五十九話 炎と血
石造りの大広間を抜けたロウとルーシーは、奥へと続く通路を駆けていた。
「ユミナさんたち……大丈夫でしょうか」
ルーシーは不安げに、後ろを振り返りそうになる。
「心配だけどよ、今は信じるしかねえ」
ロウは前だけを見たまま答えた。
「俺たちが今戻ったら、あいつらの覚悟が無駄になる」
ルーシーは唇を噛み、こくりと頷く。
「……はい。
私たちは、ノイスくんを助けるって決めたんです。
ここで立ち止まるわけにはいきませんね」
「そういうことだ」
ロウが拳を握る。
「さっさとノイスを取り戻して、みんなで帰るぞ」
二人はさらに速度を上げ、暗い通路を奥へ奥へと駆け抜けた。
やがて、少し開けた場所へ出た。
そこは武器や杖、木箱が乱雑に積まれた倉庫のような空間だった。
「へえ……双影を突破したのか」
低い声が、薄暗い倉庫の奥から響いた。
二人は同時に足を止める。
その先――
錆びたコンテナの上に、ひとりの男が腰をかけている。
血のように赤い目。
口元には、獰猛な笑み。
暴血が、獲物でも眺めるように二人を見下ろしている。
「案外やるじゃねえか」
にやりと笑った。
「だが――」
ゆっくりと腕を下ろす。
「ここから先には行けねぇぞ」
「てめえは……あの時のっ!」
ロウはブラッドの姿を見るなり、杖を構えた。
「蒼炎よ! 全てを焼き尽くせ!
《ファイヤーバーン・サファイア》!」
「いきなりだな……」
ブラッドが口元を歪める。
「血よ……盾となれ。
《ブラッド・シールド》」
――ブシュゥゥウッ!
蒼炎が血の盾にぶつかり、激しい蒸気を上げる。
「いい火力してんじゃねえか」
ブラッドがにやりと笑った。
「気色悪ぃ魔法使いやがるぜ……血液野郎」
ロウが睨み返す。
二人の視線が、激しくぶつかり合った。
「ルーシー」
ロウは視線をずらさずに、声をかける。
「先へ行け。こいつは俺の敵だ」
「ちょっと待ってください、ロウくん!
ここは二人で――」
「そうだぜ、種火男」
ブラッドが肩を鳴らす。
「そこの女を行かせちまうと、こっちは面倒なんだよ」
「おい! 誰が種火男だ!」
「さっきから、てめぇも血液野郎とかほざいてただろうが」
再び、二人は睨み合う。
「まあ……いいさ」
ブラッドが口元を歪めた。
「まずは種火男を瞬殺して、その次にそこの女を殺る」
「瞬殺だと……言ってくれるな!」
ロウが杖を構える。
「血よ……穿て。
《ブラッド・スピア》」
鋭い血槍が、一直線にロウへ襲いかかる。
「橙炎よ! 守る盾となれ!
《ファイヤー・シールド・トパーズ》」
ロウの前に、角張った橙炎の盾が現れた。
――ガギィン!
橙炎の盾が、血槍を正面から弾き返す。
「あん?」
ブラッドが眉を吊り上げる。
「なんだか硬ぇな。その炎は」
「俺は炎魔法しか使えない」
ロウが盾の向こうから睨み返す。
「だが、俺のスキル《炎色反応》によって、その毛色はガラリと変わる」
さらに、フルートの音色が響いた。
「《ウィンド・ホーク》」
風で形作られた鳥が、ブラッドへと襲いかかる。
「……ちっ」
ブラッドが舌打ちする。
「血よ……突き刺せ。
《ブラッド・ニードル》」
無数の血針が放たれた。
風鳥は逃れるように飛び回る。
だが、血針は執拗に追いすがり――
ついには、その身を貫いた。
――バシュッ!
風鳥は串刺しにされ、そのままかき消える。
「自在な魔法ですね……」
ルーシーが目を細める。
「私の《魔導操作》みたいに……
途中で軌道を変えています!」
「ああ……そうだ」
ブラッドがにやりと笑った。
「俺の血魔法は特殊でな」
指先から滲む血を見せつける。
「体内のどこかと繋がっているから、その形は自在に変えられる」
「……馬鹿なやつだぜ。
そんなこと喋っちまっていいのか?」
「お前たちを殺るのによ。
小細工なんかいらねぇんだよ」
再び二人の視線がぶつかる。
「ルーシー、先へ行け!
早くノイスに会ってこい!」
「ですが――」
ルーシーはロウの背中を見る。
ここで彼を置いていくことが正しいのか、胸が痛んだ。
血の魔法を使う男の実力は、自分やロウよりも明らかに上。
このまま残していけば、ロウが無事で済む保証はない。
「目的を忘れるな!」
ロウが、振り返らずに叫んだ。
「俺が隙を作る!
次に俺が魔法を撃つのと同時に走れ!」
杖に魔素を集める。
「アリスさんの言ってた“魔素を練る”ってやつ……」
ロウは歯を食いしばった。
「ぶっつけで、やってやるよ」
杖に集めた魔素が渦巻きながら、徐々に洗練されていく。
「ロウくん……!
凄まじい熱です」
ロウの隣にいるだけでその熱に肌がひりつく。
「行くぞ! 血液野郎!」
ロウが杖を振り上げる。
「蒼炎よ――
逃げ場なき檻となり、敵を包み込め!」
「《ファイヤープリズン・サファイア》!」
網目状に広がった蒼炎は、まるで鳥籠のようにブラッドの周囲を覆っていく。
「今だ! ルーシー!」
「ロウくん! どうかご無事で!」
ルーシーは前へと走り出す。
「はあ……くだらないな。
こんなもんで」
ブラッドが舌打ちする。
「血よ、切り裂け。
《ブラッド・サイズ》」
巨大な血鎌が現れ、蒼炎の檻を断ち切るように振るわれた。
――シュゥゥゥウ……
だが、血鎌は蒼炎の熱に触れた瞬間、蒸発する。
「っけ!
蒼炎は、鉄すら溶かす高温だ!」
ロウが叫ぶ。
「そんな血液なんかで――!」
「これだから、種火男は……」
ブラッドが吐き捨てる。
蒸発した血は消えたのではなく、赤黒い蒸気となって檻の外へ逃れていた。
その赤黒い蒸気が、檻の外で再び集まり――
もう一度、血鎌の形を作り上げた。
「そんな……うそだろ!!」
ロウの顔が凍りつく。
「ルーシー! 危ねぇ!」
「もう遅ぇよ! 死ね、女ぁぁぁ!」
「……っ!」
ルーシーが咄嗟にフルートを構える。
だが、すでに防御魔法は間に合わない。
血鎌は――
ルーシーの首を掻き切るように、振るわれた。
その瞬間。
――ズウゥッ。
ルーシーの目の前に、闇が滲むように現れた。
「……え?
こ、これは……?」
ルーシーの首を確実に刎ねたかに見えた血鎌は、闇に触れた途端――音もなく呑み込まれた。
まるで最初から存在しなかったかのように――
跡形もなく消え去った。
「なっ……!?」
ブラッドが目を見開く。
ルーシーは何が起きたのか理解できないまま、そのまま前へと駆け抜ける。
「よくわからんが、ルーシー止まるな!
そのまま進め!」
ロウの叫びに背中を押されるように、ルーシーはそのまま通路の奥へと走り去った。
ブラッドは舌打ちし、闇の先を睨みつける。
「てめぇ……何しやがる。
裏切りか? 怨闇」
黒い靄が一箇所に集まり、黒ローブの男がゆっくりと姿を現した。
「興味ねぇとかほざいてたくせに、
横から手ぇ出すたあ、どういうつもりだ」
ブラッドの額に青筋が浮く。
「事情が変わったんです。
私の目的はあの女です」
淡々とした声だった。
「後は好きにして構いませんよ」
「はあ?
ふざけんなよ。今すぐお前から殺してやる」
ブラッドの目は血走り、怨闇を睨みつける。
「埋め合わせはしますから……
今は私に譲ってください」
「っち。趣味が悪ぃな。
あんな女が気に入ったのか?」
「気に入る……?」
黒ローブの男がわずかに顔を上げ、鼻で笑う。
「ふふふふふ、ご冗談を……」
その体から、どろりとした闇が溢れ出した。
「またあの眼鏡に釣られて、のこのこと来るとは」
低く、粘つくような声が響く。
「一度も忘れたことなんてないですよ……
あの小汚い小娘の憎たらしい顔」
闇が、床を這うように広がっていく。
「次こそ屈服させてやる……」
黒ローブの奥で、口元が歪んだ。
「ははははははは……!」
その異様な闇の圧に、ブラッドですら寒気を感じる。
「っち。……まあ、いいや」
ブラッドは肩を鳴らした。
「もう邪魔しねぇってんなら、気に食わねぇが見逃してやる。貸しひとつだぜ」
その言葉が終わる頃には、黒い闇はすでに薄れていた。
怨闇は、消える間際にちらりとロウへ視線を向け――
その冷たい視線だけを残し、闇の中へ溶けるように姿を消した。
「……なんだったんだ、仲間割れか?」
去り際に向けられた視線が妙に引っかかり、ロウはわずかに眉をひそめる。
「ったく。余計な邪魔が入っちまったが……これでお前が望んだタイマンだな」
ブラッドは獰猛に笑うと、ナイフのように鋭い杖を自らの手の甲へ突き立てた。
ぶすり、と嫌な音が響く。
皮膚を裂き、血が滴る。
それでもブラッドは眉ひとつ動かさない。
むしろ痛みすら愉しむように、口元の笑みを深めていた。
「せいぜい――俺を楽しませてくれよ。あっさり終わっちまったら、つまんねぇからな!」
滴った血が宙でひと塊になり、不気味に蠢いていた。




