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十七話 魔素増幅剤

 魔素増幅剤ブースターを飲み干したブラムから、

 異常なほどの魔素が噴き上がっていた。


 廃墟の空気が凍りつき、

 足元の瓦礫に白い霜が降りていく。


 ノイスの眼鏡にも、うっすらと白い曇りがかかった。


 だが、ノイスは慌てるでもなく、

 眼鏡の縁に指先で軽く触れた。


 ――ふっ。


 小さな熱が、眼鏡の曇りだけを静かに払った。


「……魔素の総量が、不自然に上がってるね」


 ブラムは、湧き上がる力を確かめるように拳を握り締めた。


「こんなところで使いたくはなかったが……

 試すには、いい機会だ」


 ブラムは歯を食いしばり、掌に魔素を集束させる。


 先ほどとは比べものにならない圧力が、

 氷となって形を成していく。


「こい……《ブリザード・パイプ》!!」


 瞬時に生成された氷棒は、

 これまでのものよりも太く、無骨で――

 異様なほどの冷気を宿していた。


「……あいつ、ほぼ無詠唱で出しやがった!

 それにこの冷気……近くにいるだけで凍えちまうぜ」


 廃墟を包む異常な冷気に、ロウは身を震わせた。


 間髪入れずに、ブラムは地を蹴る。


 空気を引き裂く轟音とともに、猛烈な勢いで距離を詰めた。


 ――ブォンッ!!


 氷棒が一直線にノイスへ叩き込まれる。


 ――だが。


 ノイスの手が触れた瞬間。


「……っ!?」


 氷が、まるで最初から形を成していなかったかのように、音もなく霧散した。

 

「くそ……!」


「流す魔素の量を増やしても――

 結果は同じだよ」

 

 全く動じないノイスを前にしても、ブラムは止まらない。


「対策されたというのなら、

 俺は……さらに上をいく」


 空気が凍るほどの冷気を放ち、

 新たな氷棒を生成する。


「こい……《ブリザード・パイプ》!!」


 二本目。


 先ほどのものよりも、さらに濃く鋭い冷気を放っていた。


「驚いた……まだやるんだね」


 今度は大きく身を捻り、横薙ぎに大きく振りかぶる。


 ノイスは左手を構えて氷棒を迎え撃つ。


 そして、左手がそっと氷棒に触れる。


 それだけで、

 氷棒は形を保てず、白い霧となって散った。


「なっ……!?」


 振りかぶった力の行き先を失ったブラムは、大きくよろけた。

 

「面白い……

 ルキウス以外にもこんな規格外なやつが存在したなんてな」


 ブラムの呼吸が、荒く乱れる。


「そう? 僕は全然面白くないよ。

 もういいでしょ?」


「まだだ……

 次はもっと……もっと硬く作る!」


「やめといた方がいいと思うけど」


 ノイスは散らばった冷気を軽く手で払い、

 淡々とそう告げた。


 しかし、ブラムの猛攻は止まらない。

 

 三本目。

 四本目。


 新たに生成しては振るい、

 振るっては消される。


 氷棒が生まれるたびに、その冷気はより強く、より鋭くなっていく。

 床は凍りつき、壁には白い霜が広がり、

 散った冷気で廃墟の中は極寒の地へと変わっていた。

 

「ちょっ……さ、寒すぎるっしょ……」

「あたしたち……ここで氷漬けになるかもね」


 ユミナとミレイユは、床に伏したまま凍えていた。


「俺を甘く見るなよ!」


 ブラムの氷棒は、すでにノイスの体よりも太く大きくなっていた。


 だが、ノイスは慌てる様子もなく、

 迫る氷棒を次々と霧散させていく。


「何度やっても無駄なのに――」


 そう言いかけたが、冷気で凍った床に足を滑らせ、体勢を崩した。


「待っていたぞ! この時を!」


 その隙を逃さず、ブラムは氷棒を叩きつけるように振り下ろした。

 

 だが、倒れ込むはずだったノイスの体は地面に触れることはなく、そのまま後方へ滑るように浮き上がった。

 

 ――バギンッ!


 氷棒は、ノイスではなく凍てついた地面を叩き砕いていた。


「危ない。滑って転ぶところだった」


 ノイスは空中でそのまま体勢を立て直した。


「宙に浮いてる……のか?」


 ブラムはノイスを睨みつけたまま呼吸を整える。


「おい、ユミナ……あいつ、

 なんで浮いてんだよ……?」


 ミレイユは、浮いているノイスから目を離せない。


「信じられないと思うけど、あれは風魔法っしょ。

 足元に小さな風溜まりを作って、自分自身を浮かせてる……」


 ユミナが低く呟く。


「か、風魔法!?

 そんなこと可能なの?」


「風魔法使いのあーしでも、

 あんな使い方、見たことも聞いたこともないっしょ……」


 二人は寒さも忘れ、ただノイスに視線を向けていた。


 目の前で繰り広げられているのは――

 自分たちの理解を、遥かに超えた戦いだった。


「もうこれ以上は、やめた方が――」


「黙れ!!」


 ブラムは怒鳴り、浮遊するノイスを追っていく。


 何度も何度も氷棒を振り抜くが、宙を滑るように後退するノイスには掠りもしない。


「逃げんじゃねえよ」


「やだよ。なんか冷たそうだし」


 氷棒を振り回すたび、冷気が荒々しく渦を巻く。


 しかし、

 ブラムの動きは、最初よりも明らかに鈍っていた。


 目の焦点も定まっておらず、足元はおぼつかない。


「はっ……はっ……!」


 氷棒を振るたびに荒くなる呼吸。

 それでも振り続ける。


「……もういいよ」


 ノイスが動きを止めて、正面から氷棒を手で受け止めようと手をかざす。


「うぉらあ!」


 しかし、半ば崩れるように踏み込んだその横からの鋭い一撃は、ノイスの手をすり抜けた。


「甘く見たな。

 これなら――」


 ――バギンッ!


 氷棒が、ノイスの胴を横から捉えた。


 だが、衝撃は届かない。


 ノイスの無防備な胴体に触れた結果、砕け散ったのは氷棒の方だった。


「……な、なぜだ?」


 掠れた声。


「逆の性質の魔素を、全身に流してるから」


 ノイスは淡々と答える。


「どこに当たっても一緒なんだ。

 なんとなく手で受け止めてたけど」


「……っ!

 そ、そんな……そんなバカな……!」


 ブラムの腕が痺れる。


 震える手で、再び氷棒を生成する。


 だが――


 振り上げるより早く、

 根元から、ぱきりと折れた。


「さっき飲んだやつって、

 一時的に魔素を引き上げてるだけでしょ」


 ノイスが静かに言う。


「そんな借り物の魔素を限界まで使ってしまったら、効果が切れた時、身体が壊れるよ」


 わずかに眉を下げる。


「だから、もうやめた方がいいって――」


「うるせえ……」


 ブラムは歯を食いしばる。


「俺は、まだ終わってない……!」


「《ブリザード・パイプ》!!

 《ブリザード・パイプ》!!」


 だが――


 生成された氷棒は細く、短く、冷気も弱い。


 さっきまでの魔素が、目に見えて薄れていた。


「……っ、は……っ……」


 ブラムの足が止まり、膝が震える。

 

 ノイスは、ゆっくりと一歩だけ近づいた。


「ああ、だから言ったのに」


 責めるでも、嘲るでもない声。


 ブラムの視界が、大きく揺れる。


「……まだ……

 俺は……」


 言葉は、最後まで形にならなかった。


 ――ドサリ。


 糸が切れたように、ブラムの身体が床へ崩れ落ちた。


 見開かれた目には、もう焦点が合っていなかった。


 張り詰めていた冷気が、霧のようにほどける。


 暴走していた魔素の奔流も、嘘のように途切れた。


 廃墟に残ったのは、静寂だけ。


「ノイピ……

 さすがに、次元が違うっしょ……」


 ユミナが、引きつった声で呟く。


「こんなヤバい奴だなんて、知らなかった……」


 ミレイユは、目を見開いたまま震えていた。


 二人の言葉に、ノイスは何も返さない。


「……ノイス」


 ロウが、ようやく口を開く。


「お前……

 そんな、とんでもない力を隠し持ってたのか」


 感心と、呆然と、わずかな恐れが混じった声。


「あはは。

 でも、別に隠してたつもりはないよ」


 ノイスは振り返り、いつもと変わらない調子で笑った。


「……今度こそ帰ろっか、ロウ」


 あれほどのことがあったにもかかわらず、

 ノイスは何事もなかったかのように帰ろうとしていた。


 ロウは小さく息を吐き、ミレイユとユミナに目を向ける。


「お前たちは、そいつを連れていけ。

 拘束は解いてやる。……俺らにもう関わるな」


 短く言い切る。


 緑炎を解かれた二人は、言葉を失ったまま頷いた。


 そして――


 ノイスとロウは、ゆっくりと学園へ向かって歩き出す。


 二人の背中が、闇に溶けていく。


 それをゆっくりと見送ってから、ミレイユはようやく大きく息を吐いた。


「……ブラムさん。立てますか?」


 足元に倒れたままのブラムは、ぴくりとも動かない。


「先輩! 起きてってば!

 おぶって帰るとか、あーしたちじゃ無理ですからね!」


 ユミナが膝をつき、ブラムの肩を揺さぶる。


 だが、反応はない。


「と、とにかく……早く学園に戻るよ」


 ミレイユはブラムの腕を掴み、無理やり引き起こした。


 ――重い。


「あーあ……もう最悪っしょ」


「つべこべ言わないで。

 連れて帰るしかないでしょ」


 舌打ちしながらも、ユミナは反対側から肩を支えた。


 ぐらり、と体を持ち上げる。


「それにしても……

 ノイピの、あの強さ……」


「……本当に、人間なの?」


 二人は、顔を見合わせる。


 その言葉は、冗談でも大げさでもなかった。


 二人の顔は引きったまま、一歩を踏み出した。


 その瞬間。

 

 背後から、感情の温度を一切感じさせない詠唱が響いた。

 

「我は放つ。

 雷光の衝撃――」


 その淡々とした詠唱を聞いた瞬間、

 背後から刃物を突き立てられたような悪寒が走った。


 その無機質な魔素の気配に、全身の鳥肌が立つ。


 二人は、ブラムを背負ったまま恐る恐る振り返る。


「《サンダー・ボルト》!」


 ――ビギャァァン!!


 空気を引き裂く轟音。


 廃墟一帯を覆うほどの雷撃が、真上から叩き落とされた。


 地面が抉れる。


 瓦礫が吹き飛ぶ。


 視界が、白一色に染まった。

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