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水玉さん

 そこは、一面の蛍の光で埋め尽くされていて、まるで別世界のような美しさだった。


「うわあ……!」

 つい、声が出てしまった。


「誰?」

 突然、横から声をかけられた。


「えっ、あ、あの、す、すみません」

 とりあえず、反射的に謝ってしまった。


「ん? ひとり?」

 左側の藪の中から、聞き覚えのある声が聞こえた。

「え? あっ、み、水玉さん……?」


「ははは、そうです、水玉さんですよ」

 藪の中から黒い大きなシルエットがひょっこり現れた。

「あ……すみません、よ、4組の古井戸未知流です……」


「ああ、古井戸くんか! 君のことは、神宮司くんから聞いているよ」

「ええっ……」

 水玉さんと一対一で話せる機会があるなんて思ってもいなかったので、オレのテンションが一気に跳ね上がった。


 水玉さんは初日に会って以来、ずっと遠いところからオレたちのことを見ていたので、話せる機会がまったく無かったのだ。こんなところで会えるなんて!


「とりあえず古井戸くん、こんな時間にこんな危ない所にひとりで入って来るのは危険だよ。もし、今ここで足を滑らせて崖の下に落ちてしまっても、誰も気付かないからね! こんな所にひとりで来てはいけないよ」

「は、はい、すみません……」

 いきなり怒られてしまった。がっくり……


「でもまあ、今からは私と一緒だから大丈夫だね」

「えっ?」


「ふふふ、実は私もひとりでね。ひとりでこんな所に来ていたなんて知られたら、私も神宮司君に叱られちゃうから。ここはお互いのために、ふたりで来たことにしておこうか。神宮司君には秘密だよ?」

「は……?」

 いきなり、水玉さんと秘密を共有してしまった! オレのテンションが上がったり下がったり忙しい。


「あ、あのう、有難うございます!」

「ん? そんな礼を言われるほどのことではないよ」

「い、いや、あの、水玉さんのおかげで、あの、いろんな経験ができて……もし、水玉さんとお話ができる機会があったら、お礼を言わなくちゃって、ずっと思っていて……」


「ああ、良かったと思ってくれているなら、私も嬉しいよ」

 水玉さんが優しく言ってくれた。


「あの、オレ、今まで本とか読んでいろいろ知ったつもりでいたけど、、実際に見たり触ったりするのは、全然違うんだなって思ったんです」

 オレは水玉さんに直接お礼を言える機会なんて2度とないと思って、言わなくちゃいけないことを必死になって思い出していた。

「クラスの皆と話すことで、いろんな人がいるんだってことも分かったし、また、皆にも兄弟や親がいて、その人たちもまた、いろんな人がいて、いろんな関わり方とか悩みとかがあるんだなって、今まで全然知らなかったことがいろいろ分かるようになったと思います」


「そうか、君はクラスの皆とちゃんとお話をしているみたいだね」

「あ、はい、あの、身内ネタは、家庭環境とか、家の中でのその人の立ち位置が分かって面白いです。でも、親が子供のやることを勝手に決めてしまうのは、あの、ひどいなって思うんです」


「ああ、そうだ。日比野君のことは、申し訳ないと思っている」


「えっ?」

 水玉さんから突然、史也の名前が出てきて、びっくりした。

「日比野史也を、知っているんですか?」


「うん、そりゃあ神宮司君からいろいろと熱い報告を受けているからね」

 そう言われて、この前の茅野先生のことを思い出し、思わず顔から火が出そうになった。


「私はね、日比野君のお父さんは、とても一般的な常識を持った、いわゆる『普通』な考え方で生きてきた人だと思うんだ。恐らく、今の社会に対して何も疑問を持たずに、彼自身が周囲の大人の言うことを聞いて、頑張って今の地位を築いてきた人だろう」


 水玉さんのシルエットが、暗闇の中でゆらりと動いた。


「日比野君のお父さんは一般的な常識にのっとって、日比野君が将来、最も幸せになれるようにと考えた夏休みの計画を用意していたのだから、きっと、お父さんは自分が間違っているなんて一ミリも考えていないだろう。恐らく、今の日比野君の状況を作ったのは、『学校改革』なんていう、くだらないことを始めた私が原因だと考えているはずだ」

「ええっ、そんな……」


「日比野くんのお父さんはいわゆるエリートと呼ばれる人だ。今までの学校教育の中で評価され続けて、高学歴な大学を卒業して、その学歴が評価された仕事をして、今の生活を手に入れた『勝ち組』と呼ばれる人だ」


 水玉さんのシルエットが、何かを指さした。


「そんな人が、今までの教育は間違っていたから、どんどん変えていこうなんて言われたら、どう思うかな? 子供の頃からがんばってお勉強して、それを評価されてきた日比野君のお父さん自身の人生が、全て否定されてしまうのと同じことだよね? そんな馬鹿な話しを、素直に聞いてくれると思うかい?」


「そ、それは……む、難しいですね……」


 ふらふらと飛んでいた黄緑色の光がひとつ、水玉さんのその指先に止まった。


「そう、難しいよ。私が進めている学校改革とは、今までの教育で評価され続けてきた人にとっては受け入れ難く、どちらかといえば認めたくないものなんだ」


 最初の1匹につられるように、次々と光が水玉さんの手に集まってきた。


「そして今、世の中を動かしているのは皆、今までの教育で評価されてきた人達ばかりだ。

そんな人たちばかりが集まっている所で、私のくだらない意見が認められると思うかい? 検討をするに値する議題として取り上げられることすら、まず無いだろうね」


「え? ああ、そうですよね? よく、学校改革なんか、できたなあって思います」


 光が水玉さんの腕から体中に移動していく。


「ねえ、古井戸くん。私たち、個人は無力だ。そして、立ちはだかる壁はとてつもなく強大だ」

「……?」


 何を言っているんだ、水玉さんは?

 オレは、せっかく水玉さんと二人きりで話をすることができたのに、まだまだ聞きたいことはいっぱいあるのに、水玉さんは何を言っているのか訳わかんないし…いや、違う、そうじゃない。人の話はちゃんと聞かなくちゃ。


「古井戸くん、何が正しいのか、どうすべきなのか。誰かがこう言っていたからとかではなくて、自分自身で、自分の頭で、しっかり考えることが大切だよ。

 初めはたった一粒の水の玉でも、たくさん集まれば大きな水の流れになる。そして、いつか強大な壁すら壊すことも可能なはずだ……」


 気がつくと、光は水玉さんの全身を真っ白に包み込んでいて、まるで水玉さん自身が発光体の様になっていた。その発光体が空に向かって両手を広げると、光がわっと、爆ぜた。


 光が視界いっぱいに広がる。


 もう、話しなんてまったく頭に入って来なくて、蛍って集まるとこんなに眩しくなるんだ、とか、すごいなあ、とか、ぼけーっと考えているうちに、だんだん、何も、見えなくなってしまった。


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