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六十一話 闇の深さ

 ルーシーは、男を真っ直ぐに睨みつけた。


「あなたは、クレイン・オルドゥストさん……ですね?」


 絞り出すように、その名を呼ぶ。


「どうして、あなたがMCRなんかにいるのですか!?」


「“MCRなんか”に……だって?」


 男の声が、低く歪む。


「違うな」


 その声音には、押し殺していた憎悪が滲んでいた。


「お前と――あの眼鏡。

 それに、ルキウス・ファンフォルド」


 黒ローブの男は、吐き捨てるように言った。


「お前ら三人のせいで、私にはもう――“MCRにしか”居場所がなかったのだ!」


 怒声とともに、深く被っていたフードが乱暴に跳ね上がる。


 あらわになったその顔を見て、ルーシーは息を呑んだ。


 そこにいたのは、かつての気品ある青年ではなかった。


 美しかった金髪は、すすけたように濁る黒髪へ。

 端正だった顔立ちは歪み、ツヤのあった肌はボロボロになっていた。


 面影は確かに残っている。

 だが、もはやルーシーの知るクレイン・オルドゥストとは別人のようだった。


 そして何より、その口元に浮かぶ笑み。


 それは品位の名残など一欠片もない、

 復讐心だけに満たされた醜悪しゅうあくな笑みだった。


「クレインさん……その姿は……?」


 ルーシーは息を呑んだまま、言葉を失う。


 目の前にいるのは、確かにクレイン・オルドゥスト。

 しかし、ルーシーの知るクレインとは、あまりにもかけ離れていた。


「お前たちに学園から追い出された私が、その後どうなったのか……

 教えてやろうか?」


 ねっとりとした静かな声に、ルーシーは眉をひそめる。


「あの忌々しい一件の後……

 知っての通り私は退学になった」


 歪んだ顔のまま、吐き捨てるように続けた。


「何故だ?

 たかが貧相な小娘一人に、遊びで服を脱げと言っただけだぞ。

 それだけで、私は学園を追われたのだぞ!」


「遊びで……ですって?」


 ルーシーの目が険しくなる。


「大勢で囲んで、逃げ場もなくして、一人の女性に服を脱げと迫った……

 それが、ただの遊びだというのですか!」


「それの何が悪い!」


 クレインが怒鳴り返す。


「そもそも、ウィンディ家の令嬢が庶民のふりをして、

 わざわざ一人で貴族寮に来た時点でおかしいだろうが!」


 唾を飛ばすように叫ぶ。


「わざと私に手を出させるよう仕向けておいて、

 後から男に泣きつき、哀れな被害者面……

 なんて狡猾こうかつ下劣げれつな女だ!」


 歪んだ顔のまま、さらに怒声を重ねる。


「どうせ最初から私を嵌めるつもりだったんだろう!」


 その言葉に、ルーシーは唇を強く噛みしめた。


 やはり、この男は何も変わっていない。

 いや――むしろ、その歪みは以前よりも深くなっていた。


「しかもだ。一万と二千歩譲って、私が退学になるだけならまだいい」


 クレインは忌々しげに吐き捨てる。


「ルキウス・ファンフォルド……あいつは、オルドゥスト家にまで圧力をかけてきた!」


「……っ」


 ルーシーの表情がわずかに揺れる。


「完全に私情だ。

 あいつはお前に惚れ込んでいたから、手を出されたのが気に食わなかったのだろう」


「そ、それは……」


 ルーシーは思わず声を上げた。


「あなたが家名を盾にして、人を踏みにじるようなことばかりしていたからでしょう!

 ルキウス様は、それを――」


「黙れ!」


 クレインの怒声が響いた。


「ルキウスの青臭い私情の八つ当たりによって、私は退学になり……

 オルドゥスト家は、ファンフォルド家に逆らった家として、魔法協会でも立場を失った!」


 荒い息を吐きながら、クレインはなおも言葉を吐き出す。


「父は真面目な人間だった。

 何も悪いことなどしていないのに、魔法協会を追われた」


 その声音に、どろりとした怨念が滲む。


「それからは毎日酒に浸り、家の中で喚き散らし……

 母にまで手を上げるようになった」


 ルーシーの表情が、さっと曇る。


「……そんな」


「母は耐えきれず、すぐに家を出て行ったよ」


 クレインは、そこでふっと笑った。


「広い屋敷に残ったのは、酒臭い父と……

 何もかも失った私だけだ」


 低く、粘つく声が部屋に満ちる。


「使用人たちの目も変わった。

 昨日まで頭を下げていた連中が、まるで分別し忘れ、回収されなかったゴミでも見るような目を向けてきた」


 ルーシーは黙ったまま、クレインを見つめていた。


 痛ましい話ではある。

 だが、だからといって彼を肯定することはできない。


「だから、MCRに入ったのですか……?」


 慎重に問うと、クレインは口元を吊り上げた。


「入ったのではない。

 入るしかなかったのだ」


 くつくつと笑う。


「他にどこがあった?

 魔法協会にも居場所はない。家も終わった。学園にも戻れない。貴族社会も私を見捨てた」


 その目に、どす黒い光が宿る。


「そんな私を拾ったのが、ヴォルテス様だ」


「……!」


「力を得る機会をくださった。

 本来なら、欠陥魔人ディフェクトマギへの調整は十歳前後が限界……

 十五を超えてから受けるのは、自殺行為だとそう言われた」


 クレインは両腕を広げるようにして笑った。


「だが、私は引けなかった。

 もう死んでもいいとさえ思っていたからな」


 一度言葉を切り、歪んだ笑みを深くする。


「……だが、欠陥魔人ディフェクトマギへの調整は、死ぬことよりもよっぽど辛かった」


 ルーシーの背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。


「それでも、私を繋ぎ止めたものがある」


 クレインは、ルーシーを真っ直ぐに指差した。


「お前。

 あの眼鏡。

 そして、ルキウス・ファンフォルド」


 怨嗟えんさのこもった声が、重く響く。


「私をめた、この三人に復讐する――

 その気持ちだけで、私は耐え抜いたのだ」


 クレインは、黒く歪んだ口元を吊り上げた。


「そうして私は――怨闇ダーク・リベリオン

 五人目の欠陥魔人ディフェクトマギとなったのだ」


 ルーシーは一瞬だけ視線を落とし、静かに息を整える。


 それから、クレインを真っ直ぐに見据えた。


「……確かに、あなたに起きたことの中には、同情できるものもあります」


 クレインの眉が、ぴくりと動いた。


「家を追われたことも、居場所を失ったことも……

 辛かったのだと思います」


 一度、ぎゅっとフルートを握りしめる。


「ですが、それは全部――あなた自身の傲慢さが招いたことです!」


「……っ!」


「それでもなお、あなたが人のせいにして、

 自分自身から目を逸らし続けるのなら――」


 ルーシーはフルートを構えた。


 その表情に、もう迷いはない。


「私があなたを正します!

 クレイン・オルドゥスト!」


 クレインは唇を噛み締めた。


「何が正すだ!

 男に色目を使うことしか能のない小娘が……身の程を知れ!」


 クレインは激昂し、顔を歪める。


 漆黒の闇の魔素が、足元から渦を巻くように溢れ出した。


「暗黒よ――渦巻き、呑み込め!」


「《ダークネス・ストーム》!」


 黒い渦が唸りを上げ、ルーシーへと襲いかかる。


 ルーシーもすぐにフルートを構え、音を奏でた。


「《ウォーター・タイガー》」


 生み出された大型の水獣が、咆哮するように闇渦へと突っ込んでいく。


 だが、闇に触れた瞬間――水獣の身体は少しずつ削られるように呑まれ、苦しげに掻き消えていった。


「私の魔法が……呑まれていく……!」


「闇魔法を見るのは初めてか?」


 クレインは口元を歪める。


「そんなくだらない魔法など、あっという間に呑み込むぞ!」


「くだらなくなんてありません!」


 ルーシーは即座に言い返した。


「この魔法たちは――絶詠の魔女様が使っていた魔法なのですから!」


「どいつもこいつも、絶詠の魔女、絶詠の魔女……

 もううんざりだ!」


 クレインが吐き捨てると、闇渦はさらに勢いを増し、ルーシーへと迫る。


 ルーシーは再びフルートを奏でた。


「《ウィンド・ホーク》」


 鋭い風を纏った風鳥が姿を現す。


 そして、間を置かずもう一つ。


「《ファイヤー・コンドル》」


 燃え盛る炎鳥が出現し、風鳥と並んで闇渦へと突っ込んでいった。


「ゴミのような魔法がいくら集まろうと、結果は同じだ!」


 クレインが嘲笑う。


 風鳥と炎鳥は、闇渦と真正面から勢いよく激突した。


 激しい魔素のぶつかり合いが起こり、大気を震わす。


 そして――闇渦はルーシーの魔法を押し切ることができず、その場で相殺された。


「なっ……!?」


 クレインの目が見開かれる。


「そんな……くだらない魔法ごときが、私の闇魔法を相殺しただと……!?」


「絶詠の魔女様から、先程教わりましたから」


 ルーシーはフルートを構えたまま、真っ直ぐクレインを見据える。


「魔法の複数同時使用と――再構築を!」


 闇渦とぶつかって相殺されたはずの魔法が、空中で再び形を取り戻していく。


 散った風の魔素が集まり、小さな風鳥となる。

 砕けた炎の魔素もまた収束し、小さな炎鳥へと生まれ変わった。


「《ウィンド・スパロー》――

 《ファイヤー・スワロー》!」


 再構築された小さな風鳥と炎鳥は、鋭く旋回すると、一斉にクレインへ狙いを定める。


「……馬鹿な!」


 クレインが身構えるより早く、二つの魔法は一直線に突き進んだ。


 風と炎が同時に命中し、クレインの身体は後方へと吹き飛ばされる。


「がっ……!?」


 床を転がるクレインを見下ろし、ルーシーは静かに言い放った。


「今の私には――

 絶詠の魔女様からいただいた助言があります」


 その瞳に、迷いはなかった。


「今までの私とは――大違いですよ」

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