五十一話 魔女降臨
――執務室。
「どうやら、時間が来たようです……」
闇を纏った黒ローブの男は、窓の外で浮遊式の自立型魔道具が暴走し始めたのを見て、立ち去ろうとした。
「ま、待て……!」
倒れていたルキウスは、腕を押さえながらも立ち上がる。
「お前は……何者だ……?」
「くくく。そんなことは、自分で考えてくださいよ」
黒ローブの男は低く笑った。
「もっとも……作戦がうまくいったのなら、もう会うことはないでしょうがね」
「ど、どういうことだ……?」
「あまり喋り過ぎると怒られますからね。
私はこれで失礼します」
男が手を広げると、足元から闇が広がる。
その闇は、ゆっくりと男の身体を包み込んだ。
消える直前、男は楽しげに言った。
「ルキウス・ファンフォルド。
本当はこの手で処分したかったんですけどね」
フードの奥で、口元が歪む。
「まあ、いいです。
ただ勝つことに意味はありませんから」
ローブを大きく広げる。
「あなたのように誇り高い人間が、自ら屈服する姿が私は好きなんですよ」
闇に呑み込まれ、黒ローブの男の姿は完全に消えた。
「闇魔法……」
ルキウスは歯を食いしばる。
「それに、あの実力。
いったい誰なんだ……」
その場で力なく膝をついた。
◇◇◇◇◇
――学園長室。
「始祖を回収したか……。
よくやった」
ヴォルテスは誰かからの通信を受け取り、満足げな笑みを浮かべた。
「彼が……屈したと?」
マグナスが静かに問いかける。
「言っただろう?
こちらには秘密兵器があると……」
ヴォルテスは肩をすくめた。
「ここに長居は無用だ。
退散させてもらう」
「わしが……簡単に逃がすと思ったか?」
マグナスの魔素が、部屋の空気を震わせる。
「やれるものなら、やってみろ」
ヴォルテスが杖を軽く振ると、学園長室の窓が内側から弾け飛んだ。
ガラスの破片が夕暮れの空へ散る。
ヴォルテスはその破片の中を、悠然と空へ舞い上がった。
「ヴォルテス! お前だけは行かせぬぞ!」
マグナスは杖を振り上げる。
「灼熱の豪炎よ……すべてを呑み込み、焼き尽くせ!
《インフェルノ》!」
空へ放たれた豪炎に対し、ヴォルテスもまた手を掲げた。
「絶対零度の氷獄よ……すべてを覆い、凍てつかせろ!
《コキュートス》!」
炎と氷――最上位魔法同士が激突する。
衝撃が爆ぜ、学園全体が大きく揺れた。
「私を止めるより――先にやることがあるだろう?
マグナス学園長」
ヴォルテスの声が、空から降り注ぐ。
視線を落とすと――
学園内では、浮遊式の自立型魔道具が施設を破壊しながら暴れ回っていた。
今にも襲われそうになっている生徒たちの姿が見える。
「……今は仕方ない、かの」
マグナスは歯を食いしばり、杖を握り直した。
そして学園内へと降り立ち、素早く詠唱し、浮遊式の自立型魔道具を次々と破壊していく。
その隙を突くように、学園内の各所にいたMCRの魔法使いたちも次々と空へ飛び立っていく。
◇◇◇◇◇
校舎のあちこちで爆音が響いていた。
浮遊式の自立型魔道具が、金属の羽音を鳴らしながら空を旋回し、魔導砲を乱射している。
――ドォン!
校舎の壁が吹き飛び、石片が四方に飛び散った。
「きゃあああっ!」
「に、逃げろ! こっちだ!」
生徒たちは必死に廊下を駆けていく。
だが――
浮遊式の自立型魔道具が、進路を塞ぐように降下した。
生徒たちも魔法で応戦するが、並の魔法ではびくともしない。
「なんなんだよ! こいつらは!」
各地から悲鳴が上がる。
学園の建物は次々と破壊され、瓦礫が落ち、怪我人も出始めていた。
「MCRめ……なんとも厄介な置き土産を残していきおって」
マグナスは、生徒たちを守りながら、自立型魔道具を破壊していく。
だが――数が多すぎる。
すべてを止めるには、到底追いつかない。
◇◇◇◇◇
崩れた校舎の陰で、ひとりの女子生徒がよろめいた。
「はぁ……はぁ……」
必死に走ってきたせいで、呼吸が乱れている。
恐る恐る後ろを振り返る。
――グポォン。
浮遊式の自立型魔道具。
赤い光を灯しながら、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。
「や……いや……」
女子生徒は後ずさる。
だが背中が、壁にぶつかった。
もう逃げ場がない。
左右からも赤い光がこちらを捉える。
気付けば、三機の浮遊式の自立型魔道具が彼女を囲んでいた。
魔導砲の砲口が、ゆっくりと彼女へ向けられる。
「やめて……」
杖を握る手が震える。
「水流よ……わ、わ、私……」
魔法を唱えようとするが、手が震えて杖を落としてしまう。
「だ、誰か……助けて」
その言葉は、喉の奥でかすれて消えた。
赤い照準が、胸元に定まる。
浮遊式の自立型魔道具の砲口が光り始めた。
女子生徒は目を閉じる。
――もう、ダメだ。
その時。
――バチッ。
――バチッ、バチッ、バチッ!
目を開ける。
目の前には――
転がる浮遊式の自立型魔道具。
「私、助かった……の?」
女子生徒は恐る恐る顔を上げた。
見上げた空には、無数の小さな雷光が広がっていた。
「なにあれ……?」
女子生徒は呆然と空を見上げた。
――バチッ!
雷光が弾け、浮遊式の自立型魔道具に突き刺さった。
浮遊していた機体の赤い光が消える。
――ガクン。
力を失った浮遊式の自立型魔道具が、そのまま地面へと落ちていく。
「え……?」
女子生徒は言葉を失った。
学園の空を覆うほどの小さな雷光が、四方に飛び散っていく。
それはまるで――蜂の群れ。
雷で形作られた羽虫が、学園中を飛び回っていた。
――バチッ!
――バチバチッ!
羽虫が浮遊式の自立型魔道具へ触れるたびに、機体が沈黙する。
魔導砲は止まり、赤い光は消え、浮遊していた機体は次々と落下していった。
学園のあちこちで、同じ光景が起きていた。
わずか十数秒。
それだけで――
学園を覆っていた浮遊式の自立型魔道具は、すべて沈黙した。
マグナスは、ゆっくりと髭を撫でた。
「……ついに来たかのう」
蜂のような雷の羽虫が、浮遊式の自立型魔道具を探すようにまだ学園の上空を飛び回っている。
「《サンダー・ホーネット》
もういいわ、戻りなさい」
空に散りばめられた雷光が集まる中心に――
ローブを纏った、長い金髪の女がゆらりと浮いていた。
青白く輝くその光景は、まるで茜色の空から降り立つ女神のようだった。
無数の雷光が彼女の周囲を舞い、蜂の群れのように空を巡っている。
そして、ゆっくりと学園に降り立った。
女はローブのフードをわずかに上げ、微笑んだ。
「お久しぶりですね。マグナス先生」
美しい金髪が、ふわりと風に揺れる。
周囲を舞っていた雷光も、ゆっくりとその輝きを失っていった。
マグナスは静かに彼女を見上げた。
「相変わらず派手な魔法じゃな、絶詠の魔女アリス」
懐かしそうに目を細める。
「おかげで学園は助かったわい」
魔女は周囲を一瞥した。
「それでマグナス先生……ノイスは?」
その一言で、空気が変わる。
マグナスは一瞬だけ目を伏せた。
「すまない。
MCRにすでに連れて行かれたようじゃ」
魔女の表情がわずかに揺れる。
唇を強く噛みしめた。
「……間に合わなかった、ということですか」
マグナスはゆっくりと頭を下げる。
「わしが付いていながら、本当に申し訳ない」
「いえ、先生は悪くありませんよ」
アリスは静かに首を振った。
「それにしても、マグナス先生がいる中でノイスを攫うなんて……」
顎に手を当て、眉をひそめる。
「MCRにしてやられたわい。
それに……ヴォルテスが直接来よった」
その名に、魔女の瞳が鋭くなる。
「……やはりヴォルテス元会長が」
アリスは遠くを見つめた。
「ノイスが彼らに利用されるようなことがあれば――
この世の危機となります」
アリスは、手にしたフルートを静かに握りしめる。
その指先が、かすかに震えた。
「その時は……私が責任を持ってノイスを殺します」
マグナスは眉をひそめた。
「落ち着くんじゃ……。
ノイス君は強い子じゃ。そう簡単に屈するとは思えん」
ゆっくりと言い聞かせる。
「決して、早まるでないぞ」
アリスは一瞬だけ目を閉じた。
「……私だって、ノイスを失いたくありません」
小さく息を吐く。
「ですが――これは私が背負った使命でもあります」
アリスの表情には、揺るがない決意が浮かんでいた。
――その時。
「ちょ、ちょっと!
待ってくださーい!」
慌てた声が遠くから響く。
「魔法が勝手に……!
こんなこと今までなかったのに」
風の獣――《ウィンド・キャット》が、主の制御を離れたように一直線にアリスへ向かって飛んできた。
アリスは目を細める。
「……この魔法は」
飛び込んできた《ウィンド・キャット》を、優しく抱きとめた。
ふわりと風が揺れる。
その直後――
「す、すみません!
私の魔法が勝手に……!」
ルーシーが全力で駆け込んでくる。
そして――
「って、ああああああああああああ!」
目の前にいる人物を見て、絶叫した。
「ぜ、ぜぜぜぜぜぜ……絶詠の魔女様っ!!
こ、これは夢ですか!? そうなんですか!?」
「おい! ルーシー、待てって――」
ロウも慌てて後ろから追いかけてくる。
そしてアリスを見て、足を止めた。
「あんた……絶詠の魔女か?」
アリスは、少しだけバツの悪そうに視線を逸らした。
マグナスが苦笑した。
「大丈夫じゃよ。
この二人はノイス君の友達じゃ」
その言葉を聞いたルーシーは、慌てて服を整える。
背筋をピンと伸ばし、ぴしっと姿勢を正した。
「あっ、はい!」
ルーシーは深く一礼する。
「あ、あの! ノイスくんには、いつもお世話になっています!
ルーシー・ウィンディと申します!」
「俺はロウだ。
ロウ・グレン。ノイスとは親友だ」
アリスは二人を見つめ、ふっと優しく微笑んだ。
「そう……ノイスにも、ちゃんとお友達ができたのね」
それは、どこか安心したような声だった。




