四十二話 役割を演じる人形
隠された部屋の壁一面を埋め尽くしていたのは、ルーシーの写真だった。
幼少期のもの。
パーティに参加したドレス姿のもの。
笑っているもの。
少し不機嫌そうなもの。
泣きそうなもの。
すべて、綺麗に額縁に入れられている。
「いやー……」
ノイスは一枚一枚、視線で追っていく。
「随分マニアックなものまでありますね」
うたた寝をしている横顔。
転びそうになった瞬間。
水辺で遊ぶ姿。
「……見たな」
溢れる殺気。
「……見られたからには、殺すしかない」
空気が凍る。
だがノイスは振り返らない。
「あ! 大丈夫ですよ、ルキウスさん」
あっさりと言う。
「ルーシー、可愛いですもんね。
気持ちはわかります」
ルキウスのこめかみに血管が浮き上がる。
「お前如きがルーシーを語るな……」
写真に囲まれるようにして飾られていた一本の杖を、ルキウスはゆっくりと手に取った。
重厚な白銀。
中心には眩い宝石。
「これは――
我がファンフォルド家に代々伝わる光杖、《ルミナス・レガリア》だ」
手に取るだけで空気が震える。
ノイスは目を見開く。
「……確かに。
ただの杖ではないと見ただけでもわかります」
光が膨れ上がる。
「今度こそ――終わらせる!
閃光よ、我が身に纏い、力となれ!」
「《フォトン・ドライブ》!」
白光を纏い、ルキウスが弾丸のように飛び出した。
床が砕ける。
「背負うものがない君には、わからないだろう!」
光を纏った杖を振るう。
「私は……ファンフォルド家の期待を一身に背負って生きてきた!」
息つく暇もない連撃が襲いかかる。
「出来て当たり前だ!
常に私は完璧で一番でなければならない!」
弾ける光。
「少しでも隙を見せれば、“血筋に泥を塗るな”と責められる!」
光が飛び交う。
「私が裏でどれだけ血の滲むような努力をしようとも――」
歯を食いしばる。
「返ってくるのは、“さすが名門の血だ”という言葉だけだ!」
「才能があって羨ましい?」
自嘲が混じる。
「誰一人、私を……“ルキウス”を見ていないじゃないか!」
閃光を纏い、ノイスの背後へ回る。
「私は、いつでも“完璧なファンフォルド家の次期当主”でしかなかった!」
光が爆ぜた。
「そんな中――」
呼吸が荒い。
「まだ幼いルーシーだけが、私を見てくれたんだ!」
一瞬、光が揺らいだ。
◇◇◇◇◇
ルキウスの脳裏に、遠い日の記憶がよみがえる。
「ルキウス。将来、お前の伴侶となるルーシー・ウィンディ嬢だ。《魔導操作》のスキルを持つ。ファンフォルド家に相応しい娘だ」
「はい。かしこまりました、お父様」
いつも通りの返答。
意見など、求められたことはない。
私は“完成形”であればいい。
「初めてお目にかかります。ルーシー・ウィンディ嬢。
ルキウス・ファンフォルドです」
跪き、手を差し出す。
どうせ、この少女も命じられているだけだ。
私と同じように、与えられた役割を演じるだけの人形なのだろう。
だが、小さな手が私の手を包んだ瞬間――
「……手が、ボロボロなんですね」
思考が止まる。
「こら、ルーシー!
ルキウス様になんてことを言うんだ」
父親の叱責。
だが少女は引かなかった。
「違いますよ! お父様!」
真っ直ぐに、こちらを見る。
「これは、努力されてるカッコいい手なんです」
幼い瞳が、曇りなくこちらを映す。
「きっと毎日、血が滲むほど魔法の練習なさっているんです。
私、尊敬します!」
――尊敬。
その言葉を、家名でも血筋でもなく、
“自分自身”に向けられたのは初めてだった。
「……あはは、何を言いますか」
しかし、ファンフォルド家として泥臭く努力していることなど、知られてはいけない。
それは完璧な存在ではないからだ。
「生憎ですが、ルーシー嬢。
私はファンフォルド家の次期当主です。
生まれながらにして、完璧な強さを備えているのです。
血の滲むような努力などは――」
そこで、言葉が止まった。
視界が滲む。
努力などしていないと、そう言えばいいだけなのに。
なぜか言葉が出ない。
私は、完璧でなければならないのに。
頬を、一筋の涙が伝った。
「ルキウス様が……泣いていらっしゃるぞ」
周囲がざわめく。
「何をしたんだ! ルーシー!」
「私は……別に何も」
幼いルーシーは目を丸くする。
その時になって、ルキウスはようやく理解した。
なぜ、自分が泣いてしまったのかを。
この少女のたった一言が――
今まで積み重ねてきた自分の努力のすべてを、
初めて肯定してくれた気がしたからだ。
◇◇◇◇◇
「何故だ……!」
光が乱れ、床が裂ける。
「何故……私の欲しいものは、いつも手に入らない!!」
「欲しいものって……ルーシーのこと?」
迫る光刃をいなしながら、ノイスは静かに問い返す。
「そうだ!」
ルキウスが叫ぶ。
「ルーシーは……私のものだ!」
荒れ狂う光の中で、その声だけが妙に静かだった。
「君は……」
歯を食いしばる。
「何の努力もせず、当然のように私から奪っていくのか!」
ノイスは一撃を受け止め、押し返す。
「ルーシーのことを“欲しい”なんて思ってる時点で、もう間違ってるんだよ」
「何が間違っているというのだ!」
閃光が爆ぜる。
「一緒にいたいと思うならさ。
なんで、ルーシーのことをもっとわかってあげようとしないの?」
静かな問い。
「独占したい、欲しい、手に入れたいって――
ルキウスさんはそればかりじゃないか」
ノイスは淡々とルキウスの光魔法を防ぐ。
「ルーシーはものじゃないよ」
ルキウスの瞳が揺らぐ。
「そんな気持ちで迫られたら、
ルーシーは窮屈じゃないかな?」
一瞬の沈黙。
だが次の瞬間、怒りが爆発する。
「うるさい! 君に何がわかる?
たまたまタイミングが良かっただけだろう!
クレイン・オルドゥストの時もそうだ!」
歯ぎしりをする。
「私がルーシーを助ける前に、君が先回りした!
ただ、少し早かっただけだろ!」
光が歪む。
「絶詠の魔女の時だって、そうだった……!」
拳が震える。
(師匠の時……?)
「あれが……全ての始まり……」
低く、憎悪を滲ませる。
◇◇◇◇◇
ルキウスはルーシーと出会ってから、ルーシーが尊敬できる男でいようと自分磨きを怠ることはなかった。
そんな中、ルーシーが魔法を暴走させたとの知らせがあった。
正直、チャンスだと思った。
自分なら光魔法で、誰よりも速く辿り着ける。
知らせを聞いた瞬間、屋敷を飛び出した。
光を纏い、空を裂く。
絶対に間に合わせる。
しかし、到着した時にはすでにルーシーの暴走は収まっていた。
荒れ果てた地。
泣き崩れるルーシー。
彼女を優しく抱きしめる魔法使い。
長い金色の髪をツインテールに結んだ女。
――絶詠の魔女。
「……退けよ。
そこは、本来なら私の場所だったはずだ」
ルーシーの無事を喜ぶよりも先に、
自分がいるはずだった場所を奪われたという嫉妬が胸を焼いた。
ルキウスは自らの醜さに気づき、ルーシーに声をかけることができず、ただ静かに屋敷へと引き返した。
その日から、二人の関係は少しずつ変わっていった。
「見てください、ルキウス様!」
嬉しそうに駆け寄るルーシー。
「絶詠の魔女様とお揃いの髪型にしてみたんです!」
銀髪をツインテールに結び、くるりと回る。
無邪気な笑顔。
だが――
「……少し子供っぽいのではないか」
ルキウスは淡々と答えた。
「君は将来、ファンフォルド家の人間になるのだ。もっと上品な髪型のほうが相応しいのではないか?」
笑顔が、わずかに固まる。
「……わかりました」
数日後。
「ルキウス様!」
再び目を輝かせる。
「絶詠の魔女様の魔法、《ファイヤー・キャット》……私も使えるようになったんです!」
小さな炎の獣がぴょんと跳ねた。
楽しげな表情。
「……派手すぎるな」
冷たい声。
「そのような魔法はファンフォルド家には似合わない。
もっと優雅で格式ある魔法を身につけるべきだ」
炎が、しゅんと消える。
「……はい」
それから一年後。
絶詠の魔女が追放された後のことだった。
「ルーシー! 何を隠した?」
ルキウスは苛立っていた。
「こ、これは……絶詠の魔女様の――」
ルーシーが持っていたのは、絶詠の魔女のキーホルダーだった。
「あの魔女は禁忌に触れ、追放されたのだ。
こんなものを持っていたら反逆者になるぞ!」
ルキウスは乱暴にそれを取り上げた。
「お願いです……ルキウス様。
絶詠の魔女様の記念品は、もう手に入らないのです。
返してください」
ルキウスは鼻で笑った。
「そんなに返してほしいか?」
ルーシーの目の前に差し出す。
まるで、からかうように。
「こんなもの、必要ない!」
――バァン!
光が爆ぜ、キーホルダーは粉々になった。
「ひ、ひどいです……ルキウス様……」
ルーシーは床に散った欠片を、必死にかき集める。
その姿が、ルキウスをさらに苛立たせた。
「いいか、ルーシー。
君は私の言うことだけ聞いていればいいんだ」
泣きじゃくるルーシーの頭を撫でた。
自分よりも絶詠の魔女を崇拝するルーシーの姿が、
この時のルキウスにはどうしても許せなかった。
それからルーシーは、ルキウスの前で本音を見せなくなっていった。
ただ、与えられた役割を演じる人形のように。
静かに怯えるように従うだけになった。




