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六十八話 救援の光

 ルーシーは宙吊りにされたまま、顔を赤らめながらも、スカートの裾を必死に押さえていた。


 手足は闇に縛られ、身動きひとつ取れない。


 それでも――その瞳だけは、まだ折れていなかった。


 ルーシーは震える呼吸を押し殺し、クレインを真っ直ぐに睨み返す。


「わ、私はまだ……負けていません!」

 

「威勢がいいなぁ。

 そうでなくては、楽しくない」


 クレインは恍惚こうこつとした笑みを浮かべる。


「では、何をされたらひれ伏す?

 何を言われたら屈辱に震える?

 自分がどうなってしまったら、心から屈服するんだ?」


 その目が、ぞっとするほど愉しげに細められる。


「なあ? 教えてくれよ。

 私をおとしいれた君が、この後どうなるか想像するだけで……

 ああ、たまらなく興奮するよ」


 ルーシーは唇を噛みしめ、震えを押し殺した。


「……私は、どんなことにも屈しません」


「はぁ……まったく」


 クレインは呆れたように息をつき、口元を歪める。


「見られるのが恥ずかしくて、必死にスカートを押さえている時点で――

 まるで説得力がないなぁ?」


 その目に、ねっとりとした愉悦が滲む。


「そうだ……まずは、その腕を封じてやるか」


 クレインは楽しむように言葉を転がす。


「恥ずかしくて、必死に隠している――その手を退けたら、どうなるんだろうな?」


「……っ! や、やめ――」


 闇が蠢き、ルーシーに闇手がゆっくりと迫る。


「ほら、晒してみろよ……」


 ルーシーは目をぎゅっと閉じる。


 ――


「……なんだ、つまらんな」


 めくれた制服の下には、ルーシーが普段から身につけている短いスパッツがあった。

 

 それでも、羞恥に変わりはない。

 

 手足を拘束され、宙吊りにされたまま晒された屈辱に、ルーシーの頬は真っ赤に染まり、目には涙が滲んでいた。


 クレインは不快そうに舌打ちすると、闇手の向きを変え、ルーシーの体勢を戻した。


「まあいい。

 チャンスをやろう……」


 そのまま自分の正面へと引き寄せ、口元を歪める。


「あの眼鏡を助けに来たのは間違いでした。

 あいつのことはどうでもいいので、私のことだけは助けてください、クレイン様――そう言って頭を下げるなら、無事に帰してやってもいいぞ」


「口が裂けても、そんなこと――」


 ルーシーが睨み返す。


 だが、クレインはその反応すら愉しむように笑った。


「いいのか? そんなすぐ決めてしまって……」


 低く、湿った声。


「これから自分が何をされるのか……

 その足りない頭で、ちゃんと想像してみたか?」


 ルーシーの肩が、びくりと震える。


「その細い指を一本ずつ折られて、二度とフルートが吹けなくなるかもしれないなあ」


 恍惚こうこつとした笑みが、さらに深くなる。


「いや、宙吊りのまま裸にひん剥いて、皆の晒し者にするのもいい」


 ルーシーの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「それとも――」


 クレインの目が、ぞっとするほど冷たく細められた。


「興味はないが、動けぬまま私に直接穢けがされるというのも屈辱的ではないか?」


 クレインの杖が、ルーシーの体を這うようにゆっくりと滑る。


「……っ!」


 息を呑む音さえ、怯えに震えていた。


「ふははははは……!

 あっははははは!」


 クレインは腹を抱えるように笑い出す。


「ほら、どうした?

 今なら、ただ謝るだけで無事に帰れるんだぞ?」


 顔を寄せるようにして、さらに囁く。


「こんなチャンス二度とないぞ?

 いいのか? なあ、本当にいいのか?」


 ルーシーの目に、涙が滲む。


 怖い。

 悔しい。


 それ以上に、自分の中に湧き上がる“怯え”が許せなかった。


「うっ……ぅ……」


「あははは、泣いちゃったなぁ?

 泣いているだけじゃ、わからないぞ?」


 クレインが、ねっとりと笑う。


「前回のように、あの眼鏡は助けに来ないぞ?

 さあ、どうする?

 ルーシー・ウィンディ!」


「……ク、クレイン様」


「おお……!」


 クレインの目が愉悦に見開かれる。


「さあ! 言え。言うんだ」


 ルーシーは唇を震わせ、俯いたまま声を絞り出す。


「わ、私は……ノイスくんを助けに――」


「早く言ってみろ! ほら!」


「――助けに……来たんです!

 だから、絶対に諦めません!!」


 そう言い切ったルーシーの瞳に恐怖はなかった。


 それは、迷いを断ち切った強い覚悟の瞳。


「……はぁ。つまらんことをしてくれる」


 クレインは苛立たしげに空を仰いだ。


「気は進まんが……まずは脱いでもらうか」


(これでいい……

 誇りだけは、捨てられない)


 クレインがルーシーの制服へ手をかけようとした、その時――


 闇に満ちた部屋を切り裂くように、眩い光が一閃した。


「っ!?」


 クレインが眩しさに目を閉じた隙に、目の前から闇手で拘束されていたはずのルーシーの姿がかき消える。


「今の光は……」


 クレインが目を細め、その光の先を鋭く睨みつける。


 そこに立っていたのは、全身に光を纏い、誰よりも気品を放つ男。


「黒ローブの闇男の正体は、クレイン・オルドゥスト――

 君だったのだな」


「……ル、ルキウス様」


 ルキウスの腕の中には、目を丸くしたルーシーが抱き留められていた。


「無事か、ルーシー」


 ルキウスは静かに優しく問いかける。


 その声には安堵が滲んでいた。


「……三度目にして、私は初めて間に合ったようだ。

 君を初めて救うことができた」


「ふはははははは!

 ルキウス・ファンフォルド!

 殺すべき相手が今ここに揃うとは……なんと運がいいんだ、私は!」


 クレインは狂気じみた笑みを浮かべる。


 ルキウスはそんな声にも動じることなく、ゆっくりとルーシーを床へ下ろした。


 そして、いつの間にか拾い上げていたフルートを、ルーシーへそっと差し出した。


「ルーシー、これは君の大事なものだろ?」


「あ……ありがとうございます」


 ルーシーは震える手でフルートを受け取った。


 指先に馴染んだ感触が戻った瞬間、押し潰されそうだった心に、もう一度強い光が灯る。


 ルーシーは小さく息を吸い、真っ直ぐに顔を上げた。

 

「でも……どうして、ルキウス様がここに?

 学園にいらしたはずでは……」


「ああ。君のピンチにはいつだって駆けつけるさ」


 ルキウスは静かに微笑む。


「それで……ノイス君は?」


「まだ居場所もわかりません。

 絶詠の魔女様が先行しています」

 

「わかった。君はノイス君を探しに向かってくれ。

 ここは私に任せてくれないか?」


「ルキウス様!

 クレインさんは闇魔法を――」


「ああ……知っているさ」


 ルキウスは静かにクレインを見据えた。


「学園で、一度相対あいたいしているからな」


「おい! ルキウス・ファンフォルド!

 私を無視するな!」


 クレインが怒声を張り上げ、杖を振りかざす。


「暗黒よ――撃ち抜け!

 《ダークネス・バレット》」


「閃光よ、我らを守れ!

 《フォトン・シールド》」


 ルキウスの前に光の盾が展開され、飛来した闇弾を真正面から受け止めた。


「ルキウス様!

 私だけではありません! 他にもロウくんたちが……」


「安心してくれ、ルーシー」


 ルキウスは視線をクレインから逸らさぬまま、静かに答える。


「学園長から話を聞いて、ここへ来ているのは私だけではないからな」



◇◇◇◇◇

 


 ――石造りの広間。


「これで処分完了です」

「お疲れ様でした」


 双影ツインズがミレイユへ杖を向け、魔素を溜める。


「……だ、誰か……助けて」


 ミレイユの掠れた声が、悲痛に響いた。


 その時――遠くから、鋭い詠唱が届く。


「放て、炎弾!

 《ファイヤー・ボール》」


「……っ!」

「……っ!」


 リオとレオは、迫り来る炎弾を見て即座に後方へ跳び退いた。


 その先、通路の奥から熱を帯びた黒い影がゆっくりと歩いてくる。


「俺の生徒に、手を出すなと言ったはずだ」


 腕は包帯に巻かれ、顔に大きな火傷跡。


「スコルド……先生……?」


 安堵と脱力が一気に押し寄せたのか、ミレイユはその場にぺたりと座り込んだ。


「ボス。新たな侵入者です」

「侵入者はスコルド先生。要注意人物です」


 双影ツインズが淡々と告げる。


 スコルドは二人に目もくれず、短く問うた。


「お前たち、立てるか?

 ここからは課外授業だ」


「は、はい!」

「なんで先生が?

 もしかして、あーしのことが好きで……」


「それはない」


 一切の間もなく、スコルドは切り捨てた。


 ミレイユとユミナは、ふらつきながらも再び立ち上がる。


「もう限界だと思いましたが……

 なぜ立ち上がるのでしょうか?」

「負けるとわかっていて、

 なぜ立ち上がるのでしょうか?」


 リオとレオが揃って首を傾げる。


 スコルドは二人をまっすぐ見据え、静かに言い放った。


「お前たちは俺の生徒ではないが……

 特別に教えてやろう」


 顔に刻まれた大きな火傷跡を歪めるように、スコルドは鋭く目を細めた。


「魔法の使い方をな」



◇◇◇◇◇

 


 ――武器庫。

 

 ロウが最後の魔素を振り絞って放った藍炎は、ブラッドの血牙に呑まれようとしていた。


「はっはっははは!

 楽しかったぞ、種火男――いや、ロウ!」


 ブラッドが狂気じみた笑い声を上げる。

 

「ここまでか……!」


 ロウが歯を食いしばった、その瞬間――


 ――パキッ。パキパキパキッ!


 床を伝って氷柱が一気に伸びた。


 血牙に喰われる寸前だったロウの身体を、氷の柱が強引に押し飛ばす。


「なっ……!?」


 ロウの体はそのまま壁へ叩きつけられた。


「て、てめぇは……!」


「そこで寝ていろ、ロウ」


 低く響く声。


 そこに立っていたのは、体格の良い坊主頭の男だった。


 肩には、大きな氷棒が担がれている。


「……ブラム」


 ロウが目を見開く。


 ブラッドは眉をひそめ、舌打ちした。


「興醒めだな……

 なんだ? お前もあの眼鏡の友達とかいうやつか?」


「……ふん。まるで見当違いだ」


 ブラムは肩の氷棒を軽く持ち直し、ぶっきらぼうに言い放つ。


「あいつがどうなろうと俺の知ったことじゃない」


 その目が、鋭くブラッドを射抜く。


「だが、MCRには借りを返さなきゃならない」


 血と炎の熱気で蒸していた武器庫に、静かな冷気が広がっていく。

 その足元には、白い霜が音もなく降り始めていた。

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