六十四話 届かない声
幼いフィーラがヴォルテスに連れて行かれていたのは、冷たい石造りの実験室だった。
金属の台。
無骨な拘束具。
泣き叫ぶ子供たち。
床に散る、赤黒い染み。
幾人もの子供たちが、次々と運ばれ、
そして消えていく。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
「やめて! 痛い! 痛いよぉ!!」
「お母さん……!」
悲鳴が幾重にも重なる。
その中心で、フィーラもまた手足を拘束されていた。
「これが……こんなのが本当に、絶詠の魔女様の研究なの……?」
細い体を震わせながら、不安に耐えるように歯を食いしばっている。
「フィーラよ」
拘束されたフィーラに、ヴォルテスが穏やかな声で語りかける。
「絶詠の魔女の魔素構造の書き換えには、危険が伴う。
それでも耐えられるか?」
「憧れの絶詠の魔女様の研究だもの……!」
フィーラは涙を滲ませながらも、必死に声を張った。
「わたしだけは、どんなことがあっても信じ続けます!
どんなことにも耐えて……
いつか、絶詠の魔女様の隣に立つんです!」
「強い子だ……」
ヴォルテスは満足そうに呟いた。
ヴォルテスが無言で指を振ると、フィーラの乗る金属の台の上に複数の魔法陣が展開されていく。
「な……なにこれ」
フィーラの全身に魔法陣が浮かび上がり、焼けるような激痛が駆け巡った。
「が、ぁ……ああああああっ!!」
まるで血管の一本一本に灼けた針を流し込まれるような痛みだった。
「い、痛いっ……!
いたいよおおおっ!!」
拘束具を引きちぎろうとするほど必死にもがき、細い手首は金具に食い込み、赤く滲んだ。
それは、ただひたすらに耐え難いだけの痛みだった。
「すぐにやめさせて!
こんなの、人間のやることじゃ――!」
アリスが叫ぶ。
だが、ヴォルテスはその声に被せるように、冷たく言った。
「これが、君の目指した世界ではないのか?」
「ち、違う……!」
アリスは苦しげに大きく首を振る。
「私は、魔素構造を書き換えることで……
みんなが平等に魔法を使えるようにしたかった……!」
声が震える。
「でも、わかったの……
人体は魔素の書き換えに、耐えられない……!」
「作り出したではないか? 始祖を」
「その呼び方は……やめて!
ノイスは――」
「まあいい。フィーラに動きがあったぞ?」
ヴォルテスの声に、視線は再び若きフィーラへと向く。
フィーラは片目を押さえ、足元もおぼつかないまま、ゆらゆらと歩いていた。
その小さな体は痙攣し、肌には焼きついたような魔法陣の痕が浮かんでいる。
それでも――生き残った。
いや、生き残ってしまった。
数多の子供たちの中で、ほんのわずかな生存例として。
そして、地獄のような調整はその後も何度も何度も繰り返された。
再び、フィーラは金属の台へと縛りつけられる。
縛り付けられた小さな体に、複数の魔法陣が浮かび上がり――全身を焼くような魔素が流し込まれる。
「がああああああああっ!!」
絶叫が、冷たい実験室に響き渡った。
だが、最初の頃のように暴れる力は、もう残っていなかった。
肩で息をし、涙を流し、細い指をかすかに震わせるだけ。
「お母さん……会いたいよ……」
細い声で呟く。
「でも、大丈夫……
絶詠の魔女様に近づくためだもん……
我慢しないと……」
頬はこけ、声も度重なる絶叫で枯れている。
痛みに慣れたわけではない。
ただ、削られ続けて、耐える以外の力を失っていったのだ。
そんな日々が続き、フィーラは少しずつ壊れていった。
そのフィーラの様子に耐えきれず、アリスは耳を塞いだ。
「……もう、やめてあげて……お願い」
「ふははは。耳を塞ごうと、幻覚の声は消えないさ」
ヴォルテスが冷ややかに言い放つ。
研究員たちも、進展の乏しさに手段を選ばなくなっていった。
「いつもより強く魔素を流す。
気を強く持てよ、実験体フィーラ」
「……え」
フィーラの肩が、びくりと震える。
「や、やだ……」
今までとは違うと、本能が悟っていた。
「今まで以上なんて無理……お願い……やめて……
やめてよぉ……!!」
声はもう、叫びですらなかった。
怯えきった子供が、迫る破滅を前に漏らす震えた懇願だった。
――ジジジジジジッ!
「あああああああああああっ!!
痛い! 壊れちゃう!! 助けて!!!
絶詠の魔女様ああああああああ!!」
フィーラは泣き喚いた。
拘束台の上で体をよじり、息を乱し、目を見開いたまま、ただ恐怖に飲み込まれている。
痛みだけではない。
このまま自分が壊れてしまう――
その確信が、幼い心を根こそぎ踏み潰していた。
「フィーラちゃん!!!」
アリスは思わず手を伸ばした。
だが、その手は何の手応えもなく空を切る。
「……っ!」
何もできない自分に、アリスの瞳が揺れる。
フィーラの体から焼け焦げたような煙が立ちのぼった。
「だ、大丈夫。きっと……大丈夫。
きっと絶詠の魔女様が助けに来てくれる……」
涙と痛みにぐしゃぐしゃになった顔で、それでもフィーラは縋るように呟いた。
「きっとわたしを迎えに……来てくれる……から」
フィーラは拘束台の上で、ぐったりと力を失った。
その惨状に耐えきれず、アリスは崩れ落ちる。
場面が揺らぎ、次に映ったのは、鏡の前に立つフィーラの姿だった。
調整の影響で片方の瞳は視力を失い、色も変色していた。
その結果、左右で瞳の色が違う――オッドアイとなっていた。
さらに左手は、後遺症のせいか思うように動かない。
「絶詠の魔女様が迎えに来てくれても……
これじゃもうフルート、吹けないよ……」
悲しみに打ちひしがれながらも、自身を元気付けるため、フィーラはかつて練習していた音色を口ずさむ。
――バキッ!
空気が震え、壁にひびが走った。
「ああ……できた!」
フィーラは痛みを忘れ、飛び跳ねるように喜ぶ。
「これで……これで絶詠の魔女様と肩を並べられる!」
その声には、まだ憧れが残っていた。
まだ、信じていたのだ。
この力が、自分を“絶詠の魔女に近づけてくれるもの”だと。
だが、場面は再び変わる。
薄暗い部屋。
フィーラは、そこに閉じ込められていた。
フィーラの得た力は、歌や声によって発動する音魔法。
だが、その力はあまりにも制御が不完全だった。
杖を使う必要もない。魔素を溜める必要もない。
自分の意思とは関係なく、言葉を発するだけで周囲を破壊してしまう。
研究員も、施設の設備すらも、その暴走に巻き込まれた。
そのせいで、研究の継続すら困難になるほどだった。
欠陥はある。
しかし、それでもなお戦力としては一般の魔法使いを軽く凌駕していた。
ゆえにフィーラは、人間としてではなく――
欠陥魔人の一人――哀歌として管理されることになった。
それでも、フィーラの心はまだ折れていなかった。
いつか、絶詠の魔女様がこの状況から救ってくれる。
――そう信じていたからだ。
ある日、閉じ込められた部屋の外から、研究員たちの話し声が聞こえてきた。
「絶詠の魔女が生み出した始祖を超える実験体なんて、本当に作れるのか?」
「もう何人も子供を犠牲にしてるが、成功しても欠陥品ばかりだ」
「絶詠の魔女も、成功体を連れて行ったまま、どこかへ姿をくらましたらしい」
「成功体が手に入った以上、他にはもう興味がないんだろうさ」
その言葉を聞いた瞬間、フィーラの顔から血の気が引いた。
「……え」
唇が、かすかに震える。
「始祖って……なに?」
理解したくない現実が、じわじわと胸の奥へ染み込んでいく。
「成功体を……連れて行って……?」
フィーラの声は、かすれていた。
「他には……興味がない……?」
そこでようやく、点と点が繋がった。
絶詠の魔女は、助けを求めている自分を知らなかったのではない。
この状況をすべて知った上で、興味がなく、助けに来なかったのだと――フィーラはそう思い込んだ。
成功体を手に入れた時点で、絶詠の魔女にとって自分のような欠陥品は、もう必要なくなったのだと。
考えてみれば、絶詠の魔女の研究は非人道的なものだった。
フィーラが憧れ続けた、可愛くて、かっこよくて、強くて、誰よりも眩しい絶詠の魔女。
そんな理想の姿とは、あまりにもかけ離れていた。
フィーラは悟った。
――長い間、わたしは騙されていたんだ。
魔法協会が作り上げた幻想の魔女を信じ、勝手に憧れ、勝手に助けに来てくれると思い込んでいた。
「わたしは……出来損ないだから……
とっくに見捨てられていた」
掠れた声が漏れる。
「ずっと待ってたのに……!」
目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
「痛くても……苦しくても……最後まで信じてたのに。
助けに来てくれるって……」
小さな肩が震える。
「だから、ここまで耐えてこれたのに……
わたしの気持ちは、魔女に踏みにじられた」
その悲しみは、やがてどす黒い憎悪へと塗り替わっていく。
「わたしが憧れていた絶詠の魔女なんて――最初からどこにもいなかったんだ!!」
綺麗なオッドアイが、濁った色に染まる。
「許せない……絶詠の魔女!!
殺してやる……! 絶対に殺してやる!!」
その絶叫が響いた瞬間――
閉じ込められていた部屋ごと、爆ぜるように砕け散った。
そのまま景色が大きく歪む。
「フィーラちゃん!
フィーラちゃん!!」
アリスの叫びは届かない。
幻覚そのものが、ひび割れるように崩れていく。
「どうやら、記憶はここまでのようだな」
ヴォルテスの冷たい声が響く。
「これが、君の望んだことだよ。
アリス・ノーチラス」
「ち、違う……私はこんなことなんか!」
アリスは涙ながらに否定しようとする。
だが、ヴォルテスは容赦なく言葉を被せた。
「言い訳なら、哀歌本人にしてやるがいい」
視界の全てが白に染まり、現実へと引き戻されていった。
「……っ。
も、戻ってきたの……?」
アリスは息を呑んだ。
ドーム状の大部屋。
荒れた空気。
そして目の前には、肩で息をするフィーラ。
そのオッドアイには、消えない憎悪が宿っていた。
「絶詠の魔女……」
フィーラが落ちていた拡声器型杖を拾う。
その声には、先ほどまでとは比べものにならないほど濃い殺意が滲んでいた。
「フィーラちゃん……もうやめて……」
「わたしの名前を軽々しく呼ぶな!!」
フィーラの怒声が、広間を震わせる。
「私には無理……
あなたを、これ以上苦しめるようなことはできない……!」
その言葉を聞いた瞬間、ヴォルテスはにやりと満足そうに笑った。
広間の空気が、冷たく軋んだ。




