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四話 呼び出し

 学園長室の前で、ノイスは重厚な扉を見上げて立ち止まった。


(……学園長室、か。気が重いな)


 正直、いい予感はしない。

 だが、呼び出しを無視するわけにもいかない。


 軽くノックすると、すぐに声が返ってきた。


「どうぞ。入っておいで」


 扉を開けると、そこは意外なほど柔らかな空間だった。

 豪奢ではあるが威圧感はなく、本棚が壁一面に並び、窓際には観葉植物が置かれている。

 中央には大きな机と、向かい合うように配置されたソファー。


 そして――


「やあ、よく来てくれたね。ノイス君」


 白髪白髭の老人が、にこやかに手を振っていた。


「……ど、どうも」


「まあまあ、立っていないで。座りたまえ」


 促されるまま、ノイスはソファーに腰を下ろす。


 ほどなくして、湯気の立つ紅茶と小さな焼き菓子が運ばれてきた。


「遠慮はいらんよ。くつろいでもらって構わん」


「……ありがとうございます」


 そう言うが早いか、ノイスは菓子を手に取った。


 ぱく。

 もぐもぐ。


 続いて紅茶も一口。


 完全に、くつろいでいる。


 その様子を見て、学園長はくつくつと喉を鳴らして笑った。


「フォッフォ。いやあ……

 彼女から聞いていた通りじゃ。まったく、遠慮がない」


 ノイスの手が、ぴたりと止まった。


「……彼女?」


 学園長は穏やかな笑みのまま、ゆっくりと頷く。


「君の師匠だよ。――絶詠の魔女」


 ノイスは思わず菓子を喉に詰まらせ、咳き込んだ。


「っ、ごほ……!

 ご存知なのですか?」


「もちろんじゃ。彼女は、わしの元教え子じゃからな」


 学園長は、ほんの少しだけ視線を遠くへやった。


「……え?」


 驚いて目を瞬かせるノイスに、学園長は肩をすくめる。


「今でこそ絶詠の魔女などと呼ばれておるが、

 当時はいろいろとあってのう……」


 ふっと、懐かしむように微笑む。


「あまり話すと怒られてしまうな。

 それでも――彼女は、わしがこれまで見てきた魔法使いの中で、桁違いに優秀じゃった」


 ノイスは、なんとも言えない表情になった。


「……で、僕は何で呼ばれたんでしょうか?」


 話題を戻すように言うと、学園長は楽しそうに頷いた。


「フォッフォ。いきなりじゃな。

 理由は単純じゃ」


 机に肘をつき、指を組む。


「君は入学早々、自分が絶詠の魔女の弟子だと言ったそうじゃな」


「……はい」


「そのことに誇りを持つのは悪いことではない。

 だが、その名は伏せて学園生活を送りなさい」


「……なぜでしょうか。

 師匠が“追放された忌むべき存在”だからですか?」


「そういうわけではない。

 彼女は、本来追放されるような人間ではない」


 学園長は、静かに言った。


「それは――君が一番、よく分かっているのではないかね?」


 ノイスは紅茶を一口飲んでから、答える。


「そうですね。

 師匠は優しいですけど、ダメなことはダメだって、僕にもちゃんと言う人ですから」


 少し言葉を選び、ノイスは尋ねた。


「……師匠は、どうして追放されたのでしょう?」


「やはり、聞いていないのだな」


 学園長は一度、間を置く。


「禁忌を犯した――ということになっておる。

 そしてそれは……」


(ごくり……)


「わしも、よく知らん」


(……え?)


 ノイスの内心をよそに、学園長は穏やかに続けた。


「安心したまえ、ノイス君。

 彼女は悪い人ではない。きっと何かの行き違いがあったのじゃろう」


 そう前置きしてから、ゆっくりと言う。


「君を呼んだのは、叱るためでも、試すためでもない」


 間を置き――


「ただ、絶詠の魔女という名に、抵抗を持つ生徒もいる。

 だから、不用意に語ってほしくないのじゃ」


 ノイスは無意識に、カップを握りしめていた。


「今日は、それだけ伝えておきたかった」


「……はあ」


「君も、面倒事に巻き込まれるのは嫌だろう?」


「そうですね。めちゃくちゃ嫌です」


「フォッフォ。素直じゃな。

 ならば、自分から言う必要もあるまい」


 そこで、学園長はふと表情を引き締めた。


「それと――他の生徒と一悶着あったそうじゃな」


「まあ……かなり手加減されたみたいですけど」


 学園長の目が、わずかに鋭くなる。


「あれは手加減されていたのではない。

 君が、あまりにも特殊なのじゃ」


 静かに、しかし断言する。


「詠唱を必要としない魔法、桁外れの魔素量、

 そして多様な魔法制御。そんなことができるのは、君と絶詠の魔女くらいのものじゃ」


「……では、あれが本気だったと?」


「そうじゃ」


 学園長は、少しだけ声を落とした。


「君は目立ちすぎる。

 手を抜けとは言わんが――

 うまく立ち回ってくれ」


 そして、いつもの柔らかな笑みに戻る。


「君には、この学園を存分に楽しんでもらいたいのじゃ」


 その言葉を胸に、ノイスは学園長室を後にした。

 


 学園長室を出たノイスは、廊下を歩きながら小さく息を吐いた。


(……とりあえず、処罰されるわけじゃなくてよかった)


 学園長の言葉が、妙に胸に残っている。


 ――不用意に語るな。


(まあ、そりゃそうか……)


 学園長にまでそう言われたのだ。

 これ以上、目立つことは避けたい。


(これ以上、ルーシーみたいなのに付き纏われたら――)


 そこまで考えた、その時。


 廊下の先、教室の方から――

 明らかに穏やかではない声が響いてきた。


「――ですから!」


 凛とした、よく通る声。


 嫌な予感が、背筋を走る。


「ノイスくんは、本当に“絶詠の魔女”様のお弟子さんなんです。

 学園長に呼ばれたのだって、きっと期待されているからに決まっています!」


(……あ)


 聞き覚えがありすぎた。


 ノイスが恐る恐る教室の前を覗くと、

 そこには予想通りの光景があった。


 教室の中心。

 銀色の髪を揺らし、堂々と立つルーシー。


 そして、その正面には――

 腕を組み、明らかに不機嫌そうなクレインの姿。


「何を言うかと思えば……」


 低く、苛立ちを隠さない声。


「もし本当に“絶詠の魔女”の弟子だとしたら尚更だ。

 そんな存在が、この学園にいていいはずがない。

 追放された、ろくでもない魔女の弟子なのだからな!」


「ろくでもない……ですって……?」


 ルーシーの顔が、みるみる赤く染まる。


(うわ……完全に火が付いた)


「絶詠の魔女様は、あなたが百人集まっても到底及ばないほど偉大な魔法使いです!」


 ルーシーは止まらない。

 

「実力もないのに家柄がいいだけで、偉そうにしないでください!

 あなたなんて、ノイスくんの足元にも及びません!」


「……っ!」


 クレインのこめかみが、ぴくりと跳ねた。


「口を慎め、小娘。

 オルドゥスト家というものがどういう――」


「魔法使いとしての実力を語る場で、

 家名を持ち出す時点で、もう負けを認めているようなものではないですか?」


 ぴしり、と空気が張り詰める。


(……ああ、ダメだ。完全に収拾がつかなくなってる)


 ノイスは、額に手を当てた。


 周囲の生徒たちも、完全に野次馬状態だ。

 視線が集まり、ざわめきが広がっていく。


(目立つなって言われた直後で、これか……)


 ノイスは、静かに教室の中へ足を踏み入れた。


「……ルーシー」


 その名を呼んだ瞬間、

 彼女の表情がぱっと明るくなる。


「ノイスくん!」


 その反応が、さらに周囲の注目を集めた。


 ノイスは、深く、深く息を吸い――

 廊下の奥、学園長室の方角に向かって、心の中で頭を下げる。


(学園長、すみません。

 ……もう手遅れみたいです)


「ノイスくんも、この人に言ってやってください!」


 びしっと指を差すルーシー。


「失礼な!」

 

 クレインが声を荒げる。


「身の程を知らぬのは小娘、貴様のほうだ!」


「あなた――」


「……落ち着いて、ルーシー」


 ノイスは間に割って入り、やや困ったように言った。


「クレインも……その、悪かったね。

 彼女、師匠の話になると、ちょっと暴走しちゃうんだ」


 ルーシーは不満そうにノイスを見上げる。


「おい、田舎者の眼鏡。

 入学早々、女を作っていい気になるなよ」


 クレインが、嘲るように口角を上げる。


「それに、私を呼び捨てとはいい度胸だ。

 貴様のような庶民が、誰に向かって口を利いている?」


 ノイスは一瞬だけ考え――

 そして、あっさりと頭を下げた。


「それは悪かった。

 クレイン様、僕の配慮が足りなかったよ」


 ざわ、と周囲がどよめく。


「ふはははは!」


 クレインは、満足そうに笑った。


「いい気味だ。

 自分の女の前で、軽々しく頭を下げるとはな。

 貴様には、誇りというものがないのか?」


 クレインはノイスの前に立ち、短く杖を振った。


「水よ」


 バシャッ――


 冷たい水が、ノイスの頭から容赦なく浴びせられた。


「……っ」


 前髪から雫が落ち、制服に染みていく。


「何を突っ立ってる?」


 クレインは鼻で笑い、足元に何かを投げつけた。


 ――雑巾だった。


「ほら。汚したんだから、拭けよ」


 教室が、静まり返る。


「掃除は庶民の仕事だろ?」


「あなた、いい加減にっ――」


 声が震えながらも、前に出ようとしたルーシーを、ノイスは静かに手で制した。

 

 そして、雑巾を拾い上げる瞬間、ほんの一瞬だけクレインに視線を向けた。


 ――ゾッ。


 得体の知れない威圧感に、クレインの背筋が凍りつく。


「あはは。僕、掃除は苦手なんだけどね……」


 だが、その威圧感はすぐに消えた。

 気の抜けた雰囲気に戻ったノイスは、何事もなかったように雑巾で床を拭き始めた。


「……ふん」

 

 クレインは髪をかきあげて、心を落ち着かせた。

 

「まあ、素直で何よりだ」


 ノイスが何も言い返さないと分かると、張り詰めていた空気は少しずつ緩んでいった。

 ざわついていた視線も、気まずさを誤魔化すように、次第に別の話題へと散っていく。


 ――けれど。


 ルーシーの胸の内だけは、何一つ収まっていなかった。


(……どうして)


 床を拭くノイスの背中を、強く睨みつける。


(どうして、何もしないんですか)


 雑巾を握るその手は、震えていない。

 怒りも、悔しさも、何もないように見える。


(敬愛している絶詠の魔女様の弟子――

 いえ、ノイスくんが私のせいで……)


 ぎゅっと、拳を握りしめる。


(……許せない)


 クレインたちが、ではない。


(私が面倒を起こさなければ、

 ノイスくんは、こんな目に遭わなかったのに……)


 視界が滲む。

 歯を食いしばって、涙が落ちるのを必死に堪えた。


 そして、胸の奥で、静かに誓う。


(このままではいけない……)


 その日の放課後、ルーシーの決意が裏目に出ることを、まだ誰も知らない。

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