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十六話 努力だけじゃ届かない場所

 ブラムは勢いよく氷棒を振りかぶった。


「……!」


 ノイスは反射的に手を前に出す。


 詠唱はない。

 だが、空間に熱が生まれた。


 ――炎の盾。


 半透明の炎が瞬時に展開され、

 氷棒の一撃を正面から受け止めようとする。


「無詠唱……か。

 それが噂に聞く“絶詠”……」


 ブラムが、わずかに感心したように鼻を鳴らす。


「だが、甘い」


 氷棒が炎盾に触れた瞬間――


 ――パキッ。


 炎の盾が、音を立てて凍りついていく。


 熱を帯びていたはずの炎が、

 結晶のように白く固まり、砕け散った。


「ふん。

 《ブリザード・パイプ》に触れたものは、瞬時に凍る」


 ブラムの声に、容赦はない。


「それが炎だろうが、例外じゃない」


「ノイス! それに触れちゃダメだ!」


 ロウが思わず叫ぶ。


 砕けた盾を突き破り、

 氷棒は、そのままノイスに振り下ろされた。


 ――パシッ!

 

 ノイスは一歩も退かず、

 薄く魔素を纏わせた手で氷棒を受け止めていた。


 ――だが。


 触れた部分から、白い霜が走る。


「……っ」


 凍結が、確かに進行していく。


 指先から手首へ。

 手首から肘へ、そして肩へ。


 ブラムの口角が、ゆっくりと吊り上がった。


「あの絶詠の魔女の弟子と聞いて、

 どんなやつかと思えば……」


 嘲るように言い捨てる。


「大したことはないな」


 ノイスの腕は、完全に氷に覆われつつあった。


 ブラムは、勝利を確信した声で告げる。


「ゆっくり身体が凍りついていく感覚に怯えるがいい」


 ロウの胸が、締め付けられる。


「くそ……間に合わなかった……!

 ノイスまで凍っちまったら――」


 だが――


 ノイスは、氷に覆われた自分の腕を、

 じっと見下ろしていた。


 焦りはない。

 痛みに顔を歪めることも、怒りを見せることもない。


「……へえ」


 小さく、感心したように呟く。


「その武器……

 常に魔素を循環させてるんだ」


 ブラムを見る。


「それで触れた相手に、

 凍結の魔素を伝達させる」


 首を傾げ、淡々と続けた。


「仕組み自体は単純だけど……

 接近戦では、たしかに有効かもね」


 その一言に、

 ブラムの眉が、わずかに動いた。


「……今さら気付いたところで――」


「うん、もう大丈夫。

 仕組みは、わかったから」


 ノイスは、凍りついた自分の腕を見下ろす。


「仕組みがわかっただと……?」


 ブラムは、理解できないものを見るように眉をひそめた。


「逆の性質の魔素を流せばいいんだよ」


 ノイスが、ほんの少しだけ力を込めた。


「それで、この凍結は簡単に打ち消せる」


 パキ、パキ、と小さな音が響く。


 ノイスの腕を覆っていた氷に、細かな亀裂が走っていく。


 溶けているのではない。


 凍結という“状態そのもの”が、内側からほどけていくようだった。


 氷は力を失い、音もなく崩れ落ちる。


「な……っ……?」


 ブラムの目が、わずかに見開かれた。


「ノイス……」


 ロウは言葉を失い、ただその光景を見つめている。


「……お前は、いったい……」


 ノイスは自分の手を軽く握り、開き、感触を確かめる。


「ほらね」


 そう言って、静かに顔を上げた。


「ふざけるなよ、一年坊が……!!

 たった一度見ただけで見切っただと……あり得ない!」


 怒号が廃墟に反響する。


 ブラムは地を蹴り、再び間合いを詰めた。


 振り上げられた氷棒が、一直線にノイスへと叩きつけられる。


「何度やっても、同じだよ」


 ――バシッ!


 ノイスは手で氷棒を弾く。


 氷棒が手に当たった瞬間、

 確かに凍結が走る。


 だが――


 ――パキッ。


 すぐに氷は崩れ落ちる。


「身体にも魔素を巡らせてるから、

 そのくらいの衝撃なら通らないよ」


「な……っ!?」


 ブラムは歯を食いしばり、続けざまに振り回す。


 ――バシッ!

 ――バキッ!


 氷棒はノイスの手に弾かれ、

 弾いた手は凍りつき、

 凍ったそばから、解除されていく。


「そんなはずは……!

 そんなはずはない!!」


 必死に攻撃を重ねるが、

 ノイスは一歩も退かない。


 そして、振り下ろされた氷棒をノイスは片手で掴んだ。


 その瞬間――


 パキン、という乾いた音が響く。


「バカなっ……!?」


 氷棒は粉々に砕け散る。


 床に散った氷の欠片を見下ろしながら、

 ノイスは淡々と告げた。


「これは、応用だよ」


 ブラムを見る。


「触れた瞬間に、逆の性質の魔素をこっちから流し込む。

 そうすると……」


 視線を、砕けた氷棒へ戻す。


「形を維持できなくなるよね」


 重い沈黙。


 ブラムの荒い呼吸だけが、廃墟に響いていた。


「ブラムさんの魔法が通じていない……

 あいつ、本物のバケモンだわ」


 ミレイユの口から、素の声が漏れる。


「ちょ、ちょっと待つっしょ……

 ノイピっていったい何者……?」


 ヘラヘラとしたユミナの笑みが、完全に消えた。


「……もういいでしょ?」


 ノイスの声は、勝ち誇っているわけでも、見下しているわけでもなかった。


 ただ純粋に――

 これ以上続ける意味はない。


 そんな静かな声だった。


「僕たち、明日の試験の勉強しないといけないんだ。

 ロウ、戻ろう」


 ノイスはロウに声をかけると、その場を離れようとした。

 

「あ……ああ……」


 ロウは、信じられないものを見るような目で頷く。


「……待てよ」


 ブラムの握りしめた拳が、わずかに震えている。


 やがて、かすれた声が落ちた。


「……こんなことが、あってたまるか」


 背後から聞こえたその声に、

 ノイスとロウは足を止めた。


 ゆっくりと振り返る。


「この《ブリザード・パイプ》を完成させるのに、

 俺がどれだけの時間を費やしたと思っている?」


 ブラムは、床に散った氷の欠片を見つめたまま、低く言った。


「基礎も、理論も、詠唱も……

 人一倍、積み上げてきた」


 拳が震える。


「成績だって常に上位だった。

 教師にも、周囲にも、優秀だと言われ続けてきた」


「それでも――」


 視線が、わずかに揺れる。


「……ルキウスみたいな“本物”には、

 どう足掻いても、勝てなかった」


(ルキウスさん……?

 ああ……この前、ルーシーを助けてくれた)


 ノイスの脳裏に、余裕すら感じさせるあの青年の姿が浮かぶ。


「努力しても……

 凡人は、天才には敵わない」


 その言葉は、怒りではなく、

 諦めに近かった。


 ブラムは、ゆっくりと懐へ手を伸ばす。


 取り出したのは――


 指先ほどの、小さな薬瓶。


 中の液体が、淡く、不気味に脈打っている。


「だから――」


 ブラムの目が、狂気じみた光を帯びる。


「これが必要なんだ」


 栓を抜く。


「“努力”だけじゃ、

 届かない場所に行くためにな……!」


 迷いは、なかった。


 ブラムは魔素増幅剤ブースターを、一気に飲み干す。


 ――ドクン。


 ブラムの身体が、大きく跳ねた。

 

 心臓を直接殴られたような衝撃が、全身を駆け巡る。


 冷気が、先ほどとは比べものにならない密度で溢れ出す。


 床が凍る。

 壁が凍る。

 空気そのものが、白く軋む。


 廃墟が、悲鳴を上げた。


「……っ!?」


 ロウが思わず息を呑む。


 ブラムの背中が、

 内側から何かに押し広げられるように歪む。


 血管が浮き、

 皮膚の下を魔素が走る。


「見せてやるよ……!」


 ゆっくりと振り返る。


 その目に、かつて周囲から“優等生”と呼ばれていた面影は、もうない。


「凡人が――

 天才に届く、“唯一の方法”をな!!」


 凍気が渦を巻く。


 それでも――

 ノイスは、慌てるわけでもなく、ただ静かにその状況を眺めていた。

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