十二話 面倒な距離
それからというもの――
ノイスは、ことあるごとにミレイユとユミナに絡まれるようになった。
――朝。
いつもルーシーが待っている場所に、今日は彼女の姿がない。
(ルーシー……今日は来てないんだな)
ほんの少しだけ、胸の奥が静かに沈む。
理由は分からない。
ただ、少しだけ物足りない気がした。
「おっぱよ、ノイピ! 一緒に行こ?」
やけに明るい声と共に腕に絡み付いてくる。
(……朝から絡まれるなんて最悪だ)
ユミナが朝から元気よく笑顔を向けてくる。
「ちょ、ちょっと……くっ付かないでよ」
「なにさ、ノイピ? 本当は嬉しいくせに!」
(嬉しいわけないでしょ。歩きにくい)
振り払おうとしても、しがみついてくる。
「ノイスくん、おはよう。
朝から会えるなんて嬉しい!」
少し前を歩いていたミレイユが、くるりと振り返る。
「ここ、男子寮の前だよ?
偶然じゃないよね?」
後ろ手に手を組み、上目遣いで覗き込む。
「えー? たまたまだよ。
それより、ノイスくんってどんな女の子がタイプなの?」
話題を逸らされた。
「……よくわからない」
「なんで隠すの? 絶対あるでしょ?」
「ないよ。考えたことないし」
「嘘だぁ」
くすっと笑い、さらに距離を詰める。
それに合わせるように、ユミナは腕に込める力を強めた。
「じゃあさ、あーしたちもアリってこと?」
(なにが“アリ”なんだろう……)
ノイスは小さく息を吐く。
話題が次々と投げられ、
ノイスが答える隙などなかった。
◇◇◇◇◇
昼休み――
「ロウ、ルーシー……一緒に――」
声をかけようとした、その瞬間。
「ノイスくん、中庭いこ!」
ミレイユが、すっと間に割り込んできた。
反応するより早く、手を取られる。
「あたし……お弁当、作ってきたんだ」
頬をほんのり染めながら、
可愛らしい包みを差し出す。
「ノイスくんも、よかったら食べて?」
「え……いや、いいよ。パン買ってくるから」
ほんの一瞬。
ミレイユの表情が、ぴたりと止まった。
そして――
「……そうだよね」
ぽつり、と落ちる声。
「あたしが作ったのなんて……
気持ち悪くて、食べられないよね」
両手で目元を覆い、肩を震わせる。
声は小さいのに、なぜかよく通る。
ざわ――
周囲の視線が、一斉にこちらへ向いた。
「え、泣かせた?」
「何言ったんだよ……」
「あいつ、例の絶詠の魔女の弟子だろ?」
(……うわ。最悪だ)
空気が、一気に重くなる。
「わ、わかったよ!
食べるから……!」
慌てて言うと、ミレイユはゆっくり顔を上げた。
涙は――出ていない。
「ノイスくん……ありがと」
にこり、と完璧な笑顔。
(……完全に、やられた)
弁当の中身は、確かに丁寧に作られていた。
「……美味しいよ」
素直な感想だった。
だが、すぐに続ける。
「ありがとね。
でも、もう絶対に作ってこないでね」
「やん! 褒められちゃった」
頬を押さえてくねるミレイユ。
ノイスは、静かに視線を逸らした。
(……本当に、面倒くさい)
◇◇◇◇◇
廊下を歩いていると。
「あ、ルーシーだ」
遠くに揺れる銀髪が目に入り、
思わず声をかけようとした瞬間。
「ノイピ~、どこ行くの~?」
背後から、ぎゅっと抱きつかれた。
「ちょ、ユミナ……!」
「きゃー!
今、ユミナって呼び捨てにした!
それに見てないのにわかるとか……
もしかして、らぶじゃん?」
(……うざい)
反射的に顔を上げる。
廊下の向こうで、ルーシーと視線が合った。
彼女の瞳が、わずかに揺れる。
ルーシーは小さく会釈をして、
そのまま静かに歩き去っていった。
「ルーシー……」
思わず彼女の名が溢れる。
その声は届かない。
「ねえねえ!
クッキー焼いてきたんだよ?」
ユミナが、さらに腕を絡める。
「ノイピ、あーんして?」
「え、やだよ」
「そんなこと言わないでさ~」
断る間もなく、口元に押しつけられる。
「んぐっ……!」
甘い匂いが、口に広がる。
(……なんでこうなる)
廊下の奥で、
ルーシーの背中が角を曲がって消えた。
◇◇◇◇◇
放課後。
(まずいな……。ここ最近ずっと付き纏われてて、全然勉強できてない。
もう明日が模擬試験なのに……)
机の上の教科書を見つめながら、小さく息を吐く。
その時――
「ノイスくん……明日は模擬試験ですね」
静かな声。
振り向くと、ルーシーが少しだけ緊張した様子で立っていた。
「よろしければ今日……一緒に勉強しませんか?」
ほんのわずかに指先が揺れている。
「あ、うん。ちょうど僕も――」
答えようとした、その瞬間。
「ノイピ!」
明るいユミナの声が、上から覆いかぶさる。
「あーしとミレイユと三人で勉強しよっ?」
気づけば、両腕をがっちり挟まれていた。
右にミレイユ。
左にユミナ。
「悪いけど、僕は――」
「いいから、いいから!」
「勉強ばっかじゃつまんないっしょ?
私たちとだったら、楽しい息抜きもできるよ?」
距離が、近い。
「ちょ、ちょっと……!」
ノイスの抗議は、最後まで届かない。
そのまま、半ば引きずられるように廊下の向こうへ連れていかれる。
振り返る余裕もないまま。
――残されたのは、静まり返った廊下と、
小さく息を呑んだルーシーだけだった。
「あいつら……試験前日だってのに。
なんであそこまでノイスを追い回すんだ」
ロウが低く呟く。
その目は、もう笑っていなかった。
「なあ。おかしいと思わねえか? ルーシー」
ルーシーは視線を床へ落としたまま、静かに答える。
「……私たちが気にしても、仕方のないことです」
声は穏やかだが、どこか硬い。
「なんだよ、それ」
ロウは眉を寄せる。
「ノイスが喜んでるように見えるか?
どう見ても、困ってんだろ」
「そんなことは、わかっていますよ!」
珍しく、ルーシーの声が強く響いた。
「そんなこと……ノイスくんを見れば、わかります」
一瞬、沈黙が落ちる。
「じゃあ、なんで何も言わねぇ」
ロウの問いに、ルーシーは唇を噛んだ。
「それは……私に、あの二人を責める資格がないからです」
「なんでだよ」
ルーシーは、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、わずかに揺れていた。
「……私も、ノイスくんが絶詠の魔女様の弟子だと聞いて
しつこく付き纏っていました」
「それは前のことだろ」
「きっとノイスくんは優しいから……」
自嘲するように、かすかに笑う。
「本当は今でも……
私のことを同じように“面倒だ”と思っているのではないかと……
そう考えてしまうんです」
「そんなわけねぇだろ!」
ロウの声が、廊下に響いた。
「ノイスはな、本当に嫌ならはっきり言うやつだ。
あれは、二人が無理矢理連れ回してるだけだ」
一歩、前へ出る。
「それに――」
目を細める。
「あの二人、どう考えても裏がある。
俺の勘が、そう言ってる」
ルーシーは、ゆっくりと首を振った。
「それでも……」
小さく、しかし確かに。
「それを決めるのは、ノイスくんです」
ロウは、しばらく彼女を見つめた。
やがて、短く息を吐く。
「……わかったよ」
ロウはノイスの向かった方へ向き直った。
「でもな、どんなことでも友達が困ってたら、
俺は黙って見てられねぇ」
「ロウくん、それは――」
「大丈夫だ。俺がどうにかする」
追って行ったその背中には、迷いがなかった。
◇◇◇◇◇
その頃――
ノイスは、どうにかミレイユとユミナを振り切り、自室へ戻っていた。
扉を閉めた瞬間、ようやく息を吐く。
「……なんなんだ、あの二人は」
小さく呟き、ベッドに腰を下ろす。
机の上には、模擬試験用の参考書。
開いたままのページを、ぼんやりと眺める。
「明日の勉強……しないと」
一度、視線を落とす。
少しだけ、間。
「……本当は、ルーシーに教えてほしいことがあったのにな」
ぽつりと零れた本音は、
思っていたよりも小さく、頼りなく響いた。
「もっとちゃんと断ればよかったな……」
小さく息を吐く。
「……面倒なのは嫌だけど、
誤解されるのは、もっと嫌かも」
机に向かい、参考書を開き直す。
だが、頭に浮かぶのは――
銀色の髪と、少しだけ寂しそうな横顔だった。




