三十四話 絶詠の魔女の本性
ガーナウス攻防戦の記事を見つけた二人は、食い入るように紙面を追った。
そこに記されていたのは、英雄として称えられる絶詠の魔女の姿だった。
『圧倒的勝利。街は守られた』
大きな見出しには、そう記されている。
魔族の大規模侵攻。
壊滅寸前だったガーナウス地方。
そして、魔法協会から派遣された絶詠の魔女による圧倒的な制圧。
記事の内容は、どこまでも輝かしいものだった。
「……やはり、被害者数については曖昧ですね」
ルーシーが小さく呟く。
記事には“被害は最小限”としか書かれていない。
具体的な人数はない。
もちろん、被害者の名前も。
ルーシーの表情が、わずかに曇る。
「私も、街は問題なく守られたと記憶していました」
「……狂素病の記述は?」
ノイスの問いに、ルーシーは紙面を隅々まで確認する。
やがて、静かに首を振った。
「ありません」
はっきりとした声だった。
「少なくとも、この記事には一切」
静かな空気が、二人の間に降りる。
ページをめくる音だけが、やけに大きく響く。
そして――
見出しが、唐突に変わった。
『絶詠の魔女、禁忌を冒し、魔法協会追放』
「禁忌を冒し……?」
ノイスの指が、記事の上で止まる。
だが、その先の文章は驚くほど短い。
“協会の規定に反する重大な行為が確認されたため、永久追放処分とする”
理由の詳細は、記されていない。
「当時、私も子供ながらに衝撃を受けました」
ルーシーの声は、わずかに硬い。
「禁忌に触れた、とだけ報じられて……。どんなに調べても、これ以上の情報は出てこないんです」
新聞の紙面は、そこで終わっている。
まるで、それ以上は触れてはならないとでも言うように。
資料室の空気が、重く沈んだ。
「……そう」
ノイスはゆっくりと新聞から視線を外す。
「……結局、肝心なことはわからなかったね」
今まで知らなかった、若い頃の師匠の功績や活躍を知ることはできた。
だが、本当に知りたかった真相は分からずじまいだった。
「私は……」
ルーシーがぎゅっと新聞を抱きしめる。
「絶詠の魔女様のご活躍や、昔のお写真をノイスくんと一緒に拝見できただけでも、すごく楽しかったです!」
両手を胸の前で握り、身を乗り出す。
「そうだね。師匠の若い頃も知れたしね。
今日は付き合ってくれてありがとう」
ルーシーは少し照れたように俯いた。
小さく揺れる銀色の髪。
ほんのり赤くなった頬。
その姿を見て、ノイスは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
昨日の件から、ずっと心が落ち着かなかった。
師匠のことも、ミリアのことも、考えても分からないことばかり。
それでも――
(……ルーシーといると、少し落ち着くな)
照れたように新聞を抱きしめるルーシーの姿は、いつにも増して可愛らしく見えた。
ノイスは小さく息を吐いた。
「まあ、今日はここまでかな」
ノイスが広げていた新聞束を棚へ戻しかけた、その時だった。
隙間に、他の資料とは明らかに違う一冊が挟まっていた。
埃をかぶった、古びた冊子。
表紙は擦り切れ、文字もほとんど読めない。
だが。
かろうじて残ったインク。
――絶詠の魔女。
かすれた文字は、そう読めた。
「……なんだろう、これ」
ノイスが手を伸ばす。
触れた瞬間、指先にざらりとした感触。
公式の装丁ではない。
もっと私的で、正式な記録とは思えない――
「日記……ですかね?」
ルーシーの声が、かすれる。
ノイスは埃を払い、古びた冊子を開いた。
ぱらり、と乾いた音が鳴る。
中身は雑多な紙の切れ端を、無造作に綴じたもの。
タイトルらしき走り書き。
『絶詠の魔女――禁忌の真相』
「……これ、正式な資料じゃなさそうだね」
紙は粗悪で、綴じ方も雑だ。
文字は荒く、偏った書き方で感情的。
まるで誰かが私怨混じりに書き殴ったような筆致だった。
ノイスは一行ずつ、慎重に目を追う。
“絶詠の魔女の禁忌は、人体そのものを書き換える術である”
“魔素構成の改変実験は、協会の目を盗んで進められていた”
“その実験は非人道的であり、多くの被験者を犠牲にした可能性がある”
ルーシーが息を呑む。
「……そんな」
さらに読み進める。
その目的は、“人類の革新”
ノイスの指が止まる。
「人類の革新……?
話が飛躍しすぎてる」
ページの端は破れ、肝心な部分が欠けている。
だが、続きは辛うじて読めた。
“魔法協会はその研究を禁忌と断じ、データの破棄を命じた”
“しかし絶詠の魔女は研究資料を持ち去り、協会を離脱した”
そして最後に、震えるような文字で書かれていた。
“Mage Control Regiment”(メイジ・コントロール・レジメント)は、この技術を引き継いでいる”
沈黙。
資料室の空気が、ひどく重くなる。
「なんですか、これは!」
ルーシーが思わず声を荒げる。
「ノイスくん、全部嘘に決まっています!
署名もない、出所不明の怪文書です!」
だが――
ノイスの思考は、別のところで止まっていた。
「Mage Control Regiment……」
低く呟く。
「MCR……」
その略称に、確かな記憶がある。
――自分を狙ってきた、あの組織。
「ノイスくん、何か知っているんですか?」
一瞬だけ、沈黙。
頭に思い浮かぶ黒い装束の男たち。
狙われた自分。
ノイスはゆっくりと冊子を閉じた。
「……いや」
ノイスは一拍遅れて首を振った。
「なんでもないよ」
「でも、今――」
「たまたま聞いたことある名前に似てただけだよ」
できるだけ自然に言う。
「なら……いいんですけど」
二人は資料室を出る。
だがノイスの頭の中では、“MCR”という文字が消えない。
廊下に出た瞬間――
ざわつき。
普段より明らかに人の声が多い。
「なんか……騒がしくない?」
ノイスの問いに、ルーシーは首を傾げる。
遠くで誰かが叫ぶ。
「絶詠の魔女がやったらしいぞ!」
「協会に復讐し始めたんだってよ!」
「次はどこが狙われるんだ……?」
ノイスの足が止まる。
その時。
「おい! ノイス!」
廊下の向こうから、ロウが走ってくる。
珍しく焦った顔。
「お前、こんなとこで何してんだよ!」
ロウは息を切らしている。
「ロウ。そんなに慌ててどうしたの?」
「どうしたもこうしたもねぇよ!」
息を切らしながら、ロウは親指で後ろを指す。
「とりあえず、中央掲示板を見にいくぞ!」
ノイスとルーシーは顔を見合わせ、そのまま中央広場へと急いだ。
広場にはすでに人だかりができている。
ざわめきが渦を巻いていた。
「魔法協会の施設が一つ、丸ごと吹き飛んだってさ!」
「都市部だぞ……どうなってんだ」
人混みの隙間から、ようやく掲示板が見える。
そこに大きく貼られていたのは、協会から出ていた緊急通達の記事。
“魔法協会第七研究施設、爆破される。
絶詠の魔女の関与を調査中”
ルーシーが息を呑む。
「え……」
「犯人は――絶詠の魔女だってよ」
「ちょっと待てよ。
確か……絶詠の魔女の弟子が学園にいたよな……」
「1-Aの、大人しそうで眼鏡をかけた――」
周囲の視線が一斉にノイスへ向く。
ひそひそ声。
わずかに開く距離。
空気が、目に見えるほど変わる。
「皆さん!
何を言っているんですか!」
ルーシーが前に出て、声を荒げた。
「こんなのが、事実なわけありません!
誰がこんなものを――!」
「ルーシー、落ち着いて」
だが彼女はフルートを握り締める。
「絶詠の魔女様の名を穢すなんて……
ノイスくんが今どんな気持ちでいるのか知らずに」
ルーシーの肩が、小さく震えた。
フルートを握る指先に、白く力がこもる。
「大丈夫だから……ルーシー」
ノイスの言葉を遮るように、
怒りに震えるような、鋭い一音が広場に響いた。
「《ファイヤー・スパロー》!」
小さな炎鳥が掲示板へと飛び、記事を焼き払う。
紙が焦げ、黒い灰が舞い上がる。
「うわっ、あちい!」
「誰だ! こんな人混みで魔法使ったのは!」
ざわめきが怒号に変わる。
「……ああ」
ノイスは小さく目を伏せた。
「……やっちゃったな」
灰がひらひらと舞い落ちる。
広場は一気に騒然となり、焦げた紙の匂いがあたりに広がった。




