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四十話 ルーシーの気持ち

「迷惑……なんです」


 震える声が、静まり返った執務室に落ちた。


「もう、私に関わらないでください」


 言い切った瞬間、ルーシーは唇を強く噛みしめた。


 長い静寂のあと、ルキウスが小さく息を漏らす。


「……聞こえただろう、ノイス・ノーチラス」


 冷たい視線が、ノイスへ向けられた。


「彼女を救いに来たつもりだったのかな。

 だが、当の本人は君を望んでいないようだ」


 ゆっくりと歩み寄る。


「君もまだ若い。

 思い上がることくらい、誰にでもある」


 ノイスは何も言い返さなかった。


 ただ、しばらく黙ってルーシーを見つめている。


 その瞳は、怒っているようにも傷ついているようにも見えない。


 ルーシーは全身に力を込めて、自分の感情を押し殺す。


 奥歯を強く噛みしめていた。


 そうでもしなければ、今すぐすべてを吐き出してしまいそうだった。


「私としても、学園で学ぶ仲間が減るのは残念だ」


 ルキウスは、まるで話は終わったと言わんばかりに手を払った。


「だから、今回の無礼は不問にしよう」


 穏やかな声だった。


 けれど、それは許しではない。


 これ以上踏み込むなという、静かな警告だった。


「早く寮へ戻りたまえ」


「はい。わかりました」


 ノイスはあっさりと頷き、扉へ向かって歩き出す。


「君のそういう潔いところ、嫌いではないぞ」


 微笑むルキウス。


「ルーシーが本気でそう思っているのなら、僕は引くよ」


 足を止めるノイス。


「でも……ひとつだけ聞いておかなきゃいけないことがあった」


 振り向いて、まっすぐルーシーを見つめる。


 その真剣な表情に、ルーシーの胸が跳ねる。


「ルーシーはルキウスさんの隣にいて、

 師匠のことを話している時のように幸せそうに笑える?」


「ノ、ノイスくん……な、なにを――」


 溢れそうになる感情を、必死に押し留める。


「何を言うかと思えば……勿論だ。

 ルーシーは、私が幸せにする」


 ルキウスが冷ややかに笑う。


「僕はルーシーに聞いてるんだ。

 少し静かにしてて」


 空気が凍る。


 ルキウスの目が細まる。


「ルーシーの本当の気持ちを聞かせて?

 僕はルーシーが楽しそうに笑う顔がとても好きなんだ」


「好きだと……?

 私の婚約者に向かって、何を言っている――」


「誰の婚約者だろうと関係ないよ」


 ノイスは、自分を押し殺して崩れ落ちそうなルーシーを優しく見つめた。


「ねえ、ルーシー。

 君は、師匠のこと……本当に忘れられるの?」


「……っ」


 ルーシーの肩が震える。


 握り締めていた拳が、わずかにほどける。


「わ、私は……」


 声が掠れる。


 必死に、言葉を探す。


「絶詠の魔女様を忘れること……」


 ルキウスの視線が背中に刺さる。


 それでも。


「……なんて無理です」


 小さな否定。


 そして――


「無理に……決まってますよぉ!」


 堰を切ったように涙が溢れる。


「絶詠の魔女様のこと、忘れられるわけない……!」


 膝から力が抜け、崩れ落ちそうになる。


「ずっと……ずっと憧れてきたんだもん……!」


 嗚咽混じりの声。


「魔法を好きになれたのも、今まで頑張れたのも……絶詠の魔女様がいたからで……!」


 止まらない。


「それを忘れろなんて……

 そんなの、私じゃなくなっちゃう……!」


 涙が床に落ちる。


 誤魔化していた気持ちが、全部、溢れ出す。

 

 嗚咽が止まらない。

 

 涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでもルーシーは目を逸らさなかった。

 

 ノイスは静かに息を吐いた。


「……そっか」


 優しくも、同情でもない声。


「なら、ルーシーは好きなように生きなよ」


 その一言は、驚くほどあっさりしていた。


「ルーシーが今まで大事にしてきたものは、誰かが奪えるものじゃないよ」


 一歩だけ、近づく。


「ルーシーがまた笑ってくれるなら、

 僕に出来ることはなんでもするからさ」


 そのまま静かに手を差し出す。


「一緒に教室に戻ろう」


 ノイスが差し出した手に、ルーシーがゆっくりと手を伸ばした。


 その時――


「……おい」


 聞いたこともないほどドスの利いた低い声。


「待て」


 空気が、凍る。


「待てと言っているだろう!!」


 怒号が執務室を震わせた。


 窓ガラスがガタガタと鳴る。


 ルキウスの足元から、白い光の魔素が漏れ出す。


 完璧だった姿勢が、わずかに崩れている。


「いったい何様のつもりだ! ノイス・ノーチラス」


 その目は怒りで燃えている。


「君にそれを選ぶ権利などない!」


 光が揺らぐ。


 抑えていた感情が、表に滲む。


「好きに生きろ……だと?」


 低く、喉の奥で笑う。


「何も背負わず、何にも縛られず――」


 声が徐々に荒れていく。


「努力も、責任も、宿命も知らぬ者が……

 軽々しく口にしていい言葉じゃない!」


 身体中から光が滲み出す。


 白い魔素が床を走り、空気が焼ける。


「ルーシーは私の隣にいるべきなんだ」


 一歩、踏み出す。


「それを、君のような……」


 一瞬、言葉が詰まる。


「……反逆者の弟子風情が」


 魔素が爆ぜた。


 閃光が室内を塗り潰す。


「知ったように語るなァッ!!」


 ルキウスの姿が掻き消える。


 いや、消えたのではない。


 光のような速度で間合いを詰めていた。


 拳に収束した白光が、ノイスの腹部を打ち抜く。


 衝撃。


 空気が裂け、ノイスの身体が背後の壁へと叩きつけられた。


 石壁に亀裂が走り、粉塵が舞う。


 轟音が執務室を震わせる。


「ノイスくんっ!」


 ルーシーの悲鳴。


 崩れ落ちた瓦礫の中から、ゆっくりと声がする。

 

「あいたた。

 さすがの速さだね。避けるのが難しそうだ」


 よろめきながら、ノイスは立ち上がる。


「……減らず口を叩くな」


 ルキウスの声は、先ほどよりも低い。


「まだ状況が理解できていないようだな」


 杖が静かに掲げられる。


 その先端に、純白の光が集束する。


「ノイス君。

 君は帰る途中だか何だか知らんが、謹慎中の身だ」


 圧縮された魔素が、空気を震わせる。


「防御でも、回避でも構わない。

 ――今ここで魔法を行使すれば」


 光がさらに強まる。


「私が何もせずとも、君の退学は確定するだろう」


 逃げ場のない宣告。


「閃光よ――収束し、撃ち抜け」


 杖先に集められた光が、針のように細く絞られる。


「《フォトン・レーザー》」


 白線が空間を裂いた。


 音よりも速く、一直線に。


 ノイスの右肩を弾く。


 ――ズンッ!


「抗わぬか……賢明だな」


「《フォトン・レーザー》」


 閃光が、立て続けに走る。


 ――ズンッ!


 左肩。


 ――ズンッ!


 右腿。


 ――ズンッ!


 左腿。


 白い光が、正確無比にノイスを撃ち抜く。


 だが――


 傷はなく、制服すら裂けていない。


 ノイスは、微動だにしなかった。


 膝も折らず、視線も逸らさず、ただ立っている。


「やはり弟子である君も、特殊というわけか……」


 その姿に、ルキウスの眉が歪む。


「……そもそも私は疑問に思っていたのだ」


 低く、吐き出す。


「なぜ、絶詠の魔女や……君のような存在がいる?」


 杖を握る手が、わずかに震える。


「魔法使いの才能と適性は本来、血統と、生まれた土地の魔素濃度で決まる」


 ルキウスの瞳が歪む。


「強い魔法使いからは、強い魔法使いが生まれる。

 そして、より強い血を掛け合わせ、さらに強い魔法使いが生まれる」


 拳を握りしめる。


「それが当然。この世の理なんだ。

 このアスカナティア魔法都市に生まれ、優れた血統を持つ者こそが、最強であるはずだ!」


 声が荒れる。


「それなのに……」


 歯を食いしばる。


「絶詠の魔女――アリス・ノーチラスの両親は、共に魔法適性を持っていなかった。

 それどころか、生まれた土地も魔素が枯れた小村だ」


 低く吐き捨てる。


「全く理解できない。許せない。ありえないはずだ」


 杖を強く握りしめる。


「なぜ、あれほどの力を持つ?

 なぜ、あれほどの称賛を浴びる?」


 光が揺らぐ。


「本来あってはならないんだ……!」


 ノイスは光魔法が当たった右肩を軽くさすりながら、ルキウスに向き合う。


「アリス・ノーチラスは、この世界の理から外れた存在

 ――まさにバグだ!」


 そして、ノイスを睨む。 


「そして君は――

 そのバグが生み出した“怪異”だ」

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