二話 放課後の襲撃
教室のあちこちから、息を呑む音が漏れる。
「“絶詠の魔女”って……あの?」
「まさかな。冗談だろ?」
「……あれ? みんな、知ってるの?」
「何言ってんだ……お前」
思わず声を上げたのは、荒っぽい赤髪の生徒ロウだった。
「“絶詠の魔女”って言ったら、禁忌に触れて追放されたって噂の魔女だぞ?」
「え? 禁忌に触れた?
なにそれ?」
(あ……でも師匠なら、禁忌のひとつやふたつ触れてそうか)
周囲の空気は、完全に変わっていた。
戸惑いと警戒、そして好奇心の入り混じった眼差しが、ノイスへと集まっている。
「……馬鹿な」
低く吐き捨てるように、クレインが呟く。
「あの“絶詠の魔女”に魔法を教わった?
そんな話が本当であるはずがない」
冷たい視線が、ノイスを射抜く。
「下劣な庶民が、注目を浴びたいがために吐いた虚言だろう」
(いや、むしろ目立ちたくないんだけどな……)
クレインは一歩、前に出た。
「入学初日から、私より目立とうとするとは……
実に不愉快だ」
口元を歪め、はっきりと言い放つ。
(この人、目立ちたいんだな)
教室の空気は、張り詰めたままだった。
クレインの視線は、今もなおノイスを射抜くように注がれている。
その視線を真正面から浴びながら、ノイスは居心地悪そうに身を縮めた。
(……なんで、こんなことになってるんだろ)
「本当だと言うなら、証明してみせろ!
どんな魔法を使うんだ? ほら見せてみろ!」
「――そこまでだ」
低く、重たい声が教室に落ちた。
全員の視線が、一斉に担任教師へと向く。
顔に大きな火傷痕を刻んだ男――スコルドが、腕を組んだまま立っていた。
「入学初日から手間をかけさせるな」
クレインが、不満を隠そうともせずに口を開く。
「しかし先生。
“絶詠の魔女”の弟子を名乗る愚か者ですよ。
この庶民には相応の――」
「黙れ」
短く、鋭い一言だった。
「今ここで騒ぎ続けるというなら――
俺が相手になろう」
スコルドの周囲に漂う魔素が、じわりと熱を帯びた。
ぴくり、とクレインの肩が揺れた。
「……失礼しました」
歯を食いしばるようにして、クレインは一歩引いた。
「まあ、別にいいでしょう。
いずれ、化けの皮は剥がれることですし」
そう言い捨て、席に戻る。
(助かった……のかな)
ノイスは、そっと息を吐いた。
平穏に過ごしたいだけなのに、初日からこれだ。
その後も学園の説明は続いたが、ノイスの頭にはほとんど入ってこなかった。
そして、休み時間。
「ねえ、本当に“絶詠の魔女”の弟子なの?」
「絶詠って、詠唱しないって本当か?」
「やっぱり怖い人なの?」
「三百年は生きてるって聞いたけど……本当なの?」
(いや、師匠をなんだと思ってるんだよ)
気づけば、ノイスの席の周りには人だかりができていた。
「え、えっと……」
次々と投げかけられる質問。
好奇心、疑念、そして噂話を確かめるような視線。
どれも、ノイスにとっては苦手なものばかりだった。
(……無理だ。騒がし過ぎる。
きっと何言っても面倒なことになる)
ノイスはそれ以上何も言わず、椅子から立ち上がる。
人混みを縫うようにして、足早に教室を後にした。
「あ、ちょっと――」
「ねえ! どこ行くの?」
背後から声が飛んできたが、聞こえないふりをした。
目指す先は、一つしかない。
――トイレ。
扉を閉め、個室に入ると、ようやく一人になれた。
「……はぁ」
小さく、ため息をつく。
入学して、まだ半日も経っていない。
それなのに、すでに神経が擦り切れそうだった。
「入学早々、悪目立ちしちゃったなあ……
師匠の名前なんて出すんじゃなかった」
平穏な学園生活。
その理想は、どうやら初日から大きく揺らいでいるらしい。
その後のノイスは、休み時間になるたびにすぐ席を立ち、チャイムが鳴る直前に戻ることを繰り返した。
とにかく、誰にも話しかけられないように。
⸻
放課後。
生徒たちがそれぞれ帰路や部活見学へ向かう中、
ノイスは一目散に寮の自室へ向かっていた。
「――おい」
背後から、低い声がかかる。
振り向いた瞬間、逃げ道を塞ぐように数人が立ちはだかった。
先頭にいたのは、クレインだった。
「はあ、はあ……
逃げるように教室から消えるとは、でかい口を叩く割に臆病じゃないか」
クレインは走って追ってきたのか、息を切らしている。
「田舎者に、礼儀というものを教えてやる必要がある」
(……わざわざ走って追いかけてきたのか)
ノイスは小さく肩を落とした。
「別に、喧嘩したいわけじゃないんだけど……」
「黙れ。よくも恥をかかせたな」
(完全に濡れ衣だ)
取り巻きの一人が一歩前に出る。
「クレイン様に無礼を働いたんだ。
少し痛い目を見れば、身の程も分かるだろう?」
数人が同時に杖を構える。
(……まずいな。完全に囲まれてる)
ノイスは内心でため息をつきながら、ゆっくりと構えた。
「今さら命乞いしても遅いぞ!
業火の炎よ、我が意思により――」
(……ん? 詠唱?
なんのために?)
「放たれよ!《ファイヤー・ボール》!」
詠唱とともに、炎弾が放たれる。
だが――
それはノイスに触れる前に、
霧が晴れるように、ふっと消えた。
「……は?」
続けて放たれた風刃も、水矢も、
同じように途中で霧散する。
「な、なんだ……?」
「魔法が……消えた?」
取り巻きたちがざわめく。
ノイスは首を傾げた。
「えっと……
そんなに大げさに詠唱したら、魔法を使うって丸分かりじゃないか」
「な、何を言っている!」
クレインが声を荒げる。
「それに――」
ノイスは少し考えてから、続けた。
「手加減するにしても、さすがに威力を下げすぎじゃないかな?
それじゃ、蟻一匹倒せないよ」
「き、貴様……!
何を言っている? どうやって防いだんだ!」
「不意打ちに備えて、魔素は常に展開しておくものでしょ?」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……は?」
「僕も小さい頃は、師匠によく不意打ちで魔法を喰らってさ。
何度も酷い目に遭ったからね」
あっさりとした口調だった。
「それ以来、何もない時でも魔素は張っておくようにしてるんだ」
「魔素を……張る?
で、出鱈目を言うな!」
クレインが叫ぶ。
「そんなことをしていたら、魔素がいくらあっても――」
その時だった。
「先生! あそこです!」
澄んだ、よく通る声が響く。
銀色の髪を揺らしながら、一人の少女が駆けてきた。
その後ろには、教師の姿がある。
「……っ!」
クレインが舌打ちする。
「くそ! 今日はここまでだ」
そう吐き捨て、取り巻きたちに合図する。
「命拾いしたな、田舎者」
そう言い捨てて、彼らは素早くその場を離れていった。
後を追うように、教師も駆けていく。
取り残されたノイスは、しばらく呆然と立ち尽くし――
「……はぁ」
深く息を吐いた。
(やっぱり、平穏って遠いなあ)
そんなことを思いながら、
ノイスはゆっくりと杖を下ろした。
「……大丈夫ですか?」
控えめで、それでいて不思議とよく通る声だった。
ノイスが顔を向けると、そこには銀色の髪を左右で可愛らしく結んだ少女が立っていた。
白い肌に、整った顔立ち。
大きな瞳にはどこか幼さが残っていて、上品さと愛らしさが同居している。
少し息を切らし、胸に手を当てながら、その少女はじっとノイスを見つめていた。
「え、あ……うん。大丈夫だけど」
やたらと距離が近い。
――いや、近すぎる。
反射的にそう答えると、少女はほっとしたように息を吐いた。
「はあ……よかったです」
それから、少し間を置いて続ける。
「入学早々、嫌な人たちに目をつけられてしまいましたね」
「君は……?」
ノイスが問いかけると、少女は一瞬だけ姿勢を正した。
「申し遅れました。
ノイス様と同じく、1-Aのルーシーと申します」
「ど、どうも……って、ノイス様?」
思わず聞き返す。
(今、確かに“ノイス様”って……)
だが、ルーシーはまったく気にした様子もなく、むしろ嬉しそうに頬を緩めた。
「私、この学園に入って本当によかったです。
だって――ノイス様と出逢えたのですから」
「……え? ごめん。
どこかで会ったことあったっけ?」
ルーシーの瞳が、熱を帯びたようにきらめく。
「きっと、運命です。
こんな形でお会いできるなんて……
私、もう興奮してしまって……」
(全然、話が通じてない)
一歩、距離を詰められる。
その勢いに気圧され、ノイスの足がもつれた。
「ちょ、ちょっと……!」
視界が揺れ、次の瞬間には背中から倒れ込んでいた。
ふわりと、甘い香りが降ってくる。
気づけば、倒れ込んだノイスの上に、ルーシーの身体が覆いかぶさるように重なっていた。
ルーシーの身体は軽く、払いのけようと思えばできるのだが、
予想外の接触とそこから伝わる体温に思考が追いつかず、ノイスは固まってしまう。
吐息がかかりそうなほど近い距離で、ルーシーはまっすぐノイスを見下ろしていた。
その澄んだ瞳だけが、逃がさないと言わんばかりに、熱っぽくノイスを捉えている。
「ノイス様……」
低く、確信を込めた声。
「本当に本物の“絶詠の魔女”様の――
お弟子さんなんですよね?」
「……ふうぇ? そ、そうだけど――」
「……っ!」
その瞬間、ルーシーの表情がぱっと輝いた。
覆いかぶさるように倒れていた姿勢のまま身を起こしたせいで、自然とノイスに跨る形になっていた。
「私、絶詠の魔女様の大ファンなんです!
いえ……“ファン”なんて言葉では、到底足りません!」
言葉が止まらない。
早口になり、息も次第に荒くなっていく。
「あの麗しい佇まいに、常識を超えた強さ……
私にとっては、憧れで、目標で――
もう、生きる意味そのものなんです」
一息に、想いを吐き出す。
「魔法使いとしても、人としても、
ずっと……ずっと、あの方の背中を追い続けてきました!」
一度、大きく息を吸い込み――それでも止まらない。
「魔法界から追放されたと聞いたときは……
もう二度と、その名を口にすることすら許されないんだって……
半ば、諦めていたんです!」
そして、まっすぐにノイスを見る。
逃げ場は、ない。
「それなのに――
そのお弟子さんが、目の前に!
しかも、同じクラスだなんて……!」
両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、震える声で告げた。
「私はなんて幸運なんでしょう。
ノイス様……今、とても幸せです」
「絶詠の魔女様は、今も元気にしているのでしょうか?
普段どのようなお方なのですか?
どんなお姿で、どんな香りで……
ああ、想像しただけで……」
急に顔を覆い、ふらりとよろめく。
(あ……この人、関わっちゃいけないタイプだ)
ノイスは直感でそう判断した。
次の瞬間――
詠唱もなく、足元に風が渦を巻く。
「きゃっ!?」
ルーシーが目を閉じた、その一瞬。
「……あれ? ノイス様? ノイス様っ!」
気づいた時には、ノイスの姿は消えていた。
「詠唱がありませんでした。今のが、絶詠……?
やはり、間違いありませんね……」
恍惚とした表情で呟き、そして顔を上げる。
「――ああ!
どこへ行ってしまったのですか、ノイス様ー!」




