六十六話 燃え滾る藍炎
――血と熱が籠る武器庫。
ブラッドの全身から大量の血が噴き出し、怪しく蠢いていた。
対するロウの周囲には、七色の炎がゆらゆらと漂っている。
ロウが纏わせていた蒼炎と、ブラッドの噴き出す血が正面からぶつかった。
――ブシュゥゥウッ!
蒸気が爆ぜ、武器庫の空気が熱く歪む。
「俺は今、獲物を一匹取られて機嫌が悪いんだ」
ブラッドの目が細まる。
「血よ。突き刺せ。
《ブラッド・ニードル》」
素早く練り上げられた血針が、ロウへ襲いかかった。
「橙炎よ! 守る盾――」
「ぐあっ!!」
詠唱が間に合わなかった。
数本の血針が頬、腕、脇腹を浅く裂き、赤い筋がじわりと滲んだ。
「なんだよ、もう終わりか?
種火男」
「全然……効かねえな……!」
ロウは痛みに耐えながら、杖を構える。
「それに俺は種火男じゃねぇ……
ロウだ……!」
だが、ブラッドは止まらない。
「だからなんだよ。
血よ! 喰らいつけ!
《ブラッド・ファング》!」
噴き出した血が獣の牙のように唸りを上げ、ロウへ襲いかかる。
「橙炎よ! 守る盾となれ!
《ファイヤー・シールド・トパーズ》!」
今度は橙炎の盾の展開が間に合う。
だが――
――バギィッ!!
血牙が橙炎の盾へ深々と食い込んだ。
「橙炎の盾が……?」
ロウの目が見開かれる。
「その程度の硬さの盾で、止められると思ったか?」
――バキバキバキッ!
橙炎の盾がひび割れ、そのまま血牙はロウの肩へ食い込んだ。
「ぐっ……あぁ……!」
肩が食いちぎられるのではないかというほどの激痛が走る。
強い。
あまりに強い。
わかっていた。
だが、それでも想像以上だった。
速さも、技術も、出力も。
ブラッドが、すべてにおいて優っている。
「はあああああっ!」
ロウは血牙を両手で掴み、力任せに身体から引き剥がす。
血が飛び散る。
「俺は……やられるわけには、いかねぇ……!」
肩で荒く息をするロウを、ブラッドは見下ろした。
「凝血よ……剣となれ。
《ハードブラッド・ソード》」
ブラッドは凝血剣をロウへと向ける。
「で? そんなザマで何しに来たって?
何がお前にそこまでさせる?」
ロウは呻きながら、杖を握り直した。
「……親友を、助けに来たんだよ」
「親友……?」
ブラッドが鼻で笑う。
「まさか、始祖のことか?
笑えねぇ冗談だぜ」
「はあ?
俺は、始祖なんて知らねぇぞ……」
ロウは血の混じる唾を吐き捨てた。
「俺が助けに来たのは……ノイスだ」
「ああ……バカで弱い上に、何も知らされてねぇんだな。
さすがに同情するぜ」
ブラッドは呆れたように、凝血剣を肩に担ぐ。
「絶詠の魔女が生み出した兵器――始祖
それが、あの眼鏡の小僧の正体だ」
「ノイスは兵器なんかじゃねぇ!」
「いや、あれは立派な兵器だ」
ブラッドは吐き捨てるように言う。
「魔法ってのは、使用するには大なり小なりキッカケが必要になる。
魔素を練る、構築のイメージを作るためだ」
凝血剣をゆっくりと構えた。
「それは普通なら詠唱でいいんだが、別にそれ以外でもいい。
こんな風になっ!」
滴る血を宙にばら撒き、凝血剣で撫でるように触れた。
細かな血滴が、一斉にロウへ弾け飛んだ。
「《ブラッド・レイン》」
「……ぐっ!」
ロウに血の雨が注がれる。
「だが、これだけの予備動作じゃ、魔法は大した威力にならねえ。
詠唱と同じで強い魔法を使うには、それなりの長い準備が必要だ」
降り注いだ血雨は、ロウの体を打つだけで、大きなダメージにはならない。
「だが、始祖だけは違う。
どんなに強い魔法でも何のキッカケも必要ねえ」
ロウの表情がわずかに揺れる。
「……ノイスが詠唱しないのは、絶詠の魔女に魔法を教わったからだ!」
「いや、違うな」
ブラッドは即座に切り捨てた。
「あいつだけが、人間と構造ごと違うんだよ。
魔女の戦いを見て、気づかなかったのか?」
その言葉に、ロウの脳裏に浮かんだのは華麗に魔法を扱うアリスの姿だった。
フルートを奏で、魔法を発動するアリス。
ノイスのように、何の予備動作もなく魔法を放っていたわけではない。
「絶詠の魔女は“詠唱しない”んじゃねぇ。
詠唱が短ぇか、再構築して魔法と魔法を繋いでるだけだ」
ブラッドは手元の凝血剣を分解して、斧に再構築する。
「《ハードブラッド・アックス》」
剣の形を失った血が、詠唱もなく斧へと組み替わる。
「こんなのは訓練すれば、誰でもできる。
なあ、これでわかったろ?」
血斧をロウへと向ける。
「お前と始祖じゃ、最初から住む世界が違うんだよ。親友っていうのはお前の妄想だ、諦めろ」
「緑炎の縄よ! 絡みつき、逃がすな!
《ファイヤー・ロープ・プラント》!」
ブラッドの喋っている隙をついて、ロウの杖から伸びた緑炎が、鞭のようにしなってブラッドの腕へ巻きついた。
「さっきからごちゃごちゃと勝手言いやがって……
住む世界が違う? 諦めろだと?」
ロウの目が怒りに燃える。
「ノイスは俺たちと一緒に学園にいたんだ!
それをお前が攫ったんだろうが!!」
「あのさ……お前、話聞いてたか?」
「聞いてたさ。
だがな、俺にとっては、始祖だとか兵器だとか……
そんなこと関係ねぇんだよ!」
脳裏に残っているのは、ノイスを抱えて消えたブラッドの背中。
目の前で親友が攫われようとしているのに、踏み出せなかった自分。
あの時、もっと本気で手を伸ばしていたら、掴めたかもしれなかったのに。
ずっと、悔しかった。
ずっと、腹の底に残っていた。
ノイスは何度も俺たちを無茶して助けてくれたのに、
ノイスがピンチの時に、俺は手を届かせてやれなかった。
「お前がノイスを連れ去った時――
俺は、手の届くところにいたはずなんだ!」
ブラッドが眉をひそめる。
ロウは拳を握りしめた。
「あの時、この手を本気で伸ばせば……
届いたかもしれなかったんだ!」
肩の傷から血が流れる。
足も震えている。
それでもロウは、ブラッドから目を逸らさなかった。
「でも、ビビって出来なかったんだ……!」
一歩、前へ出る。
「だけど今は違う!
ノイスは、この施設に確かにいる!」
杖を握る手に、力がこもる。
「また手の届くところまで来てんだよ!!
だから、今度こそ絶対に助ける!!」
一瞬だけ、ブラッドの口元の笑みが深くなった。
「……ははっ。
お前は本当のバカだな」
凝血斧で簡単に緑炎の縄を断ち切る。
「血よ! 穿て!
《ブラッド・スピア》!」
血槍が、ロウめがけて放たれる。
「っ――!」
ロウは咄嗟に身を捻る。
避けきれない。
――ズバッ!
「がぁっ!!」
脇腹を浅く抉り、ロウは膝をついた。
血が床に落ちる。
「もう終わりだ」
ブラッドがゆっくり近づいてくる。
「黄炎よ……張り付け!
《ファイヤー・イエロースライム》」
粘着質の黄炎が傷口へ無理やり貼り付き、裂けた肉を焼き固める。
回復ではないが、出血は防げる。
焼けるような痛みに顔を歪めながらも、ロウはまた立ち上がった。
「勝てもしねぇのに、何で立つ?」
ロウの呼吸は荒い。
視界も揺れる。
魔素も、かなり削られていた。
それでも――
「勝てるかどうかで……
立ってるんじゃ、ねぇ……よ!」
ロウは杖を床に突き立て、それを支えに立ち上がる。
膝が笑う。
肩が震える。
それでも、立つ。
「あいつを助けるって……決めたからな!」
七色の炎が、再びその周囲に灯った。
さっきより小さい。
さっきより不安定だ。
それでも消えない。
ブラッドはその姿を見て、初めてほんのわずかに目を細めた。
「……まだ燃やせるのか」
「全然、燃え尽きてなんかいねぇよ……!」
ロウは笑った。
「ルーシーとアリスさんがノイスの方へ向かってる」
血まみれで、今にも倒れそうな有様で、それでも笑った。
「お前がどんだけ強くても……たとえ勝てなくても、
二人がノイスを連れて帰るまで、ここで食い止める!」
「俺を止める?
上等だよ、種火男」
ブラッドが凝血斧を構える。
その声から、嘲りが少し消えていた。
「だったら、そのくだらない意地ごと叩き潰してやるよ!」
ロウも杖を握り直す。
もう魔素は多くない。
次の一手も、まともに防げるかわからない。
だが、退いたらもう届かなくなる。
今度こそ、手を伸ばせる距離まで来ているのに。
「来いよ、血液野郎……!」
ロウが吠える。
「今度は、俺の炎を届かせてやる……
燃え滾る藍炎よ――
俺の全部を喰らって、敵を焼き尽くせ!」
「《インディゴフレア・フルバースト》!」
ロウは、最後の切り札である藍炎に全力を注いだ。
蒼炎よりなお濃く、重く、灼熱を凝縮した藍炎が迸る。
「おもしれぇな!
そんなドスの効いた炎は初めて見るぜ」
ブラッドが口元を吊り上げる。
「血よ……盾となれ。
《ブラッド・シールド》」
ブラッドの足元に広がった血溜まりが、分厚い盾となって正面へ展開される。
――ブブシュシュウウゥゥン!
藍炎と血盾が激突し、マグマのようにぶくぶくと熱気を噴き上げた。
「これが……今の俺に出せる、最高の火力だ!!!」
ロウは杖を強く握り締め、藍炎の奔流を押し出し続ける。
止めれば負ける。
押し切れなければ、届かない。
残った魔素を、無理やり杖へと流し込み続けた。
「悪くない! 悪くねぇよ!」
ブラッドは熱気の向こうで嗤う。
「でも――まだまだ足りねぇな!」
「血よ! 突き刺せ!
《ブラッド・ニードル》」
血盾の端がぐにゃりと歪み、そこから血針が伸びた。
藍炎を撃ち込み続けているロウへ向けて、横から血針が突き刺さる。
「ぐわぁああっ!」
血針が肩や腕に食い込み、ロウの身体がびくりと震える。
それでもロウは杖を離さない。
歯を食いしばり、なおも魔素を注ぎ込み続ける。
「なんてやつだ……」
ブラッドが低く笑う。
「その根性だけは、認めざるを得ないな」
不敵な笑みを浮かべたまま、自らの腕を斬り、さらに血を膨れ上がらせる。
「血よ――喰らい付き、すべてを呑み尽くせ!
《ブラッド・ファング・イーター》」
血の盾が形を崩しながら一気に膨れ上がった。
巨大な血の牙となって、藍炎の奔流を喰らい始める。
ロウの藍炎は押され始めた。
「くそ……これでも足りねえのかよ……!」
魔素を注ぎ込み続けていたロウの膝が、ついに折れた。
「はっはっは!
楽しかったぞ、種火男――いや、ロウ!」
ブラッドが狂気じみた笑い声を上げる。
膨れ上がった血牙はロウを呑み込もうとしていた。
「ここまでか……!」




