十九話 静かな波紋
「それでは――模擬試験を開始する」
スコルドの低い声が、教室に響いた。
紙をめくる音。
ペン先が走る音。
張り詰めた空気。
(うーん……)
ノイスは問題用紙を眺める。
(ルーシーと勉強したおかげで、そこそこ分かるな)
昨日、あれだけのことがあったはずなのに、
教室には何事もなかったかのような時間が流れている。
あの後――
半ば取りすがるように離れようとしないミレイユとユミナ、そして立つのもやっとだったブラムを連れて、学園へ戻った。
“MCR”についてブラムから聞けた情報は、ほんのわずかだった。
魔素増幅剤を所有していること。
そして、ノイスを学園の外へ連れ出そうとしていたこと。
その理由までは、ブラムも知らないらしい。
ただ、少なくとも学園内へ無理に侵入することはできない――
そんな口ぶりだったという。
学園へ戻ったあと、ロウとも相談した。
ブラムたち三人をどう扱うかも考えたが、
下手に騒げばこちらまで面倒に巻き込まれる。
ブラムたちが処分されるのも、なんだか後味が悪い。
だから、ノイスたちは――
今後手を出さないこと。
ノイスの力を他言しないこと。
その二つを約束させ、今回の件はなかったことにした。
そして今――
模擬試験は、何事もなかったかのように進んでいる。
◇◇◇◇◇
「そこまで!
答案用紙を回収するぞ」
スコルドの声が響いた瞬間、
教室に張り詰めていた空気が一気にほどける。
あちこちで安堵の吐息が漏れた。
「ノイス。大丈夫だったか?」
ロウが、いつも通りの調子で声をかけてくる。
「ああ。ルーシーのおかげだけど、
たぶん大丈夫だと思う。
今度、お礼しないとね」
ロウは小さく笑い、肩をすくめた。
「今回のことでさ。
ルーシーも、いろいろ思うところがあったみたいだぞ。
だから、ちゃんと礼は言っとけよ」
(……何のことだろう?)
ノイスは首をかしげる。
ロウの言葉の意味が、いまいち掴めなかった。
その後、ルーシーも話に加わり、三人は窓際の席に集まっていた。
「ノイスくん、ロウくん。
お疲れさまです」
ルーシーが柔らかく微笑む。
「手応えはどうでしたか?」
「ああ、たぶん大丈夫」
ノイスは自分の肩をさすりながら答える。
「でも、ルーシーのおかげだよ。本当に助かった」
「い、いえ……私は大したことはしてません」
控えめに首を振るが、その頬はほんのり赤い。
ロウがにやりと笑う。
「いや、ルーシーがいなかったら俺ら退学だったかもしれねぇからな」
ノイスは素直に頷く。
「確かにね。今度ちゃんとお礼させてね」
「お礼なんて……そんな」
困ったように目を伏せるルーシー。
「……それよりも、ノイスくん」
「うん?」
「昨日は……その、しっかりと勉強できましたか?」
何気ない問いかけ。
けれど、その視線はほんのわずかに探るようだった。
「昨日?
ああ、始めるのは遅くなったけど勉強できたよ」
「そう、ですか……」
ルーシーはほんの少しだけ視線を伏せてから、続けた。
「あのお二人とは……一緒に勉強されたのですか?」
「二人って……
ああ、ミレイユとユミナは――」
――ぱしっ。
ロウが横から、ノイスの口を押さえた。
「な、なんだよロウ」
「あんま余計なこと言ってルーシーに心配かけんな」
小声で釘を刺す。
(……確かに、わざわざ言うことでもないか)
「どうしたんですか?」
ルーシーが二人を覗き込む。
「……いや、なんでもねぇ。
男同士の、くだらねぇ話だ」
ルーシーはほんの一瞬だけ視線を落とし、
「……そうですか」
それ以上は聞かなかった。
「ノイピッ!」
明るい声が、教室の入口から飛んできた。
振り向くより早く、ユミナが机に身を乗り出す。
「ねえ! 試験どうだった!?
ちゃんとできた?」
「う、うん……まあまあ」
「なにそれ、歯切れ悪っ!
あーしはね、意外といけた気がするっしょ!」
にやりと笑い、ぐっと距離を詰める。
その後ろから、ミレイユが静かに歩み寄った。
「ノイスも問題なかったみたいだね。
勉強の邪魔しちゃったから、心配したよ」
(あれ? なんか人変わってない?)
以前の“作った声”とは違うサバサバとした態度。
今までとは違う自然な距離感。
二人を見たロウがすっと立ち上がる。
「おい。
ちょっとお前ら」
低い声で二人をノイスから引き剥がす。
「お前ら、どういうつもりだよ。
俺らにもう関わらないって約束しただろ」
ルーシーに聞こえないよう、小声で二人を問い詰める。
「別にいいじゃん?
普通に話しかけてるだけっしょ」
悪びれた様子がないユミナ。
「そうそう。
友達として、ね?」
ミレイユが続ける。
「友達って……
お前ら……どの口が言うんだよ。
昨日の今日で、よくそんな顔して言えるな」
ロウの目が鋭くなる。
「あーしら、ノイピの強さを目の当たりにしてさ。
正直……ちょっと感動したっていうか」
「か、感動……?」
ロウが首をかしげる。
「うんうん。
なんか頼りになるっていうかお近付きになりたいっていうか。そのくらいは別にいいでしょ?」
ミレイユが、小さく息を吐く。
その言葉には、嘘がなかった。
ロウはまだ疑いの目を向けたままだ。
「いや、それでもダメだ。
お前らがいるとルーシーが困る」
「なんか私のこと、話してますか?」
ひょこ、とルーシーが覗き込む。
「いや、こいつらはだな――」
ユミナがくるっと振り向く。
「ねえ、ルーたん!
あーしたちも仲間に入れてほしいなーって!」
「ル、ルーたん……?」
「そうそう。
あたしたち、ルーシーちゃんとも……お友達になりたいなって」
「友達……?
私と、ですか?」
「うんうん」
ルーシーは、不思議そうに目をぱちくりとさせる。
ミレイユとユミナはルーシーの顔を覗き込むように見つめる。
「どうかなー、なんて……」
二人の笑顔がひきつる。
「……私、今まで歳の近い女性の方と仲良くなる機会がなくて……」
ルーシーは少し俯き、
「……こんな私でよかったら、是非お願いします」
小さく微笑んだ。
その笑顔は、まっすぐだった。
(ま、眩しい……)
(ルーたんの笑顔の破壊力、恐るべし……!)
二人は思わず顔を見合わせた。
「おい、いいのか? ノイス」
ロウは二人に疑いの眼差しを向けている。
「……あんまり騒がないでね。
あと、くっ付いてくるのは禁止ね。特にユミナ」
さらっと釘を刺す。
(まあ、ルーシーも嬉しそうだし)
「ありがと! ノイピ!」
抱きつこうとしたユミナを、ノイスはすっと横に避ける。
「だから禁止って言ったでしょ」
「えー!」
ロウが二人を睨む。
「いいか? もし、ノイスとルーシーを裏切ったら、どうなるか分かってんだろうな」
空気が一瞬だけ張りつめる。
「あたしら……これでも反省してるんだよ」
ミレイユが目を伏せる。
「そうそう。
なんかあったら、今度は力になるっしょ!」
軽い口調。
でも――その言葉に今までのような嘘は感じられず、不思議なほどまっすぐだった。
◇◇◇◇◇
「マグナス先生。
MCRが、ついにノイスに接触したみたいです」
「……ほう」
空間に、淡い紋様が浮かんでいる。
距離を越えて繋がる、魔導通信陣。
揺らめく光の向こうで、学園長マグナスは目を細めた。
「学園内には入ってきてないようじゃが、
誘われたのか……それとも自ら出向いたのか」
静かな声だった。
「もう学園外でMCRと接触するなんて、いったいあの子は何をしているのかしら。
どちらにせよ、これ以上ノイスに近づかせたくありません」
「……心配かの?」
学園長は目を細める。
「誰が育てたと思っているのですか、先生。
ノイスは――そこらの魔法使いでは歯が立ちませんよ」
「オッフォッフォ。
相変わらず自信家じゃな、絶詠の魔女……いや、アリス君」
愉快そうに笑いながらも、目はまるで笑っていない。
「じゃが、それでも気がかりなのじゃろう?」
アリスは、ほんのわずかに視線を伏せた。
「……ええ。胸騒ぎがするんです。
ノイスがMCR相手に後れを取るはずがないのに」
「それが、魔女の勘なのかのう」
「私の思い過ごしならいいのですけど」
その言葉に、マグナスは小さく息を吐いた。
「万が一を想定して、この学園に入学させたのじゃろ?」
「そう……ですね。
マグナス先生が目を光らせていてくださるおかげで、私は動けます」
マグナスは一拍置き、声音をわずかに落とした。
「そろそろノイス君にも話してみてはどうじゃ?
あの子自身に関わる秘密である以上、
本人が知らぬままでは、いずれ歪みが出るぞ」
「それだけは、できません」
食い気味に、アリスが遮った。
通信陣の向こうで、彼女の瞳が強く揺れる。
「ノイスには何も知らずに育ってほしいんです。
あの子には、なるべく平穏に暮らしてほしい。
余計なものを背負わせたくない」
「しかし、彼はもう子供ではない。
自分で判断できる歳じゃ」
「それでもです」
アリスは、ゆっくりと続ける。
「取り返しのつかない事態になったら……
もしも、あの子の力が誰かに利用され、
世界を壊す側へ傾くようなことがあれば――」
そこで一度、唇を噛む。
「その時は、育てた責任として……
せめて私が、この手で終わらせます」
静かな声音だった。
けれど、その重さは通信越しでも隠しきれなかった。
「……穏やかではないのう」
マグナスは髭をさすりながら、深く息をつく。
「じゃが、おぬしがどれだけ抱え込んでおるかは、よう分かった。
気負い過ぎるでないぞ」
「いえ、マグナス先生がいてくれるだけで……
十分心強いです。
これは、私が背負うべき問題ですから」
「……そうか」
学園長は短く頷いた。
「承知した。
おぬしも、気をつけるのだぞ」
「はい」
淡い紋様がほどけていく。
光は静かに消え、
あとには重たい静寂だけが残った。




