三十八話 揺れる教室
緊急集会が終わり、生徒たちはそれぞれの教室へ戻された。
けれど、1-Aの教室はどこか落ち着かなかった。
理由は一つ。
学園長に連れて行かれたノイスが、まだ戻ってこないからだ。
その空いた机が、今はやけに目立っていた。
「ねえ……遅くない?」
ミレイユが小さく呟く。
「学園長と何か話してるのかな?」
ロウは腕を組み、苛立たしげに舌打ちした。
「嫌な予感しかしねぇ」
ユミナも落ち着かない様子で椅子を揺らす。
「ノイピ……まさか、このまま来なくなるとかないよね?」
ざわざわ、と教室の後方でひそひそ声が広がる。
「やっぱ処分かな」
「退学じゃね?」
ルーシーは、黙って席に座っていた。
膝の上で、指先がわずかに強く絡まっている。
そのとき――
ガラリ、と扉が開いた。
スコルドが無言で入ってくる。
いつもより、空気が重い。
「着席」
低い声。
ざわめきが止まる。
スコルドは教壇に立ち、短く告げた。
「ノイス・ノーチラスは、一週間の謹慎処分となった」
一瞬、時間が止まった。
「……はあ?」
ロウが勢いよく立ち上がる。
「なんでだよ!
ノイスが何したって言うんだ!」
スコルドの視線がゆっくり向く。
「これは学園長判断だ。
不満があろうと、今ここで覆る話ではない。
大人しく着席しろ」
「そんなんで納得いくかよ!」
拳が震える。
ミレイユも立ち上がった。
「先生。それは、不当だと思います」
静かな声だが、芯がある。
「本人に過失はありません」
「これは、決定事項だ」
スコルドの短い返答。
ユミナが机を強く叩いた。
「ノイピ自身が何かやったわけじゃないのに、意味わかんないっしょ!」
教室が一気にざわつく。
「反逆者の弟子だからだろ」
「俺らも何されるか、わかんねえしな」
「自業自得だよ」
空気が荒れていく。
ざわめきは次第に棘を帯び、教室の温度を押し上げていった。
ルーシーは何も言えず、ただ静かに目を伏せていた。
「どいつもこいつも!
ノイスの何を知ってんだ!」
ロウが勢いよく振り向いた。
「上っ面ばっか見やがって!」
ロウの怒りの叫びに教室は静まり返る。
「反逆者の弟子を庇って、
俺たちまで疑われたらどうするんだよ」
誰かが、不安げに呟いた。
「そうだよ。巻き込まれるのはごめんだ」
「魔法協会に逆らう気かよ」
その一言で、空気がはっきりと変わった。
「そうだ、そうだ!」
「反逆者の味方なんてするな!」
そして、一人の生徒が立ち上がった。
「ロウ、実は魔女の仲間なんだろ!
そうなら、お前も反逆者だ!」
その生徒に続くように、教室のあちこちから賛同の声が上がり始めた。
「はあ? あんたたち、ちょっとおかしいんじゃないの?
ノイスの味方しただけで反逆者扱い?」
ミレイユが勢いよく立ち上がる。
「それ……
本気で言ってるなら、マジで笑えないんだけど」
彼女の掌から、バチバチッと雷が弾けた。
放電の音が、教室を震わせる。
「やめろ。ここは教室だぞ」
スコルドの声が低く響く。
「俺は知ってるんだぞ、ミレイユ。
お前、ブラム先輩とつるんでるだろ?」
別の男子生徒が声をあげる。
その一言で、教室はざわめいた。
「そ、そんなの今は関係ないでしょ……」
ミレイユはバツが悪そうに腕を組む。
「ブラムって言えば、この学園一の問題児だぞ?」
「やばいことしてるって噂もあるよな」
「あいつなら、魔法協会に喧嘩売っててもおかしくねえ!」
ざわめきが、じわじわとミレイユへ向いていく。
「絶詠の魔女の弟子と仲良くしてるのも、そういうことなんじゃないのか?」
「なによ……それ」
ミレイユの眉がぴくりと動いた。
「そもそも、絶詠の魔女の弟子なんかと仲良くしてて、おかしいと思ったんだよ!」
「別に誰と仲良くしようが、あたしの勝手でしょ」
「ブラム先輩といい、ノイスといい、
目立つ男に色目使って近づいてさ。
恥ずかしくないのか?」
「ち、違うし……」
「誰彼構わず色んな男と遊んでるんだろ」
「ミレイユさんって、なんか不潔だよね」
「正直、私もちょっと苦手だったかも……」
その言葉に、ミレイユの表情がわずかに揺れた。
怒鳴り返そうとしたはずの唇が、うまく動かない。
「……別に、あたしは」
教室中から向けられる悪意に、後退りするミレイユ。
掌に弾けていた雷は、いつの間にか消えていた。
「ほら、黙った」
「図星なんじゃねえの?」
「前から浮いてたもんね」
ミレイユの肩が小さく震えた瞬間、
教室の中に強風が渦巻いた。
「……ミレイユは関係ないじゃん」
ユミナの声が、低く落ちる。
机の上のプリントが舞い上がり、椅子が軋む。
窓際のカーテンが大きく膨らみ、生徒たちの髪が風に煽られた。
「ミレイユにまでそんな暴言吐くとか、
マジで聞いてらんないっしょ!」
「……ユミナ」
ミレイユが小さく名前を呼ぶ。
だが、ユミナの風は収まらない。
「風を収めろ」
スコルドの低い声が、教室に響いた。
「ここは教室だ。お前たちも煽るな」
鋭い視線が、ユミナだけでなく周囲の生徒たちにも向けられる。
だが、一度熱を帯びた空気は簡単には冷めない。
「お、おい……こいつ、魔法を使ったぞ」
「やっぱり反逆者の仲間じゃねえか!」
一人の生徒が、反射的に魔素を練る。
それにつられるように、別の生徒の手元にも小さな火花が散った。
恐怖と警戒が、次々と魔素に変わっていく。
「ついに本性出しやがったな、反逆者どもめ。
魔法協会に突き出してやる」
「誰が反逆者だ、てめぇ」
ロウが低く唸る。
周りに展開された炎がゆらりと揺れ、
教室の温度が一段上がる。
「まとめて俺が相手になってやるよ」
ユミナの風。
ロウの炎。
周囲の生徒たちが練り上げる魔素。
感情と魔素が互いに煽り合い――
教室は、すでに収拾のつかない寸前だった。
耐えきれずにルーシーが勢いよく立ち上がる。
「皆さん、もうやめてくだ――」
ルーシーが言い終わる前に、
白い閃光が、教室を横切った。
――シュンッ。
光は魔素を放っていたロウとユミナを捉える。
だが、それは肉体を傷つける攻撃ではない。
魔素の流れを強制的に断たれた二人は、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
「ユミナ! ロウ!」
ミレイユが二人に駆け寄る。
誰も、何が起きたのか理解できない。
教壇の横。
スコルドの隣に、いつの間にか立っていたのは――
ルキウス・ファンフォルド。
制服の裾は乱れず、呼吸一つ乱れていない。
「教室内での私闘、および魔法の無断使用は校則違反だ」
淡々と告げる声。
怒りも、焦りもない。
「ルキウス・ファンフォルド……!」
ミレイユはユミナを抱えながら、教壇を見上げた。
「ル、ルキウス様だ……!」
「ルキウス様がうちのクラスに……!」
教室は一瞬の静寂のあと、歓声に包まれる。
まるで英雄の登場。
ルキウスはわずかに微笑み、スコルドへ向き直る。
「スコルド先生、騒がせてしまい申し訳ありません」
ルキウスは優雅に一礼した。
「私は、ルーシー・ウィンディ嬢に少し用がありまして」
穏やかな声音。
その名を呼ばれた瞬間、ルーシーの肩が小さく跳ねた。
「少し、お借りしても?」
丁寧な物腰だった。
だが、その視線には拒否を許さない圧が滲んでいる。
スコルドは短く息を吐いた。
「……いいだろう」
低い声。
「君には学園内で、教員に準ずる裁量権が与えられている」
教室がざわめく。
「だが――勘違いするな。
ここは俺の教室だ」
一歩、踏み出す。
鋭い視線が、まっすぐルキウスを射抜いた。
「勝手な行動は許さない。次はないと思え」
教室の空気が張り詰める。
一瞬だけ、ルキウスの表情が止まった。
「……失礼しました」
短くそう返す。
スコルドは黙ったまま、鋭い目を逸らさない。
その沈黙を振り払うように、ルキウスはゆっくりと教室全体へ向き直った。
「皆も驚かせてすまなかった。
だが、教室で騒ぐのはほどほどにな」
穏やかな笑みが、再び教室を支配していった。
「さすが、ルキウス様だ……」
「一瞬であの騒ぎを止めたぞ……」
「やっぱり、あの方がいれば安心だ」
「さすが、ファンフォルド家の次期当主……」
ロウたちを一瞬で制圧したことで、この場の主導権が誰にあるのかを、ルキウスははっきり示していた。
教室はあっという間にルキウスを称える空気に塗り替えられ、誰も逆らえない。
その中で、ルーシーはただ俯くことしかできなかった。




