二十七話 放課後の密会
男子寮の廊下は、思っていた以上に静かだった。
窓の外では夕陽が沈みかけ、長く伸びた影が床に落ちている。
遠くから、誰かの話し声がかすかに聞こえた。
ノイスは足音を殺しながら、廊下の角を確認する。
「……はぁ。本当についてきちゃうなんて」
背後では、ミリアがいつになく身を小さくしていた。
「あはは……男子寮の中ってこうなってるんだね」
藍色の瞳を落ち着きなく揺らしながら、
きょろきょろと辺りを見回していた。
「なんかさ……」
ミリアが、声を潜める。
「少し悪いことしてるみたいで、ドキドキするね」
「実際、悪いことしてますから」
ノイスは小さくため息をついた。
「知らないですよ。
勝手についてきたのは先輩の方ですから。
つまり、悪いことしてるのはミリア先輩だけです」
「えー! なにそれ!」
思わず声が大きくなる。
「ちょっと……静かにしてください」
すぐさまノイスが振り返る。
「本当にバレちゃいますから」
遠くで扉の開く音がした。
二人は反射的に壁際に身を寄せる。
足音が通り過ぎ、静寂が戻る。
「もしバレたらさ、“女子の先輩を部屋に連れ込んだ不届き者”ってことになるね」
ミリアが小声で囁いた。
「……全く意味が分かりません」
「えー?
それって、僕には女の子としての魅力がないってこと?」
くい、と冗談ぽくさらに距離を詰めてくる。
「……そんなこと、ないですよ」
「……えっ」
ミリアが固まった。
「そ、その……そこを否定されるとさ……
僕に女の子としての魅力があるって……ことになっちゃうけど」
さっきまでの軽い調子が少しだけ崩れる。
ミリアは気まずそうに視線を逸して、落ち着かない様子で指先をもじもじと絡めた。
頬をわずかに染め、視線を揺らすミリアの表情から、
なぜかノイスは、目が離せなかった。
廊下は静かで、自分の鼓動だけがやけに大きく響いている気がする。
ミリアがそっと目を上げると、視線がぶつかった。
「ねえ……」
少しだけ熱を帯びた声。
「そんなに見つめられると……
僕だって、恥ずかしいよ……」
「す、すみません……」
ノイスは慌てて視線を逸らす。
気まずく、妙に落ち着かない空気のまま、
二人は男子寮の廊下を進んでいった。
そして、誰にも見つからずに部屋の前に到着する。
「……ここです」
鍵を差し込む音が、やけに大きく響いた。
カチリ、と解錠の音がした――その瞬間。
「ちょっと……ノイス君、誰か来るよ!」
ミリアが小さく息を呑む。
こちらに近付いてくる笑い声がした。
ミリアは慌てて、ノイスの背をぐいと押した。
「ちょっ――」
そのまま二人まとめて、部屋の中へなだれ込む。
――バタン。
扉が閉まる。
勢いのまま床へ倒れ込んだノイスの上に、
ミリアが覆いかぶさるような形で乗っていた。
制服越しに、ミリアの体温と柔らかな感触が伝わってくる。
この状況は、かなりまずい。
ここは、他の誰の目も届かない自室。
密着した状態で、二人きり。
しかもミリアは、ノイスの上で固まったまま動かない。
「ミリア先輩……その、さすがにこれは……」
意を決して声をかける。
「……ノイス君」
返ってきた声は、いつものような勢いがない。
妙に大人しく、どこか熱を帯びているように聞こえた。
「あの……僕は、そういうつもりは――」
「すごいよ……
すごいよ! ノイス君!
見たこともない魔道具がこんなにっ!」
ノイスが視線を向けると、ミリアはすでに目を輝かせながら、部屋の隅々まで見回していた。
その視線の先には――
棚に整然と並べられた魔石。
壁面に掛けられた自作の魔道具。
床際に置かれた、用途の分かりづらい工具。
ノイスにとっては、普段から見慣れた自分の部屋だ。
けれど、改めて見れば――
そこは学生の私室というには、あまりにも魔道具に埋め尽くされていた。
「これって……もしかしてさ」
ミリアは目を大きく見開く。
「全部……自作?」
「はい。趣味で作ってただけですが」
「いやいやいや」
ミリアはすぐに立ち上がり、
部屋の中央でくるりと回る。
「趣味なんてもんじゃないよ!
生活空間そのものが魔道具だもん!」
さっきまでの照れはどこへやら。
目がきらきらと輝いている。
「あれもこれも?」
ところ構わずに手に取るミリア。
「あんまり散らかさないでください」
壁際の装置に触れる。
「ねえ! これは何の魔道具?」
「《空気・調和機・十四号》です。
風魔法を基礎に、炎で温風、水で湿度を調整します」
装置の裏を覗き込む。
「さすがにちょっと引くよ」
「勝手に来て、勝手に引かないでください」
次の魔道具へ移動。
「こっちは? 見た目ちょっと武器っぽいけど」
「違いますよ。《瞬間換装具・五号》です。制服を内部にセットして一瞬で着替えます」
「えっ!? どういう仕組み? 解体していい?」
「構いませんよ。それは失敗作です」
「失敗?」
「圧縮したシャツがシワだらけになりました」
「悩みが高次元すぎて頭痛くなってきた……」
その後もミリアは、しばらくあちこちの魔道具を手に取っていた。
一通り見終えると、満足したように息を吐き、
そのままノイスのベッドへ倒れ込んだ。
「ちょっと先輩。
人のベッドに寝転ばないでくださいよ」
ミリアは天井を見上げたまま、ぽつりと呟く。
「ノイス君の魔道具、触ってみて分かったよ」
真顔になる。
「前から思ってたけど……君、ただもんじゃないね」
「……僕は、ただ魔道具を作るのが好きなだけで――」
「これは、一生徒が作れる領域を完全に超えてるよ」
短い沈黙。
ノイスは何も言わない。
ミリアは、にやりと笑った。
「まあ、僕も負けてないけどね!」
勢いよく立ち上がる。
「明日は僕の魔道具、見に来てよ」
少しだけ間を置く。
「……話したいこともあるしさ」
「わかりました」
ノイスが頷くと、ミリアは満足そうに笑った。
「今日は……お邪魔したね」
扉へ向かいながら振り返る。
「あんまり遅くなると、本当に誰かに見つかっちゃいそうだし……
今日は帰ることにするよ」
少しだけ間を置いて、にやっと笑う。
「それに、これ以上一緒にいたら……
ノイス君が変なこと考えそうだしね?」
軽い調子で部屋を出ていくミリア。
扉がゆっくりと閉まる。
足音はすぐに遠ざかり、男子寮は元の静寂を取り戻した。
「変なことってなんのことですか……まったく」
ノイスはしばらく、そのまま立っていた。
(……思ったよりあっさり帰った。
見つかっていなければいいけど)
部屋はさっきと何も変わっていないはずなのに、妙に広く感じた。
机の上の工具も、壁際の魔導盤も、空気調和機の静かな駆動音も、全部いつも通りだ。
それなのに――
(……静かだな)
騒がしかったぶん、余計に静かに感じる。
ノイスは無意識に、ベッドへ視線を向ける。
さっきまでミリアが転がっていた場所。
わずかに乱れたシーツが、その気配を残している。
「……」
ノイスは小さく息を吐いた。
(明日は、先輩の魔道具か)
胸の奥がざわつく。
(……なんだか、嫌な予感がする)
楽しみな反面、言葉にしにくい嫌な予感もする。
机へと視線を移す。
《自立型魔道具》試作機の設計図。
ミリアの書き込みはどれも、出力を求めるものばかりだった。
紙の上からでも、強い戦闘への執着が滲み出ている。
ノイスは指先で、その赤線をなぞった。
その夜は、珍しくうまく寝付けなかった。




