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三十五話 学園の絶対的王者

 掲示板の記事が焼け落ち、黒い灰が広場に舞った。


 騒ぎ始める生徒たち。

 

 そしてその視線が、次第にノイスへと集まった。


「あ、あいつだ! あいつが絶詠の魔女の弟子だ!」

「魔女の弟子が、掲示板を燃やしたぞ!」

「この学園まで壊す気じゃないのか!?」


 ざわめきは、みるみる怒気へと変わっていく。


 逃げるように距離を取る生徒。

 恐怖に顔を引きつらせる生徒。

 そして、露骨な敵意を向ける生徒。


 無数の視線が、ノイスへ突き刺さる。


 まるで、見えない刃に囲まれているようだった。

 

 誰かが声を張り上げる。


「追い出せ! 追い出せ!」

「協会に引き渡せ!」

「あいつは危険だ!」


 怒号が重なり、波のように押し寄せる。


 逃げ道が、なくなる。


 ルーシーの顔から、さっと血の気が引いた。

 自分のしたことが、状況をさらに悪くしたのだと理解したのだ。


「そ、そんな……

 ノイスくんは何も……」


 ルーシーは咄嗟にノイスの前へ出た。


 震える指でフルートを握りしめながら、それでも群衆へ向かって声を張る。


「やめてください。

 今の魔法を使ったのは私です。

 ノイスくんは何もしていません!」


 しかし、騒ぎを抑えようとしたルーシーの叫びは、逆効果だった。


 ノイスに向けられていた怒りの矛先が、今度は彼を庇うルーシーへと向き始める。


「ちょっと待て……

 あの女、絶詠の魔女に少し似てないか……?」

「確かに、髪も雰囲気も……」

「きっとあの女も弟子だ!」

「二人まとめて学園から追い出せ!」


 群衆の熱が、さらに上がる。


「……いや、なんでそうなるの」


 ノイスは小さく呟く。


 けれど、その声は怒号にかき消された。


 理屈はもう通じない。


 誰かの不安が、別の誰かの恐怖を煽る。

 恐怖は次第に怒りへ変わり、その怒りはまた周囲へ伝染していく。


 気づけば、ノイスとルーシーは完全に輪の中心に立たされていた。


 四方から、生徒たちがじりじりと距離を詰めてくる。

 

「出ていけ! 出ていけ! 出ていけ!」


 逃げ場はない。


「……もうやめて」


 ルーシーの声は震えていた。


 俯き、ぎゅっとフルートを握りしめる。


 だが誰一人として、その言葉を聞こうとはしない。


 怒号がさらに高まろうとした、その時――


「何の騒ぎだ」


 低く、よく通る声。


 それだけで、空気が凍った。


 ざわめきがぴたりと止まる。


「ル、ルキウス様だ……」

「ファンフォルド家の……」

「きゃあああっ!

 ルキウス様、カッコいい!」


 人波が自然と左右に割れる。


 整った金髪。


 気品に満ちた表情。


 静かな威圧。


 視線が、一斉に彼へと集まる。


 ――ルキウス・ファンフォルド


 この学園一の実力者で、

 誰もが知る名家ファンフォルド家の次期当主。


 ノイスとルーシーを囲んでいた輪の中心へ、ルキウスはゆっくりと歩み出た。


 その瞳が、冷ややかに状況を見渡す。


「何の騒ぎだと聞いている」


 再度、淡々と告げる。


 前にいた生徒の一人が、慌てて答えた。


「あ、あそこにいる反逆者が……絶詠の魔女の弟子たちが、魔法を使って暴れていたんです!」


 生徒の視線が、ノイスとルーシーへ向く。


 ルーシーの肩が、びくりと揺れた。


「ル、ルキウス様……」


 申し訳なさそうに俯くルーシーを、ルキウスは一瞥する。


 そして、静かに言い放つ。

 

「皆、勘違いするな」


 その声に、揺らぎはない。


「あそこにいるルーシー・ウィンディ嬢は

 ――私の婚約者だ」


 ざわり、と空気が波打つ。


「こ、婚約者……?」


 ノイスは思わずルーシーを二度見した。


 ルーシーは気まずそうに視線を逸らす。


「それを絶詠の魔女の弟子などという根拠のない噂で貶めるとは、この私への侮辱と捉える」


 ルキウスの声が響く。


 先程まで騒いでいた生徒の顔が青ざめた。


「す、すみませんでした!

 ルキウス様!」

「そうだ……あの方はルキウス様の婚約者、ルーシー様だ!」

「誰だ、反逆者とか言い出したやつは!」


 今度は別の方向へとざわめきが広がる。


 だが騒ぎが再び膨らみかけた瞬間――


「もういい。鎮まれ」


 たった一言。


 それだけで、再び静寂が落ちた。


「それと皆を騒がせている掲示板の件だが、真偽は不明だ。

 学園側で事実確認を行う」

 

 よく通る声が広場に響く。


「それまでは、この件には触れるな。

 憶測で他者を断罪することは、この学園の誇りに反する」


 静かな威圧。


 誰も逆らえない。


 ざわめきは次第に沈んでいく。


「……わかりました、ルキウス様」

「さすがだ……」


「わかったのなら、皆も部活や寮に戻りたまえ。

 こんなことに時間を使うな」


 先ほどまで怒号を上げていた生徒たちが、まるで統制された軍のように引いていく。


 広場の熱は、嘘のように冷めていた。


 残されたのは、ノイスとルーシー、そしてルキウス。


 ルキウスの視線が、ゆっくりとノイスへ向く。


 冷静で、穏やかで――そして距離のある目。


「君は……ノイス君だったね」


 柔らかな声音。


「根も葉もない噂で、君も大変だな」


 ノイスを気遣うような言い方。


「いえ、助かりました。ルキウスさん」


 ノイスは安堵したように、軽く頭を下げる。


 ルキウスは穏やかに微笑む。


「君のためではない。

 私としても、婚約者であるルーシーが非難されるのは看過できないからな」


 さらりと言う。


「婚約者……」


 ノイスは小さく繰り返す。


「ルキウスさんがルーシーの婚約者だったなんて、知りませんでした」


 ノイスはちらりとルーシーを見る。


「その……ルキウス様は、

 親同士が決めた許嫁……なんです」


 いつもの明るさはなく、どこか歯切れが悪い。


「そんな他人行儀な言い方はよしてくれ。

 二人の時くらい、もっと気楽にしていい」


(二人って……僕もいるんだけどな)


 ノイスが内心でそう呟く間に、

 ルキウスはゆっくりとルーシーの頭へ手を伸ばした。


 銀髪を撫でる指先は、丁寧で優しい。


 だが、その手つきはどこか一方的で――

 まるで、可愛がっているペットに触れるようにも見えた。


「……申し訳ありませんでした、ルキウス様」


 ルーシーは小さく頭を下げ、そっとその手から距離を取る。


「お手間をおかけしました」


 丁寧な言葉。


 だが、声にはわずかな硬さが滲む。


 ルキウスの眉が、ほんのわずかに動いたように見えた。


 だが、その感情の揺らぎは表情に残らない。


 彼の顔にはもう、

 いつもの完璧な笑みが浮かんでいた。


「気にすることはない。君と私の仲だ」


 そして、その視線がゆっくりとノイスへ移る。


 先ほどの柔らかさは、消えている。


「さて――」


 一歩、距離を詰める。


「もし、絶詠の魔女による魔法協会への反逆が事実なら、

 弟子である君は、この学園での居場所を失うだろう」


 声音は冷静だ。


「君自身がどう見られるかはともかく、君と行動を共にすることで、再びルーシーに疑いの目が向けられる可能性がある」


 わずかに目を細める。


「それは、避けるべきだと思わないか?」


 ゆっくりと、ノイスを見下ろす。


「――絶詠の魔女の弟子、ノイス・ノーチラス」


 その呼び方は、少し冷たかった。


「ルキウス様! 絶詠の魔女様は――」


 ルーシーが堪えきれずに口を開くが、


「今は――」


 ルキウスの声が、低く割って入った。

 

 穏やかな口調のまま、反論を許さない圧があった。


「今は、ノイス君と話している」


 一瞬だけ、ルーシーを見る。


「わかるね? ルーシー」


 その目は穏やかだった。


 だが、その実、拒否権はない。


 広場の空気が張り詰める。


 そして、視線は再びノイスへと戻る。


「私はルーシーを危険に晒したくないだけなんだ。

 せめて、真相がはっきりするまでは距離を置くべきだと思うが……違うか?」


 理性的な口調だった。


「僕は……」


 ノイスは、気まずそうに身を縮めているルーシーを横目に見て言葉を飲み込む。


「……わかりました。

 騒ぎが収まるまでは、ルーシーとは距離を置きます」


 ルーシーは勢いよくノイスを見上げた。


「そ、そんな……私はそんなの気にしないのに――」


 ルキウスはルーシーの言葉を遮るように頷いた。


「ありがとう。

 理解が早くて助かる」


 穏やかな笑みを浮かべ、ルキウスは小さく頭を下げた。


「……ノ、ノイスくん」


 ルーシーの声が、小さく揺れる。


 ノイスは振り返らず、そのまま寮へと歩き去った。

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