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三十三話 若き頃の魔女

 放課後。


 夕陽が校舎の窓を橙色に染めていた。


 ノイスとルーシーは並んで廊下を歩いている。


 昼間よりも人は少なく、足音だけが静かに響く。


「資料室は、旧校舎側の三階です」


 ルーシーが小さな声で案内する。


「ここ、利用する人が少ないみたいなんです。

 古い新聞や卒業記録は、あまり人気がないようで」


「そうなんだ」


 ノイスは短く返す。


 しばらく沈黙。


 やがて、ルーシーがそっと口を開いた。


「やはり落ち着きませんか?」


「まあ、師匠のことが気にならないと言えば、嘘になるかな」


 ノイスは昨日の光景を思い出す。


「ノイスくん……

 大丈夫ですよ。絶詠の魔女様なんですから!」


 その言葉に、ノイスは小さく頷いた。


 ルーシーに促されるまま、旧校舎へと足を踏み入れる。


 軋む木の床。


 長い廊下の突き当たりに、重厚な木製の扉。


 金色のプレートには、


 ――資料室


 と刻まれている。


 ルーシーが扉に手をかける。


「開けますね」


 ゆっくりと押す。


 ――ぎい、と静かな音。


 中は薄暗く、古い紙の匂いが満ちていた。


 本棚が天井近くまで続き、年代ごとに区分けされた新聞束や記録箱が整然と収められている。


 窓から差し込む夕陽が、埃をきらきらと浮かび上がらせる。


「絶詠の魔女様が学園に在籍していたのは、十五年ほど前です」


 ルーシーが棚を指さす。


「卒業アルバムと、当時の記事はこの辺りみたいですね」


 ノイスは棚の一冊を引き抜く。


 厚い革表紙。


 金の文字で刻まれた年度。


 ページをめくる指が、わずかに強ばる。


「……」


 そこに写っていたのは――


 今とは印象が違う、幼い顔の少女。


 金色の長い髪を高い位置で結んだツインテール。


 無表情だが、どこか凛とした雰囲気を纏っている。


 写真の下には名前。


 ――アリス・ノーチラス。


 その横に、小さく刻まれた称号。


 “首席卒業”


 ノイスの喉が、わずかに鳴った。


 その次のページには、丁寧に貼られた新聞の切り抜き。


 見出し。


『若き天才魔法使い誕生。学園始まって以来の秀才』


「ああ……若かりし頃の絶詠の魔女様も麗しい……」


 うっとりと呟くルーシー。


「師匠って、やっぱりすごかったんだね……」


 ノイスは写真から目が離せない。


「それにしても、若い頃の師匠って、なんだかルーシーに似てるね」


「め、滅相もございません!

 私が勝手に真似しているだけなんです」


 ぶんぶんと首を振る。


「髪型も、魔法のスタイルも……

 活躍されていた頃の絶詠の魔女様を参考にしているんです……」


 そう言って、ルーシーはフルートを大事そうに握りしめた。


「そうだったんだ」


 ノイスは少しだけ微笑む。


「本当に師匠のことが、好きなんだね」


「当たり前です!」


 胸を張るルーシー。


 そんなルーシーとのいつものやり取りが、

 今のノイスには、少しだけ心地よかった。


 ノイスはアルバムへ視線を戻し、さらにページをめくる。


 次に現れた記事の見出しは、より大きな文字で書かれていた。


『快挙! 魔族を一掃。魔法使いの時代、到来』


 記事にはこう記されている。


 これまで冒険者の後衛として支援に回ることの多かった魔法使い。


 その在り方を根底から変えたのが、


 アリス・ノーチラスという一人の天才だった、と。


「絶詠の魔女様の活躍で、魔法使いという職そのものの評価が大きく変わったんです」


 ルーシーが静かに解説する。


「魔法発動の素早さ、広範囲魔法による制圧力。

 そして……溢れんばかりのカリスマ性」


「カリスマ性ね……

 でも、この辺りからなんだ」


 ノイスが記事の端を指でなぞる。


「“絶詠の魔女”って、呼ばれ始めたのは」

 

 在学中から、その異名は広まりつつあった。


 詠唱の気配すら見せず、誰よりも速く魔法を放つ。

 誰よりも強く。

 今までの常識を逸脱した存在。


 ――絶詠の魔女。


 ページの文字が、どこか遠い世界のもののように感じられる。


『学園始まって以来の天才は、名もない村の出身』


「……師匠って、アスカナティア魔法学園に通ってたけど、出身は地方なんだね」


「そこが魅力的なところのひとつなんです!

 絶詠の魔女様は魔法の名家ではなく、魔法適正を持つ人がほとんどいない小さな村の出身なんですよ!」


 ルーシーは待っていたと言わんばかりに熱っぽく語る。


「名家の出ではないのに、

 そこから一気に駆け上がったんです!

 誰も寄せ付けず、魔法界の頂きまで……」


 ノイスは写真の少女をじっと見つめた。


「そうだったんだ」


「もっと在学中のことも知りたかったのですが、学園での記録はこの辺りまでですね」


 ルーシーがページを指でなぞる。


「他にも、学園の不良グループを一瞬で制圧したとか、学園の規律を無視して単独で魔族討伐に出たとか……」


「……ああ、それはありそう」


 ノイスが小さく笑う。


「若い頃の師匠は、少し無茶をする人だったのかもね」


「いえ、正義感が強すぎただけです!」


 即答。


(正義感……なのかな?)


 二人は顔を見合わせ、わずかに笑う。


「こちらには、卒業後のご活躍が載っている新聞がまとめてあります」


 ルーシーは奥の棚から、古ぼけた新聞の切り抜き束を抱えて戻ってきた。


 年代ごとに紐でまとめられている。


「師匠個人の記事というより……魔法使い全体の記事や、卒業生の活躍をまとめたものみたいだね」


 ノイスはその束を受け取り、静かに机へ広げる。


「絶詠の魔女様ほどの存在ですから、必ず名前が出ているはずです」


 古びた新聞を一枚ずつ広げていく。


 インクは少し滲み、紙は黄ばんでいる。


 だが、見出しの文字だけは、今もなお力強かった。


『首席卒業の才女、魔法協会へ正式入会』


「これは……卒業してすぐだね」


 ノイスが日付を確認する。


「魔法協会の特別推薦枠です。

 エリートのみが許される昇格コースですね」


 ルーシーが小さく頷く。


 次の記事。


『新人魔法使い、単独で魔族群を殲滅』


 さらに次。


『北方国境線にて功績。史上最速で一等級魔法使いへ昇格』


「……史上最速ね」


 ノイスが呟く。


 記事には、詠唱を必要としない魔法運用、魔導操作による圧倒的な制圧力、そして前線における被害の大幅減少が記されていた。


 ノイスは記事の写真を見る。


 まだ若いアリス・ノーチラス。


 無表情のまま、焼けた大地の前に立つ若き魔法使い。


「……師匠、こんな場所で戦ってたんだ」


 ノイスが小さく呟く。


 ルーシーは別の記事を指さした。


「こちらには、人柄についても書かれています」


 紙面の一部を読み上げる。


「“非常に合理的で冷静沈着。しかし市民への対応は丁寧で、救われた人々からの支持も厚い”――だそうです」


 さらに別の切り抜き。


「その実力に加え、端正な容姿も相まって、一時は“絶詠の魔女ブーム”とまで呼ばれたとか」


「ブーム……」


 ノイスは少しだけ苦笑する。


「今では、考えられないね」


 静かな資料室の中で、紙の擦れる音だけが響く。


 英雄として称えられていた時代。


 その輝きが、今の状況とあまりにもかけ離れている。


 ノイスは、写真の中の少女をもう一度見つめた。


 ――この人が、本当に。


 胸の奥に、言葉にならない違和感が広がる。


「あ! 私、これ持ってました!」


 突然、ルーシーが声を弾ませる。


 記事の端に載っていた小さな広告を指差す。


 “絶詠の魔女 記念像発売”


「1/10サイズの公式置物です!」


「……こ、公式?」


「当時、すごく人気だったんですよ!

 欲しくて欲しくておねだりしちゃいました!」


 目を輝かせる。


「こんなものまで……」


 ノイスは苦笑する。


「師匠はこういうの、嫌いそうだけど」


 写真の無表情を思い出す。


「でも、当時は案外、本人も乗り気だったのかな」


 次の記事。


『ガーナウス地方へ緊急派遣』


 紙面は大きく割かれている。


 魔族の大規模侵攻。


 都市壊滅の危機。


 魔法協会が送り込んだ切り札――


 絶詠の魔女。


「ガーナウス地方……」


 ノイスの声が、わずかに沈む。


(ここが、ミリア先輩の故郷……)


 隣で、ルーシーも表情を引き締めた。


「……ガーナウス攻防戦の記事ですね」


 ノイスの喉が、無意識に鳴る。

 

 二人は無言のまま、顔を寄せるようにして――

 食い入るように記事を読み始めた。

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