五十三話 悪への誘導
――MCRアジト。
暴走したミリアが次に目を覚ました時、そこは冷たい鉄格子に囲まれた一室だった。
力の入らない身体を床に預けたまま、ミリアは浅く息を繰り返している。
荒い呼吸は、まだ完全には落ち着いていない。
頭の中に浮かぶのは――
倒れたノイス。
破れた制服。
そして、露わになった腹部に残る――見覚えのある古傷。
「ねぇ。ノイス君はユーリス……だったの……?
どうして……僕は……」
その名を呟いた時だった。
「……意識は戻ったか?」
鉄格子の向こうから、低く響く声が落ちる。
「少しは落ち着いたかね。魔導技師」
ミリアは、はっと顔を上げた。
そこに立っていたのは――
MCRを率いる男、ヴォルテスだった。
「少々手違いはあったが、君は十分な成果を上げた」
満足そうに微笑む。
ミリアは虚ろな目で、ゆっくりとヴォルテスへ視線を向けた。
「だ……れ?
……ああ、そうだ。ノイス君は?
ねえ! ノイス君はどこ!?」
ミリアは鉄格子に掴みかかり、激しく揺すった。
「ノイス少年は怪我が酷くてな。
現在、治療中だ」
「僕のせいだ……僕がノイス君を……」
「大丈夫だ。安静にしていれば、命に別状はない」
「ノイス君に会わせて……!
僕にはどうしても、聞かなきゃいけないことがあるんだ!」
なおも鉄格子を激しく揺らす。
「落ち着きたまえ、魔導技師。
彼は治療中だと今、言っただろう」
ミリアはその場で項垂れた。
「もう僕は戦えないよ……
戦う理由を失ったからね」
「戦う理由を失った……?」
ヴォルテスは眉間に皺を寄せて、静かに聞き返す。
「絶詠の魔女に対する恨みは、もういいのか?」
「絶詠の魔女に殺されたと思っていた僕の大事な人――ユーリスは生きていたんだ」
ミリアは顔を上げた。
「それも……魔女の弟子、ノイス・ノーチラスとして」
「ノイス少年が……か」
ヴォルテスは顎をさすった。
「なるほど……そういうことか」
ミリアは鉄格子を掴む。
「絶詠の魔女を殺せるって聞いて、あんたたちに協力したけど……
もうどうでもよくなったよ」
力なく続ける。
「もういい……ノイス君を返してよ」
ヴォルテスは目を細めた。
「その君の言うユーリス君とは……ノイス少年で間違いないのか?」
ミリアはヴォルテスを睨みつける。
「ユーリスには、昔、僕を庇ってついた古傷があるんだ。
僕が見間違えるはずがない」
しばらく考え込むように黙ったあと、ヴォルテスはゆっくりとミリアを見た。
「ユーリス君は――
君のことを、ちゃんと覚えていたかね?」
「……何が言いたいの?」
ミリアの声が低くなる。
「君には言っていなかったが……」
ヴォルテスは静かに続けた。
「ノイス少年――いや、ユーリス君は、おそらく絶詠の魔女に人体改造されている」
「なに……それ?」
ミリアは眉をひそめる。
「なんで今さら、そんなこと言うの?」
明らかに怒りを滲ませた声だった。
「混乱すると思って、これまで黙っていたがね」
ヴォルテスは肩をすくめる。
「絶詠の魔女は、才能ある子供を攫い、
自らの研究のために非道な実験を繰り返してきた」
ヴォルテスは、痛ましげに目を伏せる。
「そして、用済みになれば捨てる。
我々は、そうして使い潰された子供たちを保護してきたのだ」
淡々とした口調で言い放つ。
「まさか、魔女のお気に入りの実験体が――
魔導技師の“大切なお友達”だったとはね」
「うそ……でも、ノイス君は――!」
言葉を続けようとしたミリアを、ヴォルテスが静かに遮る。
「絶詠の魔女にとって都合の悪い記憶は、すべてすり替えられている」
「きっと君のことを忘れているのも、そのせいだろう」
「そ、そんな……」
ミリアの声が震える。
「安心したまえ」
ヴォルテスは穏やかな口調で続けた。
「我々は、実験道具にされた哀れな子供たちを保護し、元の健全な状態へ戻すために尽力している」
「そんなの……信じられるわけ……」
ミリアは顔を背け、吐き捨てるように言った。
「もし、魔導技師が我々に手を貸してくれるのなら――」
ヴォルテスは、穏やかな表情のまま続ける。
「君の知るユーリス君を、取り戻そう」
「ユーリスを……?」
ミリアの頭に浮かんだのは、
もう二度と会えないと思っていた――ユーリスの姿だった。
「ああ、約束しよう」
ヴォルテスは静かに頷く。
「君が辛いのも、よくわかる」
「絶詠の魔女にすべてを奪われ、お友達に再会できたと思ったら――
今度は記憶まで歪められていたのだ」
ヴォルテスは、わずかに身を乗り出した。
その視線が、ミリアを射抜く。
「……君はそんな非道を許してもいいのか?」
低く、囁く。
「……そんなこと、僕に言われても」
ミリアの表情が揺れる。
ヴォルテスは、その変化を見逃さなかった。
「思い出してみたまえ。
ユーリス君は、君の知る人格だったか?
絶詠の魔女を庇うような発言はなかったか?」
ミリアの胸に、引っかかる記憶があった。
「そ、それは……」
「それこそが――記憶改ざんの証拠だ。
なんて卑劣な魔女だ!」
ヴォルテスの声が、ゆっくりと低くなる。
「魔女を……決して許してはいけない」
混乱するミリアへ、さらに言葉を重ねる。
「ねえ、僕は……何をすればいいの……?」
ヴォルテスは、にやりと笑った。
「きっと絶詠の魔女は、必ずここへ来る。
自らの“実験体”であるユーリス君を回収しにな」
「そうなってしまえば、ユーリス君の人格を取り戻す前に――
また都合のいいように記憶をすり替えられる」
わずかに声を落とす。
「今度こそ、本当のユーリス君は消えてしまうだろう」
「……ユーリスが消える……?」
「そうだ」
ヴォルテスは強く言い切った。
「再び絶詠の魔女の手に渡れば、君は二度とユーリス君に会えなくなる」
「ユーリス君は――君に助けを求めているのだ」
「僕の……助けを……」
「そうだ」
ヴォルテスは両手を広げた。
「共に絶詠の魔女を倒し、ユーリス君を取り戻そうではないか」
ミリアの中で、ぐちゃぐちゃに絡まっていた感情が、ひとつの形に押し固められていく。
罪悪感も、後悔も、恐怖も。
すべて、ひとつの憎しみに塗り替えられていく。
「そうだ……そうだった。
全部……全部あいつのせいだった」
拳を強く握りしめる。
「僕のユーリスを、あんな奴に渡したりなんかしない!」
ヴォルテスは満足そうに笑う。
「よくぞ言った」
そして、声を高く響かせた。
「魔導技師よ――!」
「再び立ち上がれ!」
「ユーリス君のために!」
しばらくの沈黙の後、ミリアはゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れていた目は、もう揺れていない。
「……わかった」
小さく呟く。
「協力するよ」
ヴォルテスの口元が、わずかに歪んだ。
「ほう……」
「僕が魔女を殺せばいいんでしょ?
やってあげる」
ミリアは淡々と言う。
「学園のみんなを陥れて、ここまでのことをしたんだ。
もう後には引けない。
ユーリスを取り戻せるなら、僕は何だってやるよ」
立ち上がり、鉄格子の向こうのヴォルテスを見据えた。
「自立型魔道具も随分やられちゃった。
メンテスペース、貸してくれない?」
ヴォルテスは一瞬だけミリアを見つめたあと、ゆっくりと頷いた。
「……許可しよう」
指を鳴らすと、兵士が現れる。
「牢を開けろ」
――ガシャン。
重い音を立てて、鉄格子が開いた。
ミリアは振り返ることもなく、そのまま歩き出す。
その目に光は宿っていない。
ヴォルテスは、その背中を見送りながら小さく笑った。
「ふふ……。
実に扱いやすい娘だ」
そう呟くと、振り向きもせず命じる。
「おい」
「欠陥魔人たちを集めろ」
わずかに口角を上げた。
「作戦は――最終段階へと移行する」




