三十六話 数少ない味方
ノイスが寮の部屋の前まで戻ると、扉の前でロウが何かをしていた。
「どうしたの、ロウ?」
声をかけると、ロウは肩を跳ねさせた。
慌てた様子で、扉に貼られた紙を必死に剥がしている。
「いや……間違えてノイスの部屋の扉にポスター貼っちまってさ!
今剥がすから待ってろ!」
ロウが剥がしていた紙には、乱暴な字が並んでいた。
『反逆者の弟子』
『学園から出ていけ』
何枚も、重ねて貼られている。
「……ロウ。気にしなくていいよ。
僕は大丈夫だから」
「うるせえ!」
ロウは振り返らない。
「これは……俺が間違えて貼ったって言ってんだろ!」
ビリビリと、乱暴に紙を剥がす。
力を込めすぎた指先が、赤くなっていた。
「……」
ノイスはそっと手をかざした。
――ピシュン
残っていた紙片が、淡い光とともに消えていく。
跡形もなく。
「ロウ、大丈夫だから」
静かな声。
ロウは、ようやく振り返る。
「こんなことで約束破るなよ」
真っ直ぐな目。
「俺らは一緒に卒業すんだからな!」
一瞬だけ、胸が温かくなる。
「うん」
ノイスは小さく笑った。
「わかってるよ」
そのまま、扉に手をかける。
部屋に入り、背中にロウの視線を感じながら扉を閉めた。
鍵をかける音だけが、やけに大きく響いた。
ベッドに腰を下ろす。
そのまま、ゆっくりと仰向けに倒れ込んだ。
天井を見つめる。
目を閉じると、さっきの光景が蘇る。
他の生徒たちの視線。
ひそひそとした囁き。
「……師匠。なにしてんのさ。
こっちの苦労も知らないでさ」
小さく、呟く。
魔法協会の施設を破壊? 反逆? それとも復讐?
あの山奥の小屋で、優しく魔法を教えてくれた人が。
理論を淡々と語りながら、甘いものを頬張っていた人が。
(本当にそんなことをするかな)
けれど。
焼け落ちた小屋。
そこに残っていた、複数の魔素の気配。
そして、資料室で見た禁忌の実験の記事。
――MCRの名。
何かが起きているのは間違いない。
「……」
胸の奥が、重い。
「それにしても、ルーシーとルキウスさんが婚約者か……」
ぽつりと零れる。
ルキウスさんは、すごい人だ。
絵に描いたような完璧な人で、魔法の実力もかなりのものだ。
婚約者としては、これ以上ない相手だろう。
でも――
震えていたルーシーの声。
師匠のことを話すときのルーシーは、あんなにも楽しそうなのに。
ルキウスさんといる時は、どこか辛そうに見えた。
考えれば考えるほど、胸がざわつく。
「ルーシーが誰と婚約しようと……
僕には関係ないはずなのに」
ノイスは不安を抱えたまま、浅い眠りへと落ちていった。
◇◇◇◇◇
翌朝。
寮の扉を開けた瞬間、空気の違いに気づいた。
ひそひそとした声。
わざと聞こえる距離で交わされる会話。
「あれが……」
「絶詠の魔女の……」
「反逆者め……」
ノイスは足を止めない。
視線が刺さる。
背中に、肩に、横顔に。
まるで品定めするような目。
(そうだろうと思ってたけど、いつもよりも敵意を感じるな)
教室の扉を開けると、視線が集まり、ざわめきが一瞬だけ止まった。
そしてまた、静かに波のように広がる。
ルーシーは、こちらに反応しなかった。
いつものように背筋を伸ばし、綺麗な姿勢で席に座っている。
けれど、その横顔はどこか硬かった。
ノイスは何も言わず、自分の席へ向かう。
椅子を引く音が、やけに大きい。
「ノイピ! 大丈夫?」
ユミナがいつもの調子で身を乗り出してくる。
「……平気よね? ノイス」
その後ろから、小さく呼んだのはミレイユだった。
「おはよう……ユミナ、ミレイユ」
ノイスは静かに答える。
ミレイユの声は、いつもより少しだけ慎重だ。
「まあ、その……気にするなって言うのも違うかもしれないけど」
言葉を選びながら続ける。
「あたしたちは、味方だから!」
ユミナも机に肘をつきながら割って入る。
「マジ最悪な空気だけどさ!
ノイピはノイピっしょ? 師匠がどうとか関係なくない?」
教室のざわめきに負けないくらい、はっきりと。
ノイスは、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「あはは、ありがとうね。
二人にまで気を使わせちゃって」
「気なんて使ってないし!」
ミレイユがむっとする。
「あたしたちだって、ノイスには感謝してるんだから。
何かあったら、ちゃんと言ってよ?」
「あーしもノイピの力になるっしょ!」
ユミナが親指を立てる。
教室の空気はまだ重いが、少しだけ楽になった。
そのとき――
ガラリ、と扉が開いた。
静まり返る教室。
入ってきたのは、スコルドだった。
腕を組み、いつも通り無駄のない立ち姿。
だが、表情はいつもより硬い。
「全員、席につけ」
低く、重い声。
ざわめきが一瞬で消える。
「これより緊急集会が行われることになった」
教室の空気が、はっきりと変わる。
――ざわざわ。
「鎮まれ」
低い声が、ざわめきを押し潰す。
「大講堂へ向かう。全員、私語を慎み、速やかに移動しろ」
スコルドの視線が、ほんの一瞬だけノイスに向く。
責めるでもない。
庇うでもない。
ただ、何かを確かめるような目。
椅子が引かれる音が、やけに重く響く。
足音が重なり、教室の外へ流れ出す。
廊下はすでに人で埋まっていた。
声は抑えられている。
だが、空気の緊張は隠せない。
ノイスは静かに立ち上がる。
(なんか嫌な予感がするな)
左右に、ミレイユとユミナが並んだ。
「きっと大丈夫だから」
ミレイユが囁く。
「あーしたちが、ついてるっしょ!」
ユミナが親指を立てる。
ノイスは小さく頷いた。
「……うん」
だが、その様子を見ていた周囲の視線が、またざわつき始める。
「絶詠の魔女の弟子……」
「ルキウス様の婚約者のルーシー・ウィンディに近づいてたくせに、今度は別の女と仲良さそうにしてるぞ」
「見境ないな」
「……最低」
ひそひそ声が、あえて聞こえるように投げられる。
ノイスは小さく息をついた。
(ありがたいけど……たぶん、逆効果かも)
ノイスは人の流れに乗り、大講堂へと歩き出した。




