿った光が弾け、クレインの身体を吹き飛ばした。
「《フォトン・ドライブ》は光を身に纏い、自在に駆ける魔法だ。
もはや君の目で捉えることはできない」
「何をっ――!?」
クレインが振り向く。
だが、その時にはもう、ルキウスの姿は消えていた。
「閃光よ、穿て!
《フォトン・インパクト》!」
「暗黒よ――穿ち、呑み込め!
《ダークネ――」
クレインの詠唱は追いつかない。
光の衝撃がクレインを正面から貫き、そのまま部屋の壁へ叩きつけた。
「がっ……!」
鈍い衝突音が響く。
ルキウスは静かに杖を向けたまま、低く告げる。
「もう諦めろ……
君を悪いようにはしない」
「そうやって……
いつも上から……!」
壁に叩きつけられながらも、クレインは血走った目でルキウスを睨み返す。
「もう、すべて手遅れなんだよ!」
闇が、その身体からどろりと滲み出す。
「私はこの身を闇に染めた時から――
救われたいだの、助けてほしいだの、そんなことは一度も願ったことはない!」
息を荒げながら、なおも叫ぶ。
「それはお前のエゴだよ!
ルキウス・ファンフォルド!」
憎悪に歪んだ視線が、まっすぐルキウスを貫いた。
「私の……唯一の願いは――
ルキウス・ファンフォルドと、ルーシー・ウィンディの抹殺だ!」
口元が狂気に歪む。
「それ以外は、もうどうでもいい!」
「愚かな……それは許容できない」
ルキウスは冷たく言い放つ。
クレインはふっと笑った。
「まあ、どちらにせよ……
この世界の常識は、もう塗り替わる」
闇がその足元で蠢く。
「誰が何をしようと、お前の知る世界はなくなるんだよ」
「何を言っている?」
「教えてあげましょうか?」
クレインの笑みが、ゆっくりと深まる。
「MCR――いや、ヴォルテス様の目的を」
荒れていた口調が、いつの間にか薄気味悪いほど丁寧なものへ変わっていた。
ルキウスはわずかに息を呑んだ。
「ノイス・ノーチラス。
直接見たのでしょ? あの圧倒的な力を……」
ルキウスの脳裏に、ノイスとの戦闘がよみがえる。
「それが……
どうしたというのだ」
「おいおい、察しが悪いな」
クレインは鼻で笑った。
「ただ強いだけの人間を、ヴォルテス様がアスカナティア魔法学園に真正面から喧嘩を売ってまで欲しがると思ったのか?」
「……」
「ノイス・ノーチラスは、魔素構造を弄られた改造人間だ。
しかも私たち、欠陥魔人とは違う完成された魔人――
完璧魔人だ」
「完璧魔人……?」
ルキウスの眉がひそむ。
「そして、その唯一の成功体につけられた名が――始祖だ」
クレインは、口元を歪めた。
「あれはもう、人間の域をとうに超えている」
クレインの目が愉悦に細まる。
「まさに別格」
「確かに……
ノイス君の魔法は、凄まじかったが——」
「完璧魔人は、魔素をほぼ無制限に扱える。
そして、詠唱という枷すら持たない」
クレインは口元を歪めた。
「これが、どんな意味を持つかわかるでしょう?」
ルキウスは息を呑む。
だが、クレインは構わず続けた。
「その気になれば――
街ひとつ滅ぼすのに、数秒とかからない」
「そんな馬鹿なことが……!」
「これは決して、大袈裟な表現ではありませんよ」
クレインは即座に言い切る。
「彼が本気になれば、この世界すら簡単に手に入る」
「だが、それはノイス君が望まない」
「そんなことは、関係ないんですよ」
クレインの声が冷たく沈む。
「ヴォルテス様は、すでに彼を自らの駒として扱う準備を整えている」
「記憶を消去し、魔素を通して命令だけを流し込む。
逆らう心ごと奪ってしまえば――完璧な兵器の完成です」
「そのために、我々を含む大量の実験体が使い潰された……という訳ですが」
足元の闇が、床を這って広がっていく。
「今ごろノイス・ノーチラスは、完全にヴォルテス様に掌握されている頃でしょう」
クレインの口元が、愉悦に歪む。
「まず消されるのは――邪魔な学園と、魔法協会です」
ねっとりとした声が続く。
「その先は、ヴォルテス様に逆らう者すべてが消される。
国だろうと、組織だろうと、従うしかなくなるでしょう」
「そんな世界は許されない!」
「誰が許さないというのですか?」
クレインは嘲るように目を細めた。
「魔法協会ですか?
連盟ですか?
それとも――神ですか?」
「そ……それは……」
「馬鹿ですね」
クレインの笑みが、さらに深く歪む。
「ノイス・ノーチラス――
始祖こそが、神そのものなんですよ」
「……待て」
ルキウスの喉がかすれる。
理解が追いつかない。
ノイスが改造人間だという話だけでも十分に異常だった。
学園が消える。
魔法協会が消える。
世界の常識が塗り替わる。
あまりにも話が飛躍しすぎて、頭が現実として受け入れることを拒んでいた。
だが、その一方で腑に落ちる点もあった。
圧倒的だったノイスの力。
そして、これほどの組織が総力を挙げて彼を奪おうとしていること。
「それが本当だとしたら――
なおさら、止めなくてはならない!」
ルキウスは杖を握り直し、クレインを鋭く睨みつけた。
「君はそれでいいのか? クレイン!」
「私はもうこの世界に未練なんてない」
クレインは力が抜けたように呟いた。
「世界がどうなろうが、私にはどうでもいい」
「……そうか」
ルキウスは静かに息を吐いた。
「なら、君はここで大人しくしていろ」
その瞳に、迷いはない。
「ヴォルテス元会長を止めて――
ノイス君を取り返す」
「それは良かったですね。
好きにしてください」
クレインが大袈裟に拍手をしながら、鼻で笑う。
ルキウスはクレインに背を向け、出口へ向かって駆け出した。
その足元で、床一面に不気味に広がっていた闇が――
音もなく、ゆっくりと蠢いた。




