12杯目 小さな恋のメロディ ②
それからミアは小さな前足で器用にティーポットを持ち上げて、紅茶をティーカップへと注いでいく。
「どうぞ、 アッサムティーです」
ミアはカウンター越しに2人の前へ、ティーカップをそっと置いた。
ティーカップの中は茶褐色の液体で満たされていて、まるでずっとそこにあったかのように静かに佇んでいる。そこからはふんわりとした湯気が立ち込めていた。
「わぁ、いい香り……」
美咲は目を細めながら、顔を近づける。少し前まで沈んでいた彼女の表情も、どこか穏やかに見える。
それからミアは冷蔵庫の扉をガチャリと開けると、そこからサンドイッチ用のハムを取り出した。そして白いお皿にハムを並べて、ティーカップの隣へ添える。
「え? 紅茶にハム?」
「はい。おやつと夕飯の間に嗜むハイティーという文化です」
莉央が目を丸くして訊ねると、ミアは尻尾を振りながら、どこか誇らしげに説明をする。
「映画では骨付きの立派なハムがでるところですが、さすがにすぐに用意はできないので、これで代用します」
「へえ、これはこれで新鮮かも」
美咲はくすっと笑いながらそう言うと、まずアッサムティーに口をつける。
香りはおとなしく、癖があまりない。紅茶らしい紅茶だ。派手さは無いがしっかりと力強い味わいだった。余計な甘みがなく、柔らかな渋みが余韻を残す。
それからハムを口に運ぶ。フォークで持ち上げたラックスハムの色は美しく、食欲をそそられた。
外側はスモークの過程で得られる深みのある茶色がかかっており、内側は鮮やかなピンク色を帯びている。脂肪の部分はクリーミーな白色だ。
噛んだ瞬間、スモーキーな風味が口に広がり、程よい塩味と甘みが感じられる。しっとりとした食感とともに、舌の上でとろけるような感覚が楽しめる。
「うん、意外と合うね」
莉央が上機嫌になって、笑みを浮かべた。
紅茶の味がシンプルで程よい苦味があるから、ハムの塩味と甘みを、さらに引き立たせてくれる。
「ハイティーが登場するシーンは、映画の中でも特に印象的な場面です。ダニエルがメロディの自宅を初めて訪れた際に、家族がハイティーを楽しんでいました」
ミアは映画について語るのがよほど楽しいのか、尻尾を左右に揺らしている。
「メロディの母親がダニエルを招き、皿に盛ってくれたのが、骨付きの大きなハムだったんです。英国のティータイムといえば、夕食前にお茶を飲むアフタヌーンティーが有名です。サンドイッチやスコーン、ケーキをつまみながらゆっくりお茶を飲み、貴族の社交の場として発展しました。これに対し、肉や魚などと一緒に食事を兼ねたハイティーは、労働者階級に端を発するティータイムなんです」
「メロディの家庭は労働者階級ってこと?」
美咲はハムを口に運びながら、少し首を傾げながら問いかけた。
「はい。彼女の家庭環境が庶民的あることを示す描写です。裕福な中流階級で育ったダニエルとは対照的なんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
莉央はようやく映画に興味を引かれたのか、手元のティーカップを軽く揺らしながら、耳を傾ける。
「身分差のある恋愛って、昔からお決まりのパターンだよね。ロマンチックだし」
「子どもながらにそれを察したメロディは気まずい雰囲気を感じつつ、俯いて食事をしていました。一方のダニエルも、自分の家とは違うムードに戸惑いながらも、楽しそうに食事をします。そしてメロディと目が合うと、密かに笑い合うのです」
「それは凄く良いシーンだね」
美咲が少しトーンを落として、感慨深そうに呟く。
「日本ではリバイバル上映されるほど、根強い人気がありますからね」
ミアは頬を上げると、一緒にヒゲがふわりと揺れる。
「何気ないシーンですが、2人の間には文化の違いくらいでは揺るがない、強い想いがあることを分かるんです」
ミアは話し終えると、満足そうに背中から尻尾までをしなやかに伸ばす。
「当たり前なんだけど、子どもっぽくて純粋な恋愛だね」
莉央の声には、どこか感心したような響きがあった。それに美咲も同調する。
「確かに! 大人が主人公だったら、格差社会を何とかしようと奮闘したり、駆け落ちしたりしそうな展開だけどね。そこに邪魔が入ったり、ライバルとかが出てきたりしてさ」
しかし『小さな恋のメロディ』で繰り広げられるのは、大人へのささやかな抵抗という程度と、小さな冒険だけだ。
決して派手ではないかも知れないが、そこには甘酸っぱい恋愛の本質というのが詰まっているような気がした。
「え? 恋愛って、こういうものじゃないんですか?」
ミアは瑠璃色の目を丸くして、キョトンとして首を傾げる。ミアの純粋な反応に、莉央の表情が一瞬固まった。
「いや、そうなんだけど……」
それから額に手を当てて、わざとらしく顔を背ける。
「それが正解なんだけどさ。まりにもピュア過ぎて、逆に胸に刺さるというか……」
「え、大丈夫ですか?」
「なんか光属性の魔法で浄化されたような気分だわ」
莉央は半ば本気で顔を引き攣らせながら、カウンターに突っ伏した。
「……なんですか、それ」
ミアが呆れたように呟くと、美咲も笑いを堪えられず、クスクスと肩を震わせた。
笑い終えたあと、美咲がおもむろに口を開いた。
「でも、そうだよね。恋愛って、そんなに複雑なものじゃないのかもしれない」
彼女の声はゆっくりと囁くようで、自分の中で考えを整理しているようだった。
「今まで価値観とか性格のすれ違いばっかり気にしていたけれど、そういうのって実はどうでもいいことなのかも。必要以上に、自分を責めて、余計に辛くなっていたんだと思う」
そして考えをまとめながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「もっと純粋でシンプルでいいんだよね。自然と2人が幸せでいられる関係を作り出せれば、それでいいのかもしれない」
すると莉央は頷きながら、いつもの調子で美咲の言葉を肯定する。
「そうそう。恋愛なんか、難しく考えると余計にこじれるんだよ。自分らしくいて、それで一緒に笑えるのが1番じゃん」
その言葉に美咲は「そうだね」と言いながら、小さく吹き出す。
それから安堵した表情で、ティーカップに手を伸ばす。
「なんだか、少し気が楽になったかも」
美咲は最後の一滴まで飲み干すと、肩の荷が降りたかのようにホッと息をする。
悩み事が軽くなると、紅茶がさらに美味しく感じる。
「相談に乗ってくれてありがとう、2人とも」
「いえ、こんなことでよければ……」
するとミアの言葉を遮って、美咲が席を立ち、ぐっと顔を近づけて、手の平をミアの方へと向けて迫ってきた。その動きに一瞬で警戒心を高めたミアはピクッと耳を立てる。
「ミアちゃんって、すごくお利口さんなんだね」
その猫撫で声の言葉に、嫌な予感を察知したミアは素早く身体を翻した。目にも止まらぬ速さで、美咲の手の届かないカウンター奥へと逃げ込む。そしてしなやかに体を小さく丸めたまま、鋭く真っ直ぐに伸びたヒゲと冷静な瞳で美咲を睨みつけた。
「……なんですか?」
「やっぱりちょっとだけでいいから、触らせてもらえない?」
「お断りします」
「え~、ケチだなあ」
ミアのきっぱりとした返事に、美咲は口を尖らせて、子どものように不満げな顔をする。
すると莉央が美咲の肩を軽く叩きながら、気軽な口調で励ました。
「まぁ、触れるのはもっと仲良くなってからだね」
その言葉に美咲の目が輝く。
「じゃあ、また来たら触れるの?」
「だから駄目ですって。あまり期待させるようなことを言わないでください」
ミアが莉央を睨み付けると、首を傾げながら「残念~」と呟いた。
それから、美咲と莉央は席を立ち、帰り支度を始めた。
美咲は名残惜しそうに何度もカウンターの方を振り返る。その視線の先には、警戒心を解かないまま、じっと静かに佇むミアの姿があった。
「じゃあね、また来るね」
莉央が微笑みながら言うと、ミアは安心したように、心の中でホッと息をつく。
それを悟られないように、背筋を伸ばして毅然とした声で「お気をつけて」と返した。




